江戸時代の「小名分り」、実に詳細に分け名前がついていたようです。この地名は1956年(昭和31年)発刊の広島市番地表示詳細図にも記載されている程長いあいだ使われていました。(例:江戸時代に陸化された干拓地の才崎新開や堤防をさす上提・中堤など。)また山間部の明山はじめ大迫など現在の団地名に引き継がれている小名分りもあります。 上の地図に記載した小名分りの他に、八幡川沿いの左右50mの地域や水の確保が容易であった谷間には実に沢山の地名があります。空白の部分は原本の漢字が読解不能な箇所です。場所は明確に判明はしていませんが船着きなどの名称も見受けられます。才崎・本谷・鉢谷谷・赤土谷・平原・岩之廻・上提・中堤・小松原・一本松・梅谷・瀬切石・胡面・船着・下平・下堤・七九・浜・田中・河原・西・次郎丸・堂々・高林・土井・森・須通・油の木谷・折尾・しでの木・国信・末友・岩原・日和・たを・有国・石原・迫・着能・玉子・魚切・神田・滝ヶ迫・二九丸・河下田・三ツ石・畑・くわなげ・黒谷・こふち亀・井出ヶ平・津恵谷・大迫・下ふ楚ふ・迫の奥・定安・苅場・寺河内また才崎新開・天保新開・戸島新開・山崎新開などは旧:山手川(現:太田川放水路)に面して埋立てられました。凡例: 赤線・己斐境界線、青線・八幡川、黒破線・小名分け境界出典: 「わが町己斐のあゆみ」、「広島市番地表示詳細図」、地図 国土地理院