Post date: Oct 6, 2013 12:38:12 AM
◆講師:井上荒野(直木賞作家)
◆ゲスト:稲垣伸寿(小学館「きらら」編集長)
◆コーディネーター:池上冬樹
・今北玲子さん『夕焼けの詩』(66枚)
・朝尾眠さん『ペイ・パー・ビュー』(56枚)
・石橋翠子さん『四拍子のワルツ』(39枚)
・千葉直さん『チロ』(18枚)
(講師陣)
「どうせ読むなら極上の時間を」
ふと、そんなことを思ったことがある。
つまらないと感じながらも読書で時間をつぶすのではなく、時間を忘れるくらい物語の世界を楽しみたい。
それは読み手としての感情であり、また、書き手としての想いでもある。
せっかく読んでいただくのなら、読書の心を揺さぶりたい。読者の中に何かを残したい、という「欲」。
そんな欲が自分の中にくすぶっているにも関わらず、では具体的に何をすればいいのか、となると途端に分からなくなる。
今回のせんだい文学塾は、そんなわたしにヒントをくれるような講座だった。
講師は井上荒野先生。
(井上先生)
お会いするのは今回で二度目だが、柔らかな物腰ながらも小説に対する厳しさがあり、その芯の通った姿に清々しさをも感じる人だと思った。
・「良く書けている」では、その先はない。
・「読ませどころ」はどこか?
↑
読ませるためには描写をする。⇒文章力の強化
↑ ↓
描写をするためには、調べる。 ↓
徹底的に読む! それも自分にとって少しハードルの高いものを。
・自分の倫理観、世界の常識を疑う。⇒小説の中での倫理を作る。
・徹底的に自分の中に下りて行き、自分の嫌な部分を引きずりだす。
↓
一番難しく、書き手はそこから逃げてしまう。けれど、その一番難しく書きにくいところに作家の個性が出る。
声を荒げることなく、穏やかにとつとつと小説について語るのだが、その言葉ひとつひとつに作家としての想いがこめられていて、こちらの脳みそをビンビンに刺激してくれるのだ。
「これが作家か」
と思った。
(ゲストの稲垣氏)
小説の書き方を知りたいのなら、書店に出回っているHOW TO本を読めばこと足りる。
文庫なら数百円だ。
それをなぜ、わざわざ受講料まで払って講座を受けるのか。
それは「作家」を肌で感じるためだ。
話の内容はもちろんだが、言葉を通じ、その中にこめられた「作家としての覚悟」のようなものが、受講しているこちら側にも伝わってくるのだ。
これは生身の人間(作家)を前にして、彼らと同じ時間と空間を共有している者にしか味わえないものだと思う。
まさに講座でしか味わけない醍醐味ではないだろうか。
講義の内容を頭で理解するだけでなく、作家というものを肌で感じる。
作家を目指す者にとって、これは稀有で貴重な経験だと思う。
「作家に会ったから、自分の中で突然何かが変わった!」
ということは、正直そうそうないだろう。けれど、自分の中で、何かが確実に変わってきているように感じることがある。
(池上先生)
講座を受けたからといって、小説を書く上での悩みが解決される訳ではない(これは一生解決されないままだろう)。
急に小説が書けるようになる訳ではない(むしろ考えすぎて書けなくなるかもしれない)。
それでもやはり、書きたいと思う。
講座に出ると「書かねば」と思う。
書くのが苦しくて、楽しい。
書くことの苦しみも楽しさも、講座が教えてくれた。
講座に出ても、わたしの迷いは「迷い」のままだ。書きながら、いつも迷っている。けれど迷わなくなったらもう、小説のようなものは書けなくなるのだろうとも思う。
迷ってばかりでままならないわたしの背中を、いつもそっと押してくれる。わたしにとって、講座はそんな存在なのだ。
(50代。匿名希望)