1月の講座

Post date: Feb 9, 2011 1:11:24 PM

◇1月講座ルポ

◆講師:角田光代(直木賞作家)

◆ゲスト:兼田将成(PHP研究所 文藝書編集部)

◆コーディネーター:池上冬樹(文芸評論家)

テキスト

吉利淳さん『視線の行方』

嘉川さちさん 『血と信仰』

『豊饒の国』

佐藤詠美さん『こんにちは、ケーコさん』

※受講生によるルポ

今月の講師は、あの角田光代先生。著作が公立高校入試問題の出典にされるほどの売れっ子です。講座がはじまる前にお見かけしたところ、だれかと笑顔で話されていて、気さくで気取らない、やわらかい雰囲気が伝わってきます。興奮します。楽しみです。

(気さくな笑顔の角田先生)

またゲストとして、PHP研究所の編集者、兼田さんもいらっしゃって、一緒に講評をしていただきました。

(真剣に講評される兼田氏【右】)

今回のテキストは4本です。

(以下、講師の先生方のコメントは大意です)

最初は吉利淳さんの「視線の行方」18枚。

(あらすじ)妻子ある男と関係を持ち、堕胎を経験した主人公の麻希子は、鬱々とした日々を送っている。冒頭とラストのみ第三者の視点で書かれている。

(講評)

兼田:アイデアストーリーかな、と思って読んだ。主人公が経験した苦しみをきちんと書いている。ラストではサングラスをとった主人公が、すごくきれいな人だった、とした方が、アイデアストーリーなら、ひねりがあってよかったかもしれない。

池上:一人称視点ではじめて三人称視点に移る。これはふつうやってはいけない。視点の切り返しによって見方の断面をあらわしたかったのかもしれない。それはそれで面白いが、アイデアストーリーにしかなっていない。アイデアストーリーを書きたかったのか、人生ドラマを書きたかったのか、明確ではない。どちらにしても、もっと書き込んでほしい。

角田:小説には二種類ある。自分自身の事柄に沿って書くのか、まったく自分とは切り離して書くのか。まずそこが明確ではない。池上さんの言うようにアイデアストーリーを狙ったのかもしれない。一人称の男性の視点と三人称の女性の視点を対比することで、人はどんなに苦しんでいても、はたからは知ることができない、ということを訴えたかったのだろう。その構成は面白いが、女性の視点になったときに違和感がある。女性読者ならわかると思うが、堕胎からはこんなに軽く立ち直れない。男への恨みもあるが子どもを失った悲しみの方がはるかに大きい。

言葉が紋切り型であることにも注意してほしい。女性のスタイルを“男好き”のひとことで片づけているが、実際はどんな風なのか視覚的に書かなくてはいけない。作者の感想をうかがうと、とにかく最後まで書き切りたかったとのことで、それは大事なことです。書き切らなければ前には進みません。小説は肉体労働なので、健康に気をつけて体を鍛えるごとく書いてください。

2本目3本目はともに嘉川さちさん。

「血と信仰」27枚

(あらすじ)神父が恋した女子高生の信徒まりあ。彼女は失恋の末に相手を殺したと告白。神父はまりあと心中する。

「豊饒の国」21枚

(あらすじ)貧しい家に暮らす楓。幼い弟たちと病弱な姉を守り働く彼女に奉公の話が。自分さえ我慢すればと話を受けるが、出発前夜、足手まといを嫌った姉は自死を選んだ。

(講評)

兼田:(「血と信仰」について)神父の人物像がまだ見えてこないし、まりあと神父の関係も、もっと深く掘り下げられる。また神父の心理を「胸の痛みに耐えながら」や「思いが鬱屈していく」など、地の文の中で説明しているが、説明ではなく他の書き方や言葉を用いて描写した方がよい。

池上:人を殺して幕を閉じるのは安直。人を殺すのは絵的には人目を引くが、一面ステロタイプで新人賞などでははずされてしまいがち。書き方としては殺さずに、登場人物になり切って苦しみを共有するやり方もある。

「血と信仰」の場合、聖書からの引用も出さないとリアリティーに欠ける。それと同一場面での視点の移動があるが、これは新人賞などではマイナス評価される。注意してほしい。

「豊穣の国」では貧しいはずの暮らしが、意外にせっぱつまってない印象があった。おやつを食べていたり、炭を自家用に使ったり。ストーリーと矛盾がある。やはりリアリティーが足りない。もっとすさんだ感じがほしい。

