[裏14]安全第一

名は体を表すといいますが、研究の世界でもときどきありますよね。ヒトの配偶について書かれた論文の著者がLovejoy博士だなんてドキッとしますし(Lovejoy, 1981, Science)、数や計算にかかわる漢字がお名前にフンダンに入っている某先生(日本心理学会の元理事長であられたりする)のご専門が心理統計だったりすると、下々の会員としては、ただ深く深く頷くしか無いわけです。そこに行くと自分の名前はなんて平凡で、せめて「進」とか「化」とか「心」とか「理」とか「学」から一文字くらい入っていても良かったんじゃないかと思うのは、皆さんにもご同意頂ける所ではないかと思います。

なぜそんなことを思ったか。自転車のヘルメットなのです。東京に引っ越してきたら、思いがけず自宅近くに快適なサイクリングロードがある環境になりまして、しばらくぶりに週末にサイクリングに出かける生活になりました。自分はヘルメットをかぶるわけですが、すれ違うサイクリストの中に、しばしばノーヘルの方がいる。主観ですが、どちらかというと高齢の、リタイア後にサイクリング趣味を復活させました的な男性諸氏に多いようです。「あっぶないなー。怪我したら治りも遅いんだし、家族にも迷惑かかるんだから、ヘルメットくらい被ればよいのに」とか「いっそ、子供だけじゃなく高齢者も自転車ヘルメット義務化したほうがいいじゃない?」とか勝手にナイーブに考えておりました。

それが少し前に、クリス・ボードマンという元自転車選手(オリンピックの金メダリスト)の話をきいて、なるほどと目からウロコだったのです。ボードマンさん、引退した今ではイギリス政府の自転車政策のアドバイザーをされているそうなんですが、その彼がBBCの番組に出演した際にノーヘルで、そのために「炎上」したそうです。でも、ご本人は確信犯(元々の意味で)であった。ヘルメット装着をうるさく言うことで、自転車に乗らなくなってしまう人が出てくると、自転車による健康促進効果が失われるし、他の交通機関を使えば排ガスも出る。ノーヘルで事故にあった時のリスクもあるが、前者と比べれば大したものではない。ゆえにヘルメット推進活動などより、もっと優先するべきことが沢山ある、というのです。いや、さすがと思いますね。語弊のある言い方をすれば、「ノーヘルで頭を強打して重症を追う人は一定数出るだろうが、それよりも自転車に乗る人が減ることの方が、社会全体でのコストとしては大きい。ゆえにヘルメットをどうするかは個人の自由だ」ということですからね。いやぁ自己責任ってこういうことかと感心しました。

もっとも、こういう話をすれば当然、そのコスト計算は合っているの?という疑問が出てくるものです。少し調べた限りでは、これまた当然というか、なかなか難しい問題のようですね。つまり、自転車に乗ることによる健康増進メリット、ヘルメットを被ることによる怪我防止メリット、そしてヘルメットを義務化することで自転車に乗らなくなる確率を推定する必要があるのですが、そのどれをとっても、簡単なものではないからです。ニュージーランドでヘルメット義務法を導入した前後でのデータを用いた分析などがいくつかあるようですが、これまた当然予想されるように、賛成反対侃々諤々の議論が続いているようです(Taylor & Scuffham, 2002など)。

しかし実際、ヘルメットを義務化したら自転車に乗らなくなるという話は、分からなくもないです。サイクリングロードですれ違うノーヘル・ライダーについても、それは一定程度予測できる。だいたいどの方も、ぱりっと決めた格好で乗っていて、つまり、スタイルとしてノーヘルだと考えられる方々だからなのです。あんな醜いものを被るくらいなら、自転車には乗らん!といってやめたために運動不足になって、それで健康が悪化する危険性も、ないではない。

