飯村先生の逝去を悼む

2022年8月28日、我々MINCYの運営委員会の事務局長として10年以上の間、支え続けてくださった飯村穰先生が逝去されました。MINCY設立の当時から、共にMINCY発展のために努力して来た友人の一人として、私からMINCYのホームページにメッセージを書かせていただきます。まずは先生の略歴ですが、これは私が新潟県のある企業の小冊子に文章を寄せるに当たり、飯村先生についても記述する都合から、飯村先生ご自身に自己紹介文を書いていただいたものからの抜粋です。勿論、記述に誤りがあれば私の責任です。


・飯村 穰先生の自己紹介

1969年 東京教育大学(現 筑波大学)大学院修士課程修了(農芸化学専攻、応用微生物学講座)

恩師 阿部又三先生のもと、「麦角アルカロイドの生合成に関する研究」。

阿部又三先生(1909~1992年)(農芸化学会名誉会員、学士院賞受賞)

先生は東大(昭13年卒)、坂口謹一郎博士門下、子嚢菌の一種、麦角菌の権威。

麦角菌の分離からそれらの生態、生理生化学的な膨大な研究がある。

 私はこの阿部先生の麦角菌の特に自然界からの分離とその生態学的、生理。生化学的研究に対する情熱に感化されて微生物の道に入った。

1969年 醸造試験所に就職。

その後4年間、名古屋国税局鑑定官室で主として東海地方の酒類の技術指導にあたる。酒造技術は経験的要素の蓄積であり、酵母や麹菌の細胞レベルでの研究が必要であると実感した。一方で、穀物や果実そのものを原料に用いる醸造には他の産業にはない興味ある現象そして研究課題があることがわかった。

1974年 醸造試験所に戻り、大塚謙一博士、原 昌道博士のもとで「ワインの産膜に関する研究」。

この研究で農学博士(東京大学)、農芸化学会技術賞(酵母による産膜のメカニズム解明とキラー酵母を用いたワインにおける純粋培養系の構築)

1980年 西谷尚道博士、大内弘造博士のもとで遺伝子工学的手法による醸造微生物における分子レベルで機能解析を開始。

1982年 シティー・オブ・ホープ研究所(カリフォルニア)研究員 酵母のスプライシングに関する研究

1984年~1992年 この間1988~1989年 名古屋国税局鑑定官室

麹菌、酵母等の醸造機能の発現に関する分子レベルでの研究。  

五味勝也氏(現、東北大学)らとともに形質転換系の研究、麹菌タカアミラーゼ遺伝子の塩基配列とその発現制御、有害遺伝子の破壊など。 

この間、田村學造先生所長の醸造資源研究所との共同研究。

田村學造先生から多くのご指導をいただいた。

1980年以降、秋山裕一先生には終始、変わらぬ多大なご支援をいただいた。

1993年 醸造試験所広島移転にあたり、移転準備担当

1995年 醸造研究所微生物研究室長 

五味勝也氏(現東北大学)、山田 修氏らの研究室員とともに麹菌、酵母にける遺伝子発現機構を中心に研究。

1997年 山梨大学工学部教授(応用微生物学研究室)

2004年 山梨大学大学院医学工学総合研究部(生命工学)教授

この間、ワイン酵母をはじめ酵母の遺伝子発現に関する教育、研究

2009年 退職

私(飯村)なりにバイオテクノロジーの魅力を考えると、新しい現象を見出し、そのメカニズムを解明して理論化し、それを新しい技術に結びつけること。学生の皆さんにも具体的な課題を通してその考えを醸成してきた。

微生物が関与する生産過程では、複雑な要素が絡み合っており新規現象の解明には試行錯誤も多く、一筋縄ではいかない。その複雑さの中から新たな理論を構築して技術にまで育てていくことこそ、バイオテクノロジーの神髄であり面白さでもある。このことは微生物に限らず穀物や果実を栽培する農業一般にも通ずることと考えている。