角田:嘉川さんの場合、前に話した小説の二つのタイプのどちらにも当てはまらないと思う。自分の好きな世界を持っていて、それがネタになっている。短いものならいくらでも書けると思うが、もったいないのはネタのままでしかないこと。これでは広がりに欠ける。それぞれの題材(宗教・江戸時代後期の暮らし)を徹底的に調べて細部までリアリティーを追及していく。または幻想的な小説にするなら、その設定を緻密に作り上げていく。そうすれば世界がどんどん深まって、ネタが小説に立ち上がっていく。

最後は佐藤詠美さんの「こんにちは、ケーコさん」60枚

(あらすじ)主人公、マユが5歳の時に祖父からもらった鶏のヒナが、成長して死ぬまでの間に起った家族の物語を、ユーモラスに描いている。

(講評)

兼田:読んでみて、小説の中に立たせてもらっているような気になった作品。行間から感じられるものがある。読後感は余韻が残るものでした。

池上:読んだ瞬間、うまいなと思った。冒頭から読み手を引き付け、ラストもよかった。淡々としていながら喚起力のある文体で、食べ物など小道具の使い方もいい。登場人物のキャラクターを引き立たせている。鶏の死を経験して、肉を食べられなくなるのはお姉さんのほうで、主人公自身は食べてしまうという、その対比もよかった。少し書き足せばどこかの新人賞の最終候補には残るかも。

角田:読み手を選ばない小説です。私は生に性をのせて書いたのかなと思ったが、作者の意図を聞くと、深読みをしていたらしい。でも深読みできる小説はいい。小さなテーマから書き出したのに、いつのまにかほかのテーマを呼び込んで世界が広がり、思わず心を揺さぶられる小説になることもある。

作者は、お話を面白くしようとして書いている個所があるが、それはしなくてもいい。この作者は真面目に書いていても面白いことが出てきてしまう。それと、もっとディテールに凝ってみては。食べ物の描写がいいので、視覚的な要素を入れて書き込んでみる。自宅なども間取りまで書き込んで立体的にする。そうすると小説がくっきりするはず。方言を使ってもいいかもしれない。いい意味で牧歌的な味が生きる。

受講生には勉強になることばかり。角田先生はふつうなら、新人賞の最終候補にならなければ読んでもらえない方。今日のお三方はさぞやと思います。また、いい作品を書いてください。

続いては後半のトークから。約一時間の角田先生のお話の中で、印象に残ったものを。

◎トークテーマ「何を優先して書くか」

(にこやかに話される角田先生【右】と、池上冬樹先生【左】)

1.何を優先して書くか、について

デビューから20年で私自身の中でも変わってきている。割と無自覚に書いている方も多いので、自分が経験を重ねて得たものを、皆さんにお伝えできれば、と思った。

2.書きはじめるとき必要なこと

私はテーマがないと書けない。テーマと自分の気持ちが密接につながっていることが必要。事件や世相について感じた怒りがテーマになることが多い。ただ、書きはじめたら怒りは捨てて、小説には持ち込まない。

3.文体について

純文学でデビューしたこともあり、当初は自分の文体を持てと言われ続けた。その後ストーリー性の強い小説を書きたくなったとき、今度は文体がじゃまになった。ストーリーを読ませるにはどういう文体かと考えて、以来、これは角田光代だろう、と思われない無味無臭なものを心がけている。

.プロットはどうしているか

怒りからテーマができて、テーマを語るにふさわしい人物を配置して、動かしていく。そうやって物語を組み立てるとき、割と起承転結を使います。私は昔から起承転結を信じているんです。いいものですよ。

5.賞をとるためのアドバイス

まず自分のタイプを知ってほしい。自分の心が直結したものが書きやすいのか、アイデアで書けるのか。それで書くものが決まります。書き始めたら書き終えてください。最初は短くてもいいので。たくさん書けば、自分がどちらのタイプか見えてくる。

(真剣にメモを取る受講生)

可愛らしい角田先生が、ひとたびマイクを握られると、音階でいうならミ・ファ・ソでしょうか。聞きやすいお声で、多少早口は心地よく、一瞬の判断で言葉が決定され、深くつながっていく。しかも一分の隙もなく畳み掛ける口調と、内容は論旨明快、たるみがなくて引き込まれます。いくらでも聞いていたい。もっと話してくださいと、お願いしたくなる。私だけでなく、満座の受講生みんなの感想だと思います。

明日、角田先生は山形に。決めたっ! 私、追いかけていきます、雪の山形。はい、興奮です。楽しみです。

※今回のルポは、受講生のIさんよりご提供いただきました。