Post date: Mar 14, 2012 2:41:37 PM
講師:角田光代(直木賞作家)
コーディネーター:池上冬樹(文芸評論家)
ゲスト:新井宏(文藝春秋)
今回の講座は「私ではない私を書く」というテーマで角田光代先生にいらしていただきました。角田先生は昨年の一月にも講師をしていただいております。
今回は三作のテキストが取り上げられました。
(にこやかな角田先生)
「サッカーボールウィドウ」(原稿用紙31枚): 弐希名 ロキ さん
【あらすじ】
かすみは保険会社の一般事務職。三年来の付き合いのヒロと同棲して十ヶ月になる。かすみは結婚を意識しているがヒロは趣味のサッカーに没頭している。
【生徒の感想】
・この男の人をどうして好きなのかがわからない。愚痴とのろけを聞いているよう。
・小説に現代的な機器を取り入れているのに対し、女性の考え方が古いのではないか。
・震災の影響を受けたことが作品内であまりにもあっさりと書かれすぎているのではないか。
【作者より】
・ライトノベルの新人賞を目指しており、漫画を文字で書きたいというスタンスで書いている。
・男の人とのやり取りをもっと踏み込んで書くべきだと反省。
【編集者 新井さん】
・30枚の分量内でよくまとまっている。
・小さいテーマを緻密に書くという形は、ライトノベルではなく純文学によくある形。ライトノベルで書きたいのなら、キャラクターを強化すべき。
・震災の話はいらない。この話の中で浮いている。
【池上先生】
・エピソードが一直線でお約束な展開。もっとハラハラさせるべき。
・この話はサッカーに嫉妬している女性の話。その中でどうキャラクターを立てるのか、シチュエーションを広げていく。受け身の主人公は、読者が離れていく。読者に感情移入させたいのなら、自分から動く展開にした方がいい。
【角田先生】
・小説はスタート地点から、どこかに話を持っていかなくてはならない。この話の場合は、A地点からずっとA地点にいる。A地点に終着するまでにいろんなところに行くのなら、それでもいいけれど、この話はずっとA地点にいる状態。読み手に愚痴とのろけを聞いている感じという感想を抱かせたのも、この女性が何もしないから。この話を作り込むならば、主人公をもっと作り込み、相手との関係を改善させるためにいろんなことをやらせる。作り込まないのであれば心理描写をとことん書くこと。
・震災のことは今後、すべての書き手がぶち当たる問題である。2011年以後の小説を書くのであれば、震災に触れないことは不自然。だが、触れてしまうとそのことに引きずられてテーマが見えなくなってしまう恐れがある。どう入れるか、どう入れないのか今後みんなが決めていかなくてはならない。
(熱心に話される池上冬樹先生{左}と角田先生)
「湖の中」(原稿用紙44枚) : 嘉川 さち さん
【あらすじ】
結婚式を一か月後に控えたある日、紀子は婚約者の智弥から結婚できなくなったと告げられる。別の女性を妊娠させてしまったのだという。紀子の元に智弥を奪った女、由衣から会って話したいと連絡があり、紀子は一度だけ会うことにする。
【生徒の感想】
・一気に読めるが、つじつまが合わずつまづくところが多々ある。
・仕返しが手ぬるい。
・智弥があまりにもひどい人間として書かれていて、智弥のことを好きになる理由がわからない。
・最後に沈めるのがウェディングドレスというのは弱い。
【作者より】
・もっと激しい報復(犯罪をおかす)も考えていたが、とどまった。
・ウェディングドレスをオーダーメイドすることはその人との関係で使うもので、他の男のために使うとは思えない、ということで沈めている。
【池上先生】
・言葉にもっと悪意をこめる。ドキッとするような言葉をよく考えること。
・手ぬるいと思わせてはだめ。カタルシスがない。
・冒頭をもっとゆっくり読ませる。
【編集者 新井さん】
・進行がありふれているが、やりようによれば三本の中で一番よくなる。
・捨てられて当然の、本当に嫌な女が透けて見える。この部分をもっと匂わせることが出来れば、もっと良い作品になる。
(編集者目線での建設的意見を述べる新井さん)
【角田先生】
・智弥をここまで嫌なやつにしなくてもよかった。(結婚を破棄するだけでも十分ひどい人間)人格的にリアリティを感じられない。
・女性をもっと作ったらよかった。作者が自分の書いている人物に、あまりにもひどいことをさせられなくなっている。自分から登場人物を引き離す。プライドが高い嫌な女で、45歳くらいにしてもよかった。作ることをもっと意識した方がよい。
「桃缶とぶどう」(原稿用紙80枚) :今北 玲子 さん
【あらすじ】
昭和39年、小学五年生の沙耶子は「ぼろくず屋」の娘夕子の隣の席になる。沙耶子はいつも裸足で貧しそうな夕子と友達にはなりたくなかった。
【生徒の感想】
・時代の雰囲気が出ていてよかった。
・気位の高いお母さんが最後に夕子を受け入れるのと、夕子がいい子すぎるのが少し引っかかった。
・お母さんは子どもから見れば嫌な部分のある人だけど、実は心の広い人、という感じでよかった。
・気持ちの変化がよく伝わってよかった。
【作者より】
子供の見栄、プライド、妄想など。友だちは作るものではなく、出来るものというのを書きたかった。
【新井さん】
・完成されており崩せない作品。
・しかし文学性では欠点だらけ。(いい人だらけ、先鋭的な先生が保守的になっている)
・400枚くらいでクオリティが落ちなければ、本になってもおかしくない作品。
【池上先生】
・泣かせるし、キャラクターもいい。良いけれど強さがない。異分子、悪意のある人間を出さないと難しい。
【角田先生】
・すごくうまい。ステレオタイプなのに、嫌味がなく面白い。
・みんないい人になっている、折り合いのつかなさが残る。毒が欲しい。
・面白いけど意外性がないのでもったいない。
・この話を1章にし、2章で70年代を書き、3章でバブル4章で現代という形で主人公二人の立場が逆転している、とかにすると面白いのでは。
2部では「私ではない私を書く」というテーマでお話しをしていただきました。
角田先生は小説の主人公である「私」と小説の作者である「私」をできるだけ離すようにしているそうです。また、先生はキャラクターを作るときに、年齢性別、家族構成、血液型、出身地、女子効果そうでないか、海のそばに住んでいるかどうかまで考えていらっしゃるそうです。
小説の書くことは純文学、エンターテイメントに限らず、自分と向き合う必要のある行為だと思います。しかし、登場人物の中に自分を投影しすぎてしまえば、読んだ人から共感を得ることは難しくなってしまったり、魅力的な登場人物を生み出せなくなってしまいます。自分から生まれた、自分ではない登場人物と、書いている「私」がどのように距離をとるのかということは良い作品を書く上でとても大切なことなのだと感じました。
(Y・M)