9月講座ルポ

Post date: Oct 9, 2011 12:28:42 PM

◇9月講座ルポ

◆講師:逢坂剛(直木賞作家、もと日本推理作家協会理事長)

◆コーディネーター:池上冬樹(文芸評論家)

(会場の模様)

テキスト

・吉原彩子さん『相馬の日々』

・大美奏さん『うつわ』

・嘉川さちさん『祖父の浄土』

・コウリュウ麻子さん『FUKUSHIMAモナムール』

※受講生によるルポ

今月の講師は、国産ミステリの重鎮、逢坂剛先生だ。

「もっと前に、席詰めて。その方が連帯感あっていいでしょう」

逢坂先生の第一声で、私たちは前の席へ移動する。緊張感が高まる中、講座が始まった。

(受講生をぐっと引きつける逢坂先生)

第1部は、受講生が書いたテキスト4編 の講評。小説作法として指摘があったのは、「主人公の視点があいまいであること」「改行の時点、句読点の打つ場所が適切でないこと」「重言」。読者にとって、読み易い文章を書くよう心がけよ、ということである。大震災を扱った作品については、「震災は今なお深刻に進んでいて、それを書くの は非常に難しい。読者に何を届けたいか、じゅうぶんに自分の中で消化してから、客観的な視点を持って書くべき」と厳しい意見が出た。

(コーディネーターの池上冬樹先生)

第2部の前半は、「言葉、表現、視点のあいまいさについて」をテーマに、逢坂先生が講義。後半は、逢坂先生、池上先生のお二人が、テキストを使用し、文章のどこが、どうあいまいなのか、を具体的に解説してくださった。

(にこやかに話される池上先生[左]と逢坂先生[右])

いかにしてボキャブラリーを増やすか。どうすれば生き生きとした会話を書けるか。語感を鍛えるためにはどのような訓練をしたらいいか。逢坂先生は、小説の書き方は人に教わるものではない、としながらも、小説を書く上で、ご自身が考え、実践されてきたことを、惜しみなく話してくださった。 逢坂先生が、時代とともに変遷する言葉というものに、いかに真摯に向き合ってこられたかを、私たちは知ることとなった。

「時代小説を書くときは、出来るだけ当時に使われていた言葉を使用するようにしている。江戸時代に使われない言葉を使用してもいいのだが、そう いうものだ、とならないようにしたい。江戸時代の会話の文体を残しておきたい、という使命感のような気持ちがある」と話されている。江戸時代に、 どういう言葉が使われていたかが分かる辞書がないからと、今その辞書をご自分で作られているそうだ。

解説は、非常に解りやすかった。海外の小説は、バラバラな視点から文章が書かれていることが多く、読者が主人公に感情移入出来ない要因となる。 外国語特有の「あの」「その」「これ」「そして」「しかし」や所有格は、日本語の文章にはほとんど必要ないもので、多用すると、何を言っているのか分からなくなってしまう。逢坂先生曰く、「視点がはっきりしていて、読み易く、物語も面白いのが、いいんです」。

(小説の要素についてわかりやすく解説される逢坂先生)

講座が終わって、通り過ぎる言葉に耳を傾けながら、ふと、自分は今、「歴史」の先端にいるんだなあ、と感じた。数百年後、私たちが今いる現代 は、「時代もの」と言われる域にあることになるのだろうか。使われている言葉も、大分変わっているだろうか。

「物語というのだけじゃないんでね、小説っていうのは」

逢坂先生が、講座の最中に、ぽそっとつぶやいた言葉が何を意味していたのか、思いを巡らせてみた。

※逢坂先生のお父様は『鬼平犯科帳』などの池波作品の挿絵で知られる中 一弥氏。100歳を過ぎた今も現役でおられる。「自分の書いた小説に挿絵でも 描かせたら、親孝行になるかな、と思って」と話されていた。

(H・F)