①七十週預言は、イエス・キリストの公生涯の始まりの年を指し示しています。
七週と六十二週は、合計六十九週で、これは、7年×69週=483年を表します。
エルサレムを建て直せと言う命令は、クロス王、ダリヨス王、アルタシャスタ王によって合計三回出ています。
エズラ記6:14~15(口語訳)
そしてユダヤ人の長老たちは、預言者ハガイおよびイドの子ゼカリヤの預言によって建て、これをなし遂げた。彼らはイスラエルの神の命令により、またクロス、ダリヨスおよびペルシャ王アルタシャスタの命によって、これを建て終った。この宮はダリヨス王の治世の六年アダルの月の三日に完成した。
この最後のアルタシャスタ王による再建命令はBC458年に発せられ、それから483年後=AD26年にイエス・キリストの公生涯が始まる計算となります。
この再建命令がBC458年であることは、次のことから計算されます。
エズラ記 7:7~11(口語訳)
アルタシャスタ王の七年にまたイスラエルの人々および祭司、レビびと、歌うたう者、門衛、宮に仕えるしもべなどエルサレムに上った。...主の戒めの言葉、およびイスラエルに賜わった定めに通じた学者で、祭司であるエズラにアルタシャスタ王の与えた手紙の写しは、次のとおりである。
アルタシャスタ王の在位はBC465年~で、その七年は、BC458年と計算されます。
②イエス・キリストの公生涯の始まりは、聖書のもう一つの箇所にも示されています。
ルカによる福音書 3:1~2(口語訳)
皇帝テベリオ在位の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟ピリポがイツリヤ・テラコニテ地方の領主、ルサニヤがアビレネの領主、アンナスとカヤパとが大祭司であったとき、神の言が荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。
ここに示されたバプテスマのヨハネによって、この年、イエス・キリストはバプテスマを受けられ、公生涯が始まりました。
皇帝ティベリウスの在位は、AD14年~ですが、ティベリウスを後継者に指名した皇帝アウグストゥス(オクタビアヌス)は晩年2年間ほど胃腸を患い、ティベリウスの統治は実質AD12年~でした。
そこで、皇帝ティベリウスの在位十五年は、AD12年を1年目と数えて、15年後のAD26年となり、七十週預言から計算されたイエス・キリストの公生涯の始めと一致する計算になります。
③イエス・キリストの公生涯の始まりは、聖書の更なるもう一つの箇所にも示されています。
マタイによる福音書 2:1~2(口語訳)
イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。
これを聞いてヘロデは恐れ、二歳以下の子どもを殺せと命令しました。
マタイによる福音書 2:16(口語訳)
さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。
このヘロデ王は、BC4年に死去していますので、この命令が出たのはBC4年以前であることは確実です。そこで、イエス・キリストの生まれ年を最大限後ろにずらして考える場合、イエス・キリストは仮にBC4年に生まれたことになります。
そしてイエス・キリストの公生涯の始めについての次の記述があります。
ルカの福音書 3:23(新改訳)
教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた。...
そこで、上記の仮の生まれ年BC4年から30年を数えると、イエス・キリストの公生涯開始は、AD27年になります。これは、生まれ年を最大限後ろにずらした時の数値ですから、イエス・キリストの公生涯は実際にはAD27年以前の数年間であると考えられます。
これは、既出の①②で得られたAD26年の「射程内」に入っています。
すなわち、イエス・キリストの公生涯開始をAD26年と考えると、これら三つの計算のパズルのピースがうまく嵌まり合うことになるのです。