Post date: Feb 21, 2013 12:43:18 PM
・羽鳥好之(文藝春秋)
・瀬尾泰信(同)
・石井一成(同)
・今北玲子「満月に猫」
・落合玲子『水面に降る雨』
・長井千里『花、開く』
12月の講師は、人気絶大で実績も素晴らしい仙台ゆかりの作家、小池真理子先生でした。
そのためでしょう。受講生も女性を中心に多数集まって、いつも以上の熱気が感じられました。
小池先生をお迎えするのは、2年ぶり2回目です。
ゲストは2年前もお越しいただいた文藝春秋文庫局長の羽鳥好之さん、そして今回はさらに最新作『沈黙のひと』を担当された編集部瀬尾泰信さんと石井一成さんをお迎えしました。
(左より羽鳥氏、池上冬樹先生、小池真理子先生、石井氏、瀬尾氏)
講座はいつも通りテキストの講評からです。
今回のテキストは3本でした。
コーディネーターの池上先生も講評されましたが、小池先生と羽鳥氏の講評を中心にご紹介したいと思います。
「満月に猫」今北玲子
震災を境に近所から消えた野良猫が、ひさしぶりに戻って来る。
しかし再会もつかの間、猫は死んだ。
野良猫のたくましい生き方と、それを見つめる作者の日常を重ねて描いたエッセイ。
【講評】
《小池》私はネコ好きです(笑)。それを別としても高く評価できました。
文章にやや読みづらいところはありましたが、テーマがはっきりしているお話で、私はエッセイとしてではなく、小説として読みました。死というものや生き抜くことの意味について、猫の死を象徴的に扱うことで、3.11という大災害を機に作者の心中に去来した事柄を、上手く集約して書いています。
最後の方で猫の死骸から落ちてその場に残された二枚の枯葉や、ラストに出てくる「とにかく生きるのだ」というメッセージに、テーマが簡潔に表されていたと思いました。
震災の影響に肉薄しながら、変に感傷的になっていないので、大人の読み物に仕上がっています。
《羽鳥氏》私も小説として読みました。震災を書くことには多くの作家も取り組んでいますが、本作の猫に仮託するような手法はユニークです。猫の死後、市の職員がその死骸を無造作に回収する様子を冷徹に書く一方で、猫が存在したことを示すように枯葉が残った様子を描くところなどは、作者には作家的な観察眼があると思いました。文章はやや読みにくいのですが、音読すると良くなると思います。
「水面に降る雨」落合玲子
画家の夏美の脳裏から離れない、あるイメージ。
幼いころ沼のほとりで出会った“白いシャツを着た”人が、沈めていた“もの”はなんだったのか?
やがて呼びさまされた記憶は、悲しい家族の物語だった。
なぞをはらんだ短編小説。
【講評】
《羽鳥》3本の中では一番よく書けている作品と思いました。導入に幼なじみ同士の会話を使い、そこから記憶がよみがえり真実に至るという構成は巧みです。ただ謎解きの部分で、狂った母親が犯人と判明するくだりには唐突感がありました。本作の場合、記憶が修正され真実が浮かび上がる瞬間こそがクライマックスです。この枚数なら(30枚)、あえて事件の真相に到達しなくても良かったと思います。
《小池》残念に思ったところがあります。ミステリとしても過去の記憶をたどる物語としても不完全なままで終わってしまっています。特に主人公が弱いと思いました。なぞを解く過程も、友人からの伝聞や過去の記憶からの類推で構成されて、主人公自ら行動していません。美しくリリカルにたたずんでいるだけでは、どうしても魅力に欠けてしまいます。もっと行動させればリアリズムも出てくるはずです。
主人公以外の作中の人物(宍戸さん)も書き込みが中途半端で、作者が何かを逃してしまっている印象が残りました。
私なら主人公の目線をもっと重要視します。そうすることで生き生きと描けるでしょう。また震災後の町の雰囲気の描写にもっと紙数を費やすと思います。全体に紙数が足りない印象がありました。
「花、開く」長井千里
痛みに耐えながら背中にダリヤのタトゥーを入れる“私”。
職場では自分を押し殺し、淡々と、しかし確かに仕事をこなしているが、思うように感情を表せないことにやるせなさを感じてもいた。
彼女の日常と心の動きを追った短編小説。
【講評】
《小池》なかなかいい作品だと思いました。
ただタトゥーを入れることが主人公の苦しみの表現だという事は、作者の説明を聞いて腑に落ちましたが、作品からはうまく読み取れませんでした。ちょっと、ぼんやりと描かれていた印象があります。もっと強烈に、ストレートに表現して良かったと思います。
