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広島・己斐大迫
目次
10-歴史
11-日本史と広島
12-山陽道と西国街道
13-西国街道と新開地
14-己斐の地名
15-己斐の峠道・主要道
16-交通機関の発展(広域)
20-己斐と周辺の変遷
21-己斐の変遷
22-己斐の空中写真変遷
23-己斐全体(GIS重ね合わせ)
24-己斐の団地造成
25-大迫団地むかし話
26-己斐の変遷(ビデオ)
27-周辺の変遷
28-アストラムライン
30-地形
31-己斐の立体模型
32-団地造成(切土/盛土)
33-公共施設(切土/盛土)
34-地形図
35-地質図
36-柱状図
38-中国地方の地質
40-周辺の画像・四季
41-大迫団地
42-瀬戸内を臨む
43-高峠山(黒谷山)
44-大茶臼山(無線台)
45-竜王公園
46-己斐上
47-三滝
48-石内・西風新都
49-広島市上空50kmの眺め
50-災害・防災
51-広島市観測史上ベスト4
52-地震
53-台風・突風
54-水害
55-土砂災害
56-火災
57-停電・断水
58-爆発事故
60-己斐関連情報
61-国県市が提供するGISデータから見た広島
62-己斐大迫で受信できる電波
63-己斐大迫の太陽光発電に関する情報
64-己斐大迫の携帯基地局
65-CATVブースターで広帯域受信を大幅改善
66-PCやスマホで作動する受信機ソフト
67-NanoVNA(アンテナ特性分析)
68-G7 広島サミット 海上警備と空の警備
69-広島市いきいきポイント事業 己斐大迫パソコン・スマホお助け隊
70-EXCELでできる便利な機能
71-EXCEL開発ソフト(NISA)など
72-EXCEL ピボット機能
90-参考資料
広島・己斐大迫
24-己斐の団地造成
昔は瀬戸内海だった己斐本町は江戸時代に埋め立てられ新開の名が付いていました(わが町己斐の歴史)。1925年(大正14年)頃には己斐本町・中町に住居が増えはじめ、1960年頃には現在の沼田分れ(己斐峠入口バス停)辺りまで住居が増加しています。が、己斐上町はまだまばらな状況でした。一気に住居や人口が増加したのは1964年の己斐緑ヶ丘団地やふじハイツ団地の造成が行われてからになります。その後も1985年頃まで団地造成が繰り返され己斐は現在のような街並みになりました。
団地は次の年度に開発が行われました。
記号年度 団地名称
A01 1964 己斐緑ケ丘
A02 1970 閑静園
A03 1970 ふじハイツ
A04 1972 国迫
A05 1972 明山台
A06 1972 日生己斐東
A07 1973 己斐イトーピア
A08 1973 広島ハイツ
A09 1973 大迫
A10 1974 日生(西)
A11 1975 兵庫谷(現共立ハイツの一部)
A12 1975 茶臼台
A13 1979 広電己斐
A14 1980 己斐もみじヶ丘
A15 1985 共立ハイツ
出典:広島市・完成年開発規模別 住宅団地一覧、画像についてはGoogleEarth2014年版を利用しました。
※1) 上記画像内で、黄線の内側は町名に己斐がつく境界線になります。例:己斐峠は西区己斐上三丁目と佐伯区五日市町の境、竜王に抜ける道路の峠は西区己斐大迫三丁目と西区山手町の境になります。概して峠・尾根沿い・川が町名の境界線になっているようです。
※2) 団地に属していませんが己斐本町・己斐中町・己斐上町・己斐東・己斐西は造成以前から集落が発達した歴史ある街並です。
※3) 1980年には政令指定都市となり己斐は広島市西区己斐となりました。
関連する学校や施設に次のものがあります。
B01 のぞみ幼稚園(ひろぎんの森)
B02 1982 己斐上小学校
B03 1987 己斐上中学校
B04 1876 己斐小学校(村立・日彰館は1873年竣工)
B05 1975 己斐東小学校
B06 1972 己斐中学校
C01 1972 ヒロシマゴルフセンター
C02 1978 国泰寺
C03 1986 広島平和霊園
C04 2012 ふれあい聖地霊園
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