写真-1 出典: 国土地理院発行・1974/07/01空中写真
まだバス路線も未整備で小学校も中学校もなかった1978年(昭和53年)、現在の広銀の森に突然間組が工事車両を乗り入れ土地開発をはじめたそうです。静かな団地内に突然の発破工事に住民が大変驚いたそうです。町内会で会計担当されていた写真-1⑤のお宅で工事業者と町内会役員の何のための工事か話し合いがもたれました。「ある時私の家の前方左の山斜面に広島銀行の看板が立ちました。しかし、すぐに間組の看板に変わりました。その後重機が山に入って行くようになりました。今の広銀の森・グランドの中に大きな岩が有ったらしく強いハッパをかけました。家の子供はテレビが10センチ浮いたと言います。これで町内の皆さんが怒りはじめました。間組に連絡してもらちがつかず、市会議員の山本誠さんに頼んで間組を呼び出しやっと話が出来ました。その時間組は施主が広銀で有ること絶対に言いませんでした。その時の話し合いの会場が私の家です。その時もらったものが下の設計図です(現在集会所町内会資料として保存)。その後、広銀の厚生課の課長と話し合い、今のグランドに入るのは8時50分以後と決めました。今でもグランド入り口に開場8時50分の看板がついています。皆さん意味が解らんでしょうね。」以上、原文のまま。設計図のグランド上にはテニスやバレーコートなど未実装となった設備情報もあり、検討の末変更されたことがうかがえます。