テーマは非常に新しさを感じさせる、現代的なものです。だからこそ、今回の書き方では少しもったいない気がしました。もっと臆せずに書き込んでいくことで、良くなると思います。
直した方がいいのは“地の文章”の書き方です。作中に登場する“わかりやすくおどろいてしまった”や“紙袋たち”というのは会話的表現で、地の文章にはそぐわないものです。また作中、垣間見える母と娘の関係は、読者をちょっと戸惑わせるのです。もう少し書き方を検討した方がいいでしょう。
《羽鳥》ほとんど小池さんと同じ感想です。タトゥーに込めたテーマ性など、たいへん感心しました。それだけに職場での描写は一考すべきです。今のままでは職場小説と読まれてしまいます。最近は母と娘の関係性を書く小説が多くなっています。女性にとっては重かったり辛かったり、ある種の枷になっている問題です。本作もそこをもっと書き込めば、主人公の抑圧がもっと鮮明に出たかもしれません。
後半のテーマトークは「小説におけるモデルとは何か」です。
池上先生の問いに小池先生が答え、羽鳥氏がときにコメントを加える形で進められました。最新作「沈黙のひと」の執筆を通して、小池先生が感じた事を中心に語られています。
同作は小池先生のお父さんがモデルです(家族構成などフィクションの部分も多いそうですが)。
先生はこれまで、実在の人物をそのままモデルにした小説は書いたことがなかったとのことで、またお父さんが亡くなってすぐには、お父さんについて書こうとも思わなかったそうです。しかしその後、遺品整理をしている中で思いがけないものが出てきたり、残されたワープロの中にあった知人に宛てた手紙を見たりするうちに、考えが変わって行ったとのことでした。お父さんは若いころ文学青年で、晩年、病を得ても頭脳は明晰で、最後まで読書を好まれていたそうです。しかし病の影響で言葉を失い、意思疎通はワープロを使って筆談していたものの、最後の二年間はそれすらできなかったとのこと。頭の中には言葉があふれ、言いたいことも山のようにあるはずなのに、コミュニケーションできなくなってしまったお父さんを思い、「父そのものを書きたくなった」とおっしゃっていました。
本作については、はじめてのモデル小説でもあり、戸惑いながら取りかかられたそうですが、執筆の過程で、生と死、父と娘、家族の在り方など、あらためて考えさせられたことも多く、結果的にはよかった、とのことです。
書くにあたって小池先生は、病気で身体の自由が利かなくなってコミュニケーションできなくなった、かわいそうな文学青年の成れの果て、という話にはしたくなかったとのことです。自分の父の話ではあるけれど、小説にする以上、普遍性を持たせたいと考えて書かれたそうです。実際、書き上げて世に出すと、老若男女いろんな世代からの反応が寄せられ、それが普遍性ということかと思われたということでした。
小池先生は、モデル小説を書く際に心がけることを問われると、実在の人物を書くことは難しく、特に、主人公の周辺人物を書く場合には、モデルにした人物がいてもそう思われないよう、気をつかって書いたとのことです。また羽鳥氏は編集者の見方として、モデルとした人物から、一定の距離を置いて書くことを勧められました。小池先生も同意され、あまりに密着しすぎると感傷的になりすぎたりヒューマニズムに寄りすぎたりしてしまう、と応じていらっしゃいます。
また、家族関係をテーマにする際の注意点もお話になりなした。
いま作家志望の若い方が書く小説では、家族については多くの場合、理想形に書かれているそうです。テレビのホームドラマに代表されるような、親子兄弟は皆たがいに愛し合い、家族は太いきずなで結ばれている、というような姿です。しかし先生は、実際の家族はそうじゃないとおっしゃいました。家の中では互いに案外、素っ気なく接し、だからこそ後になって「あのとき、ああしていれば」などと考えたりもするといいます。現実には病や別れなど、負の要素も多く体験せざるを得ず、だからこそもの凄く深いテーマになる、とのことでした。
(池上先生と小池先生)
その他に、同作執筆にまつわる、こぼれ話もうかがいました。
小池先生は最初、お父さんの死については、10枚程度の短いエッセイにするつもりだったそうです。
しかし担当の編集者さんが「そんな、もったいない」と猛反対し、強く小説化を勧めたとのこと。その結果生まれた「沈黙のひと」は、池上先生が「内容を思い出すと泣きそう」というほどの傑作になったのですから、読者としては、その編集者さんに感謝です。
(A.H.)