酒類の醸造について見ると、原料は単なる糖やデンプンではない。極めて複雑な成分と構造を持った穀物や果実そのものであってネイティブな状態の物を基質に微生物を作用させる。そしてその生産物は嗜好性の高いものが求められ、そこでは多成分が質量ともに調和し人の心を和ませるなどの目的に叶った物でなければならない。そのことは医薬品生産などの単一物質の生産とは趣を大きく異にしている。

何れにしてもバイオテクノロジーは生物生産過程で見られる新規現象から出発し、それを理論化し再び生産過程に応用する。そこで新しい問題(現象)が生じたらそれを理論化し新しい技術に結び付ける正のスパイラルをたどる。すなわち自然を規範として生命現象から出発し生命現象に戻る本来、極めて自然との調和がとれた学問といえる。その意味でITはじめ他のテクノロジーにはない魅力がある。学生の皆さんには機会あるごとにそのことを強調してきた。 


以上が飯村先生ご自身の自己紹介です。以下に飯村先生とのMINCY創設に関わる思い出を少し書かせていただきます。先生が山梨大学を退職された2009年頃から、私(髙木)は山梨大学の教授、長沼孝文先生の持っておられる桃の農園の下で桃源郷を愛でる酒宴を持ちたいとの希望を飯村先生に相談をし、長沼先生にその話をいたしました。誠に勝手な依頼でしたが、長沼先生は快くこの我儘を受け入れてくださり、毎年春に山梨にある先生の桃園を訪問し、酒宴の会を開くことになった次第です。最初は長沼、飯村両先生と髙木とそれぞれの連れ合いの6人が参加者でした。それ以来、特にご婦人方には大変ご迷惑をおかけしていることになります。後に、私の東京大学大学院での教え子であり、新潟薬科大学に勤務していた高久洋暁氏(現、新潟薬科大学応用生命科学部学部長、MINCY運営委員)も新潟から山梨まで遠路、駆けつけてくれることになり、総勢7人の会となりました。毎年春に開催したこの会(ここ2-3年はコロナ禍で中断)の趣旨は当然、桃の花を愛で、お酒を楽しみ、そしてできれば少しでも共通の興味である微生物、酵母の研究発展に寄与するような議論を展開し、極楽を味わうことです。

こんなきっかけで始まった桃の会ですが、数年のうちにそこでの議論は我々の共通の研究課題である酵母について、特に「自然界にこれほど多くの種類の酵母の存在が確認されているのに、産業的に活用されている酵母はS. cerevisiae以外にはあまりパットしないのは何故だろうか」という疑問に収斂していきました。そこで、S. cerevisiaeを含む数種のよく研究や産業で利用されている以外の酵母、よくnon-conventional yeastsと呼ばれる酵母達の研究が不足しているのではないか、ということになり、これら酵母の研究者が集まり自由に意見を述べ合う研究会を立ち上げるという構想が生まれました。この構想の生まれた遠因には、日本の応用微生物学の祖とも呼ばれる坂口先生が一生を通じて求めた、多様な微生物の探索や研究、さらには若い人たちに交流の場を提供するという精神のささやかな継承の意が含まれています。この会の名称としては新産業酵母研究会(Meeting of Industrial Non-Conventional Yeasts)、略してMINCYといたしました。2011年に実際にこの会をスタートさせるにあたっては上に名前を挙げた飯村、長沼、高久の3人の他に、この分野の研究に興味を持つ何人かの研究者の方々に協力をお願いしましたが、それらの方々は現在もMINCYの運営委員会のメンバーとして活躍していただいております。そのお名前やMINCYの活動に関しては、MINCYのホームページを是非ご覧頂きたいと思います。

最後になりましたが、飯村先生の飾らない、誠実な人柄は、学生、友人、同僚を含む多くの方々の敬愛を受け、決して裏切られることのない安心感を人々に与える貴重なものだったと思います。先生のご逝去を心から残念に、また寂しく思います。ここに飯村先生のご冥福をお祈りし、私からのメッセージといたします。


髙木正道(新潟薬科大学名誉教授、前MINCY会長)