いやはや世の中単純じゃないですね。さらにさらに、ヘルメットを被ったほうが、ある意味では、むしろリスキーかも知れないとも言う話まであるのです。たとえばPhillips (2011)さんたちの研究。坂の上で自転車乗りを待ち構えます。やってきたサイクリストに協力をお願いして、1回はヘルメット有りで、1回はヘルメット無しで坂道を下ってもらったところ、もともと自前のヘルメットを被っていた人は、ヘルメット無しになったらスピードを落としたっていうんですね。逆に言えば、ヘルメット被っている時のほうがスピード出してる。よりリスキーな乗り方をしていたというのです。一方で、もともと被ってなかった人は、貸してもらったヘルメットを被ってもスピードアップしなかったというので、話はそこまで単純じゃないですが。著者らは、スピードを出す層の人がヘルメットを被っていたんじゃないかと推測していて、これは自分が自転車乗る時のことを考えると、けっこう納得の説明ではあります。

それでようやく本題なんですが、Phillipsさんらの研究から、またぞろ妙なことを言い出した人がいるんですね。曰く、その実験だとヘルメットを被っている場合と被ってない場合を比べていることが参加者にバレバレではないか。要求特性のオンパレードだよオッカサン。ここは一つ、参加者に意図を気づかれないでヘルメット効果をみるべきじゃろう。なにかというと、気の利いた心理学教室にはもはや必須のデバイスとなった感もある(悔し涙)視線検出装置ですよ。あれ使った実験をやるといって参加者を募るんです。それで、半分の人たちでは、野球帽を使ってその装置を頭に固定する。残り半分は自転車ヘルメットを使って固定する。それからパソコン画面で風船が膨らんでいくのを、ギリギリまで停止ボタン押すのを待つってゲームをやってもらう。バーン!って破裂しちゃうと0点だけれど、大きい風船にできればできたほど高得点。分かりやすいですね。結果ももちろん分かりやすくて、ヘルメット被った人のほうが、ギリギリまで粘った。ただ被るだけでリスキー。

これがまた妙ちくりんな論文なのです。まず視線検出装置。これ嘘だったんですね。でも機械は本物です。視線をちゃんと測るためには、事前の調整が必要なのですが、わざわざ「調整してるふり」をするためのウソプログラムまで作ってる。そこまでやるなら正直に測定しておけば良いのに?と思うんですが、何か嫌な理由があったんでしょか。一番壊れやすいデリケートなパーツは取り外して実験したって書いてあるので、そこら辺が理由だったのかもしれない。

そして結果。ヘルメットを被るだけでリスキーになる。それもPC画面上でリスキーになるということで、現実世界での物理的危険を犯すのとは話が違う。そんなことあるんだろうか。著者らも書いてますが、昨今何かと話題にされてしまっている社会的プライミングの実験なんですよね。そして掲載されたのが、これまた色々とネタにされてしまっているサイクサイエンスときたものですから、怪しさがいや増しに増しますね。もっともサイクサイエンスは2015年に編集長交代を含めて、結果の再現性問題に真剣に取り組むという声明を挙げてますし、論文は2016年のものだから、まぁ大丈夫なのか?思わず論文の受理日か発行日が4月1日になっていないか確認してしまいました。その一方で、最近の論文らしく、事前にサンプルサイズが十分かチェックをしているのですが「大きな効果量があるなら十分に検出できるだけのサンプルサイズだ」とか書いてあって、いやなんでそんなに強気なの?と、これまた不安を煽る。そして極めつけが、著者の名前がWalkerさんとGambleさんなんです。「メット被るとギャンブラーになるぜ。ま、俺はもともと徒歩派だけどな」とでも言うのでしょうか。どこからどこまでもネタ満載な感じの論文で、編集長含めて関わった人が後ろであっかんべーしてないか、心底不安になる論文でした。こんな危ない論文。著者はきっとヘルメットを被りつつ書いたのでしょう。

注:こうした損得の計算はもちろん非常に複雑で、未だ定まった結論が得られているわけではないようです。引用したT&S論文にしても、子どもについてはヘルメット義務化の利益の方が大きそうだという計算結果です。