「ものづくり」は「目的」なのか「手段」なのかという話
Post date: Mar 2, 2018 3:23:21 PM
最近自分語りが激しいのは,アマゾンが届かなくて,家族旅行中で車もなくて,いろいろやりたくてもやれないからかね.これで最後にしたい.
さて.
もちろん個人的な話なので今現在の自分以外に適応できる話ではないのかもしれないが.一応メモ.
ここに書いて有ることに反論できるようになる自分に期待して,メモ.
ものづくりとは,結局,物をつくっているので,物欲を満たす行為であるといえるだろう[※0].
ものづくりをする人のうちには「いや,ものをつくりたいという(表現)欲求を満たしているんだ」という人もいるかもしれないが,自分の場合は違う.
自分にとって,
ものづくり(電子工作,プログラミング,3Dモデリング,工作…)とは,
自分をとりまく現実を書き換える行為である.自分の望むような,自分の思うような物に現実を変える行為である.
自分の欲しい物が無い.それなら作る.自分の思った通りの挙動をしない.それなら変える.
この世界を書き換える素晴らしいツールとしてプログラミングやはんだごて,ノコギリやドライバーなどがあって,
それを使いこなすことで制約はあれど,この世界を捻じ曲げることができる.
もし欲しい物が既にこの世に存在するなら,わざわざ作る必要ないので買えばいい.(高すぎれば作るけど.)
ものづくり自体が目的となることは殆ど無い.つまり自分にとってものづくりとは単なる手段である[※1].
目的なのか手段なのかというのは,重要視するのが結果なのか過程なのか,に関わる.
そして,結果だけが大事なのか,過程も大事なのか,というのは何を得たいのかによって変わる.
例えば,アニメとか映画とかドラマとかを視聴する際に,普通は全てを見る感じだと思う.つまり物語(線としての体験?)を楽しむ感じ.
それに対して,「あの感動のシーンだけみたい」とか「あの戦闘シーンだけをみたい」とか思うこともある.これは体験(点としての体験?)を楽しむ感じ.
(ちなみに「結果はどうでもよくて過程が大事だ」という意見は逃げである.完成しなくても満足しちゃったからいいや,ということでしょう?次に繋げるためにこの経験は大事だった,とかいうならその次だと言っている「結果」につなげなさい,ということなので)
つまり,これをものづくりに当てはめると,
制作のストーリーも楽しみたい → 自作(もしくはキット) であり
物を得た・使う体験をしたい → 購入(無いなら自作) ということになるだろう.
ものづくりにおいて,ストーリーを楽しみたいというシチュエーションは,個人制作の場合はそんな無いと思う[※2].
文化祭での展示制作が楽しいのは,みんなと協力して作る,そういったストーリーがあるからだと思う.
一人でもの作ってっと結構厳しい.
自分の場合個人制作ではTwitterやslackで進捗報告していいねもらったり「すごい!」コメントもらってしのいでる気がする.
むりやり褒められる(自分SUGEEE!とか自分TUEEEE!)という物語を作ってる気がする[※3].
やっぱり買える物なら買った方がいいんですよ.
現実の書き換えは奥の手.
[※0]
「ものづくり」という言葉が正しいかはわからない.
[※1]
ものづくりが目的に見えるケースとして,技術取得があるだろう.
自分の場合,その技術取得も何かを作る(現実を書き換える)ための手段の一部でしかないため,やはり目的ではない.
と言った風に,「何を目的とするか」によって「何を手段とするか」→「何をすべきか」と決まるので,目的は明確に持たなければならない.
自分は何になりたいんですか?いや,自分は何をしたいんですか?
[※2]
プログラミング最初の方は,全能感で1日中プログラミングやってられるほど面白かったなあ.
勉強とかはどうなんだろうか.知識が欲しいだけなのか,試行錯誤の果てに得られるというストーリーがいいのかわからん.
ここらへんは忘却(忘れにくい方法)との兼ね合いもありそう.でもどちらにしてもやっぱり友達と集まって勉強したほうが楽しいよね.
[※3]
「制作支援」とか「表現の支援」というのであれば,こういったところに踏み込んで支援するべきだったのかもしれないと卒業直前の今更思う.
「仕方なくする制作」をこの世からなくせるような支援を.
ストーリーに魅力がなければ楽しもうとする人なんかいない.