コーヒーと健康

この文書は、全日本コーヒー商工組合連合会発行の「コーヒー検定教本」(2006年度版)に寄稿したものを、一部改訂したものです。

「コーヒーがヒトの健康にどのように関わるか」は、古くから世界的に関心を集めてきたテーマの一つである。しかしコーヒーにまつわる知識の中でこれほど正しい理解がされていない分野はないと言えるほど、世間にはコーヒーと健康に関する内容には善悪両面のさまざま誤解や風評が蔓延している。一方で科学や医学の研究領域、いわば「専門家」の間でも、コーヒーと健康の関係は、さまざまな疾患との関係について善悪両面からの論争が長い間続いているが、 1990年以降に多くの研究が重ねられ、その論争の収束点がようやく見えかかってきている、と言って良い段階に来ている。もちろんまだ「結論」を出すには時期尚早であるが、「現時点での専門家の意見がどうなっているか」という小括を紹介するとともに、各論としてそのいくつかをとりあえげながらこれまでに言われてきた世間の誤解や風評についてもいくらか解説を行いたい。

総論:「コーヒーを飲むとヒトはどうなるか」

「コーヒーを飲むとヒトはどうなるか」についてこれまでに判っていることを、急性作用と慢性作用とにわけてまとめると以下のようになる。

急性作用

コーヒーを飲んだ後、数分から数時間(せいぜいでもその日のうち)に出てくる代表的な作用には以下のものが挙げられる。

    1. 中枢神経興奮作用(眠気覚まし・計算力記憶力の賦活化/不眠・不安)1, 2

    2. 骨格筋運動亢進作用(疲労感の回復/振せん、痙攣)1, 2

    3. 胃液分泌促進(消化促進/胃粘膜障害)1, 2

    4. 利尿作用1, 2

    5. 代謝促進1, 3

    6. 血圧上昇1, 2

    7. 血中コレステロール増加4, 5

    8. 大腸ぜん動運動の亢進(便通改善/下痢)6

これらの急性作用はそれ自体が「体に良い/悪い」というものではなく、括弧内に示したようにケースバイケースでよくも悪くもなるという捉え方をされるべき である。例えば、中枢神経興奮作用によって目がさえることはこれから徹夜仕事をするときには有益かもしれないが、これからぐっすり眠りたいというときには 邪魔であるように。また、これらの急性作用はあくまで一過性のものであり、摂取後の時間経過により正常に戻るものであり、長期的な作用とは関連しない。例 えば、コーヒーを飲んだ直後には血圧が上がるが、かと言って、コーヒーを飲み続けている人に高血圧患者が多くなるというわけではない。通常健常者にとって は、よほど普段飲む量から逸脱した大量を一時に摂取しない限りは、健康上の被害を考える必要はまずないが、そのときの体調や特定の疾患などによっては摂取 に注意が必要な場合がある。

このうち、1〜6についてはコーヒー中のカフェインが、7についてはコーヒー中のジテルペン化合物(カフェストールとカーウェオール)がその主な活性本体だと考えられている5。8の作用の活性本体についてはまだよく判っていない。

慢性作用

コーヒーを長期間摂取しつづけるとヒトはどうなるか、ということについて、

習慣性

コーヒーには軽度の精神依存性(カフェインによる)があり、飲用者は習慣的に常用する傾向がある1, 2。ただし必ずしも摂取量の増加は伴わない。これはアルコールやタバコ、あるいは麻薬などと異なり耐性を生じにくいためと考えられている。また長期飲用者 が急にやめると頭痛(カフェイン禁断頭痛)を訴える場合がある(2〜5日程度継続する場合があるが特に問題なく治まる)。これらのことは通常は、特に問題 ない程度の習慣性だと考えられている。

疾患リスクとの関係

コーヒーを常用している人としない人で特定疾患の発症リスクを検討した報告は数多い。しかし、その多くは未だ論争中であり、結論は出ていない。

    • 発症リスク低下(ほぼ確証)

      • 肝細胞がん13, 14

      • 大腸がん10

      • 2型糖尿病11

      • パーキンソン病9

    • リスク低下の報告あるが論争中

      • アルツハイマー病12

      • 子宮体がん

      • 胆石15

    • リスク上昇の報告あったが後に否定された16

      • 高脂血症

      • 膵臓がん

      • 心不全

      • 高血圧

      • 十二指腸潰瘍

    • リスク上昇の報告あるが論争中

      • 関節リウマチ17

      • 骨粗鬆症18

      • 膀胱がん22

    • 発症リスク上昇

      • 妊娠時リスク(流産、低体重)19, 20

上述した項目のうち、リスク低下がいわゆる「良い効果」、リスク上昇がいわゆる「悪い効果」である。複数の異なるグループの調査結果を総合してほぼ統一し た見解が得られ、なおかつ医学的、科学的にも信頼性のある学術雑誌に掲載されたことがあるものについて「ほぼ確証」とし、調査ごとに結果のばらつきが大き いものや報告件数がまだ少ないものについては「論争中」としている。

