Post date: Jun 10, 2013 12:10:52 PM
2月講座の講師は詩人で川端賞作家の小池昌代先生でした。
今月のテキストは5作です。
武山祐子『冥土めぐり』(書評)
海野佳子『隣人』(エッセイ)
佐藤明美『いいんだよ』
山形裕昭『風を追いかけて』
於久凡『グラスホッパー』
講師による講評は次の通りでした。
『冥土めぐり』
(池上)前段として、その本に何が書いてあったのか、どういうところが面白かったのかが、あまり書かれていない。そのため書評部分を読んでもストンと落ちなかった。一方で書評部分では、ワンセンテンスに情報を詰め込みすぎの感がある。
(小池)書評は自分でも書いているけど、むずかしいと思う。特に書き出しの部分は書評に限らずむずかしい。本作ではベートーベンの運命を持ってきているが、あまり効果的とは言えなかった。書評を読むときは、書評する者と作者とのぶつかり合いを読みたいと思う。対立するものがあれば、そこに読者は引きつけられる。本作は残念ながら、あらすじ書評になってしまった。とはいえ、主人公の夫が起こした発作を「二人の人生そのものの発作であった」とした記述には光るものがあった。ここには打たれた。
『隣人』
(池上)本来気持ち悪いはずの白アリ駆除を、ここまで楽しく書くのはめずらしいし、気持ちいい。描写が細やかで情景が見える。面白いし共感できるんだけど、全体的に少しイイ子すぎて勢いを無くしている。エッセイは勢いがあった方が面白い。
(小池)気持ち悪いことを気持ち悪いと書くことが、駆除される白アリさんへの供養になる。なので「ごめんね」と書いては蛇足。また作中で他の作品(「もののけ姫」)を持ち出すのは、その作品のイメージに頼ることになるので、わたしは好まない。本作で重く感じたのは、震災と原発事故のあった年だけ羽アリについての記憶がない、と書かれた部分。するっと書いてあるのが良くて、余計に心に残った。エッセイを書くときは自分自身のことばで語るのが大切で、わたし自身も、そう心がけている。
『いいんだよ』
(池上)詩的に書かれた小説で全体としては悪くないが、ちょっと甘さが感じられる。主人公が相手の善意を全面的に受け入れる、というのはどうか? 毒とか悪意とかの要素も入れた方がいい。また主人公の年齢や、住んでいる場所、ちょっとした表情やしぐさなども、書かれていなくて不満が残る。読者の感覚を刺激する文章であってほしい。
(小池)主人公の女の子の母親が「自分のことより、いつも他人のことを考えなさい」と言っているけど、これは善人の悪意だな、と思った。きつい言葉で主人公を傷つける友だちの男の子たちを含めて、主人公と対立する人たちを、もっと強力な仮想の敵に仕立てて書いても良かったかなと思う。ただオチについては、大々大好き、や、下手でもいい頑張れば、など、ありきたりなところに持っていってはつまらない。もっと八方破れでかまわないので、結論に落ちないところで、踏ん張って書いてほしい。
『風を追いかけて』
(池上)一行空きを多用しているが、これは編集者などからはズルいとみられる書き方。メール的で緊張感に欠ける。一行空きにしないで書くと、多分つらいはずだが、それを乗り越えなければいけない。また、実際の感覚を書かずに済ませているのは良くない。味噌おでんの味や、カネやんのパフォーマンスなど、具体的に書かないと読者には伝わらない。
(小池)小説として見たときに、何がリアルなのか、考えなければいけない。会話ひとつとっても、そこから何かが動き出していく気配が欲しかった。またノスタルジックに昔を描いた作品だが、時代の前後関係があっていないところがありギクシャクした印象があった。時代背景を調べながら読む読者や、よく知っている読者がいることを前提に、注意して書いてほしい。また時代を語る素材がたくさん出てくる一方で、核となるものが弱くて散漫な印象があった。短編としては問題です。
『グラスホッパー』
(池上)女性の婚活や結婚後のすれ違いなどを描いた作品だが、全体的に問題があった。一番よくないのはオチで、離婚の原因となった女性について、カン違いでした、友人の妹だと気づかなかった、というのは無理がある。無理な設定で引っ張ると、読者との信頼関係がなくなってしまう。
(小池)視点については、ちょっと揺れていて気になった。主人公の自分自身への期待感や、お酒を飲むところの描写など、普段は見えない女性の暮らしの部分を、じっくり書いているのは良かった。また男性について「完成品」と評するなど、ある意味モノとしてとらえているところなどは面白かった。もっと主人公をあくどいキャラクターとして書いても良かったかもしれない。ただ友人の妹について気づかなかったとする設定は、やはり問題あり。また全体な構成も、展開が早すぎたり、新たな人物の登場の仕方が不自然だったりした。大胆な省略とフォーカスの当て方の、バランスが悪かったのが残念です。
・テーマトーク「樋口一葉と現代小説」
一葉については文体がむずかしいこともあり(雅俗折衷体)、私自身、以前は敬遠するところがあった。だけど朗読会で「聞いて」みて、印象が大きく変わった。音楽的で、おいしい水が体に浸み込んでいくような文章だと思う。一葉については、読むよりも聞く方がいい。耳で聞くと入ってきます。
一葉の小説は、ある意味、終わり方が残酷だと感じる。ぐいぐい書いて、そして切って行く。たとえば「たけくらべ」では、やがて遊女になる少女、美登利と、僧侶になる少年、信如の、恋とも言えないほどの淡い関係が軸になっている。この時代、この二人の人生は絶対に平行線のままリンクし得ないもので、かなしい小説なのだけど、最後に、美登利の家に花が置かれているところで物語は終わりを迎える。その花を置いたのが、はたして真如なのか、まったく書かれていない。あれほど書かない小説は、一葉だから、と言えると思う。
一葉という人は、わずか24歳で死んでいる。おそらくは自分の運命も、ある程度分かっていたのではないか。現実世界の酷薄さを身を持って生きた人なので、文章の最後を、ああやって切って行ったのだ、と思う。死を間近にした14ヶ月で多くの名作を残したが、壮絶な体験を経て「これだけは言わずには死ねない」というものを書いたと感じた。
それに比べると、わたしたち現代の書き手は、やさしいと言うか、書きすぎなのかもしれない。すごく自由に書けるし、よい手本もたくさんある。こう書けばいいよと教えてくれる環境もある。でも経験としては、すごく不足しているんじゃないか、生きていないんだろうな、と思う。一葉も一時期、書かない時期があったけど、われわれも一度、書くのをやめて、本当に書きたいのかどうか、それをたしかめる数年間というのがあってもいい。
ただ、それをやってしまうと世間から忘れ去られてしまうという恐怖や焦りはあるのだけれど。
(感想)
ことばや文章を大切にする、小池先生ならではの講座だったと思います。はっとさせられる見方や、自分などよりはるかに深い読み方などが随所にあって、眼を開かされる思いがしました。テキスト講評の中で、エンタメ小説のあり方についても触れられましたが、「エンタメはストーリー中心に陥りがちで、そこに甘えが出来てはいないか? ストーリーに気を取られるあまり、あらすじだけで作品を簡単にまとめられたりしたら、つまらない。ストーリーで読ませる以外の、別の要素もあっていい」との提言もあり、強い印象を受けました。
(HA)