Post date: Oct 19, 2012 6:03:27 PM
・九品我羅『命の次に大切なもの』
・雪野きりん『早春の梅』
・野田皐月『命の尊さは金に勝る』
・竹野政哉『プラットホーム』
せんだい文学塾の7月講座は佐伯一麦先生を講師に迎えて行われました。
佐伯先生は仙台市在住で講座の常連講師でもあります。
また近現代文学に対する造詣も深く、内容の濃い時間を過ごすことができました。
(的確で鋭い指摘をくださる佐伯先生)
今回のテキストは4本です。
1作目は九品我羅さんのエッセイ「命の次に大切なもの」。
震災を経験した作者が、周囲の人たちに大地震の際に必要な行動・物をたずね、答えを求めるお話です。
自分では動けない人を周囲の人たちが協力して避難させるエピソードで締めくくっています。
(講評)
タイトルや書きだし部分と最後のオチの部分がうまく整合しない印象はあった。
でもテーマはいい。実際、震災は災害弱者の存在をあらわにしたし、そこへの問題意識は共感できる。
ただ書き方には一考が必要。
周囲の人たちとの問答でも、だれが答えているのか、どんなシチュエーションで会話が成されているのか、で全く違ってくるのに、そこが描写されていない。
ことばには、出どころというものがある。
だれが、どんなしぐさや口調で話しているのか具体的に書くようにしないと、伝えたいことが読者に届かない。
単なる情報の羅列に終わらないよう、描写を心がけて書くといい。
2作目は雪野きりんさんの短編小説「早春の梅」。
若い女性が、庭先のブラックベリーが縁で、聴覚障害の女性と交流していく物語です。
(講評)
文章のリズムは良かった。
ただタイトルの付け方は再考すべき。オチがタイトルになるのは、やはり安易。
小説全体を象徴する何かを見つけて、それをタイトルにするといい。
作中、聴覚障害の女性との会話を筆談で行っているが、単なる情報のやり取りに過ぎないのはもったいなかった。
女性の書く字体や、使っている紙にこだわれば、相手の女性の性格付けに活かせる。
また、その女性の障害が先天的なものなのか中途でそうなったのか、は、作中でそこまで書くかどうかにかかわらず、作者は知っていなければいけない。
その人物のことをよく考えて、どういう言葉づかいで文字を書くのかまで、とことんこだわって書いてほしい。
3作目は野田皐月さんの短編小説「命の尊さは金に勝る」。
9歳の少女の祖父との思い出と、その遺産相続に対して感じたことを書いた物語です。
(講評)
時代設定が分かりにくかった。時代がはっきりするだけで伝わるものはあるので、分かるよう書いた方がいい。
会話はうまく書けている。方言を用いているが、それも生きている。
一番の問題は書き方で、どの人称を使うべきかという点。
9歳の少女の視点(一人称)で書くのはむずかしく、大人になってから9歳の頃を振り返った方が自然に書ける。
どうしても9歳の視点で書きたければ、その頃の感覚をもっと思い出さないといけないが、後半、遺言書の内容を扱う場面は、やはり9歳ではむずかしいと思う。
作中、ところどころ「体言止め」が使われているが、安易に使うのはやめた方がいい。
手術が終わった場面でも、≪手術終了。≫と書くのではなく、≪手術室から人がたくさん出てきた≫と書けば読み手には手術が終わったと伝わるはず。
4作目は竹野政哉さんの短編小説「プラットホーム」。
自分自身障害を抱えながらそれを秘し、恋人の両親に会いに行く青年の、独特の緊張感を描いた作品です。
(講評)
今回のテキストでは一番小説らしい作品。
難解だけど、もともと小説というものは言葉にしにくいものを言葉にしていく作業で、その点でも小説的だった。
作中、主人公が障害を持っている青年を介助する場面があり、助けられた青年の母親が主人公に礼を言わないのだけれど、この場面などは普通とは違う倫理観を整理していこうという意思が感じられて、ひかれる部分だ。
小説としては得手な分野とは言えないけれど、作者は小説の出来そのものよりも、自分の考えを上手く込めたいと考えているのだと思う。
あえていうなら主人公の持つ障害者手帳の見せ方は工夫した方が良かった。
それが何か、すぐ明らかにはせず、すこしずつ実態を見せて行った方が、読者を先に向かわせていく力になった。
(池上冬樹先生)
後半はテーマトークです。
テーマは「小説を書き続けるには」でした。
小説を書き続けるというのは、実はたいへんな事で、モチベーションとなる何か(怒り、後悔、など)がないとなかなかできないことだそうです。
また、たとえ一つの小説であっても、それを最後まで書き終える経験をした人もそう多くはなく、それだけに書ききった人は貴重な経験をしていると言える、とのことでした。
書き続けることによる成果は必ずあるそうで、その例として、この講座についても触れられました。
「せんだい文学塾」は、前身である「小説家ライター講座」を含めれば5年余りの間、行われています。
継続していく中で、受講生のみなさんの描写力や比喩の技法などは、確実に上達しているそうです!
描写については次のように述べられました。
自然や情景の描写と登場人物の心理を感応させる手法は、日本の小説の代表的な特徴だとのこと。
近代の作家、内田百閒は「焼け跡から見る四夜の月」の描写によって、わびしさを表現したそうです。
ところが最近の若い読者の中には本を読むとき「自然描写は飛ばして読みました」という人もいるらしく、
そういった読み方は誤読の元だということでした。
また比喩についても、さまざまな事例を語っていただきました。
たとえばかの文豪、川端康成の場合、代表的な著作「雪国」の中で、女性の肌を「白い陶器に薄紅を刷いたよう」と表現しているのですが、これは陶磁器への造詣が深い川端らしい手法だそうです。
また、紅を差すではなく、紅を刷く、と書くことで微妙な色合いも描き出しているとのことでした。
比喩を用いるにあたっては、みなさんの得意なジャンルを使った比喩を伸ばすべきで、
たとえば佐伯先生の場合、出世作となった「ショートサーキット」では、都市生活者の暗部と電気回路の短絡事故(ショート)とを、電気工としての経験に基づき、比喩的に結び付けたそうです。
また比喩を磨くには日常的な経験も重要とのことでした。
たとえば缶チューハイの缶などには、三角形のでこぼこ模様が入れられている物があります。
薄い素材に強度を持たせるための工業上の工夫ですが、これを比喩に活かすこともできるそうです。
同じような模様の入った、たとえば病院の窓ガラスにも破損防止のための模様が入っている物がありますが、それとイメージを重ねて、缶チューハイを飲みながらもの悲しさを感じる、とか、あるいは人間の皺とイメージを重ねて、これがあるから強くなるんだ、と、自身も皺のある老人に言わせてみるとか、いくつか事例を上げられました。
こういった日常的な経験で得られるものを自分の心に貯めておけば、いざというときに比喩として使えるとのことです。
ほかにも参考になるお話がたくさんありました。
とても内容の濃い講義だったと思います。
(HA)