己斐から1.5km西の古江には弥生時代の貝塚が発見されています。己斐もその時代から八幡川沿いに道を整備し稲作などを行い住みついていたのでしょうか。道が整備され歴史に刻まれるのは鎌倉時代からのようで、武田山に銀山城が築城されて、当時城下町であった山本から鍬投峠を越えて己斐に往来したようです。現在の五日市・廿日市に向かうには己斐峠や柚木谷など山道を抜けて行く必要がありました。車のない時代には大変な山道に違いありません。江戸時代に海沿いに西国街道(現在の旧:国道2号線)が整備されましたが、己斐町の内部は未整備の状態が続いていたようです。1960年(昭和35年)に県道伴広島線(265号)の開通まで本格的な道路の整備はされていなかったようです。
東西・北の三方を山に囲まれた己斐ですが、数多くの峠道が作られ利用されていました。1965年頃からの団地造成でなくなった道も多く、あぜ道や畑の脇を通る道として利用されていた当時の姿が偲ばれます。