25-大迫団地むかし話

1973年(昭和48年) 大迫団地で最初に住居となったおうち

大迫団地で宅地・建物の販売が開始されたのは1973年度。 ①は当時住宅展示兼販売所になった場所であった。そこを購入され第一号の居住者となったおうちが①であった。当時は住宅も少なかったため②の建屋からも階段状の団地全体と厳島が見れたそうである。③の近くにある④に谷があったが結構深い谷間で、湧水があり蛍がいて風情があったそうである。※赤の破線は現在のボンバス路線(大迫団地行)

写真-1 出典: 国土地理院発行・1974/07/01空中写真

1978年・昭和53年 広銀の森開発秘話

まだバス路線も未整備で小学校も中学校もなかった1978年(昭和53年)、現在の広銀の森に突然間組が工事車両を乗り入れ土地開発をはじめたそうです。静かな団地内に突然の発破工事と住民が大変驚いたそうで町内会で会計担当されていた写真-1⑤のお宅で工事業者と町内会役員の何のための工事か話し合いがもたれたそうです。「ある時私の家の前方左の山斜面に広島銀行の看板が立ちました。しかし、すぐに間組の看板に変わりました。その後重機が山に入って行くようになりました。今の広銀の森・グランドの中に大きな岩が有ったらしく強いハッパをかけました。家の子供はテレビが10センチ浮いたと言います。これで町内の皆さん怒りはじめました。間組に連絡してもらちがつかず、市会議員の山本誠さんに頼んで間組を呼び出しやっと話が出来ました。その時間組は施主が広銀で有ること絶対に言いませんでした。その時の話し合いの会場が私の家です。その時もらったものが下の設計図です(現在集会所町内会資料として保存)。その後、広銀の厚生課の課長と話し合い、今のグランドに入るのは8時50分以後と決めました。今でもグランド入り口に開場8時50分の看板がついています。皆さん意味が解らんでしょうね。」以上、原文のまま。設計図のグランド上にはテニスやバレーコートなど未実装となった設備情報もあり、検討の末変更されたことがうかがえます。

写真-2 出典: 広銀の森・グランド設計図

写真-3 出典: 広銀の森・体育館設計図

写真-4 出典: 広銀の森・体育館内部設計図

団地開発当時は様々なご苦労があったようです。

写真-5 広銀の森整備の際の防災調整池銘盤(現テニスコート奥)


下記はこれからも情報収集し整備を行う予定のものです。

1973年 旧NTTのマンションは一般販売されていたマンションだった(1,600万円)

1981年 のぞみ幼稚園は町内会の要請で竣工した

19xx年 太田川花火大会

1982年 昭和57年 広島市立己斐上小学校開設

1987年 昭和62年 広島市立己斐上中学校開設

1987年 昭和62年 竜王道路開通

19XX年 団地には5つの町内会があった

19XX年 町内会費、毎月徴収から年2回に変更に

1990年 平成2年 町内会の統合(平成2年)

19XX年 下水道の公共化

2001年 平成13年 広島西風新都高速道路トンネル開通

2017年 平成29年 己斐上集会所の運営