電気自動車の購入について

 自分が電気自動車を買おうかと血迷ったときのメモとして残しておく。結論から言うと電気自動車と完全自動運転はセットであり、かつインフラとして今現在のガソリンスタンドと同数程度まで充電ステーションが普及するまでガソリン車を使うべきである。

 自動車を乗るのは、移動の手段としてが主である。電車の通っていない地域に行くとき、運行時間外に向かいたいとき、などに使う。それに伴うメリットはなにか。自分のペースで移動できる だったり、他人の介在しない空間で移動できる だったり、「運転」を楽しむことができる だったりだろう。

 これらのうち、現状の電気自動車には「自分のペースで移動できる」「『運転』を楽しむことができる」メリットがない。そういった主体性は自分ではなく燃料タンクが握っている。

 例えば「運転を楽しむ」について。電気自動車には音がない。運転の楽しさの一員である音が。では何を楽しむかというと、コーナリングであったりアクセルによる加速度・車体性能を楽しむ他ない。日本の制限速度なぞ40km/h程度が関の山なのに!そうするとエンジン車に比較して危険な運転になりがちである。

 仮に法律に関係なくアクセルを踏んでいいとする。じゃあアクセルを踏むか。踏まないだろう。なぜならアクセルを踏めば電費が悪くなる。悪くなれば目的地に着く前に電池切れで路頭に迷うことになる。そういった思考が支配し運転を楽しむどころではなくなる。電気自動車において、運転者の「楽しく目的地に付きたい」という思考は運転の主体になりえない。燃料タンクこそが運転のすべてである。燃料タンクがよしといった方向にしか進まず、よしといった時間にしか進まない。

 そもそも、燃費計を表示する車は運転していて楽しくない。楽しい運転・ストレスのない運転方法ではなく、ただ燃費の良い運転方法になりがちである。燃料補給所が少ない電気自動車に至っては顕著になる。アクセルなんて踏まなくなる。当然、そうなると擬似的なエンジン音はほぼ聞く機会がなくなる。つまり電気自動車をガソリン車っぽくするいくつかの創意工夫は無駄となる。

 電気自動車に運転の楽しさを求めることはできない。であればなぜ運転などするのか。疲れるし事故るかもしれないし、それであったらもう運転席に座ってる必要はなくい助手席で風景を楽しんでいたほうがマシだろう。自分を運転席に縛り付けているのは、その任意の場所に行きたいとき、連れて行ってくれるのが自分しかいないからである。完全自動運転が実現すればその縛りがなくなる。晴れて運転を楽しむ必要はなくなる。インフラが整えば燃料タンクに主体性を握られることもなくなる。

 新しいものが好きだ。レンタカーでもガソリン車よりハイブリッド車を好んで借りたりしている。スタイラスペン内臓のへんなスマホや、星の撮れるスマホ、その当時無名だったゲーミングパソコンを試して買ったりしている。アーリーマジョリティ気質があるのかもしれない。どこかで電気自動車を欲しくなるタイミングは訪れるだろう。だが待ってほしい。完全自動運転機能はあるか?充電ステーションはガソリンスタンド数を上回っているか?それらがなければ買っても後悔するだろう。おとなしくハイブリッド車にすべきである。