4番目のグループ(リスク上昇の報告があるが論争中)のものが未だに多いことに驚かれる人も多いかもしれないが、20年ほど前にはこれに加えて「後に否定 された」とするものを含めたものまでがリスク上昇の論争中のものであり、今はまだそれが否定されている途上の段階だと理解していただきたい。特に 2000年以降は、単にコーヒー飲用/非飲用という比較だけでなく、一日あたりの飲用量との関連も調べた研究が増えており、4番目のグループについても、 一日2杯以下の場合ではほぼ否定されていると言って良い。現在はそれよりも多い場合の因果関係について論争が行われているが、このうちのいくつかについて も将来否定されていくことが予想される。

なお、新聞やオンラインニュースでは、しばしばこの手の論文を元にした記事が載ることがあるが、疫学調査という研究手法の性質上、単回の調査だけでものを言えるというわけではないことには注意が必要である。

まとめ:「コーヒーの健康的な飲み方」とは

医者や薬剤師などを目指して薬理学を学ぶ者ならば誰でも、必ず最初の時間に教えられる言葉に「万物は毒となりうる。量だけが毒になるかどうかを決める」というものがある。「薬学の祖」の一人でもある、中世の錬金術師パラケルススが残した言葉だ。もっと噛み砕いて言うならば「過ぎたるは猶及ばざるが如し」「何であれ、摂りすぎは体に毒」と言っても良い。コーヒーに限った話ではなく、何事にも「その人にとっての適量」というものが存在するというのは、揺るぎがたい事実であるし、薬学を学んでないほとんどの消費者もそのことを経験的にいわば「常識として」知っている。「コーヒーは健康に良い/悪い」という一面的な考え方をする以前に、もう一度その考えに立ち戻って常識的に考えることが重要である。すなわちコーヒーも飲む量によって、よくも悪くもどちらにもなる。だからこそ「健康的な飲み方をする」ことを考える必要がある。

ではコーヒーの場合、どこまでが適量でどこからが摂りすぎなのか。この問いに対する答えは、正確を期すならば「飲む人によって異なる」としかいいようがない。例えば、ヴォルテールのように一日10杯を飲み続けた人もいれば、バルザックのように1日60杯飲んだという伝説を残したものもいる一方、「たかが1 杯のコーヒー」で体調を崩す人がいるというのもまた事実であるからだ。しばしば見落とされているが、コーヒーも若干ながらそれなりに「飲む人を選ぶ」飲み物なのである。とはいえ、一部の過剰な「健康信奉者」の主張に見られるように、このような極端な事例を根拠に「コーヒーは飲むべきではない」と過度に意識しすぎるのもバランスを欠いた考え方である。コーヒーはアルコールやタバコに比べれば遥かに気にする必要のない部類のものであるからこそ、未成年などにも門戸が開かれた嗜好品としての現状がある。あくまでこのように、個人差が大きいという前提のもとで、では大体どれくらいの数値が目安になるかを、タイプ別にまとめて別ページ付記:「コーヒーの健康的な飲み方」の目安に示す。

「コーヒーは健康に良い/悪い」ということを考えるとき、「そもそも健康とは何だろうか?」ということに思いを巡らせてほしい。WHOが発表した定義1によると「健康とは単に病気あるいは虚弱でないというだけでなく、肉体的、精神的、社会的に完全に良好な状態を指す」とある。近年よく耳にする言葉に「クオリティ・オブ・ライフ(Quality of Life)」というものがあるが、これもWHOの定義によく似た考え方で、「ただ単に『生きている』ということだけで満足するのではなく、質の高い人生を送ることを重視しよう」というものだ。本稿では病気とのリスト関係を中心に解説してきたが、実はそこだけに着目しても、真の意味でコーヒーと健康の関連を考えているとは言えない。コーヒーが嗜好品として、人生に愉しみと潤いを与えるという点こそをもっと大きく評価しなければならない。コーヒーはまさに「クオリティ・オブ・ライフ」を高める飲み物として、我々愛好家の「健康」に大きく貢献していると言って良いのではないだろうか。