[裏22] 前か後ろか、迷います。

あれはそう、あの言葉を使ったのは、多分おそらくあの会議の時が初めてだったと思います。前年度の活動報告をし、今年度の計画を説明する。そんな某運営委員会の場で、必ずしも専門ではなく、事情がよく分かっているとも思えない委員から、対応できなくはないけど面倒。何よりコストに見合う効果があるとは到底思えないような提案を賜った時のことでした。つい口をついて出た「前向きに検討いたします」。汚れつちまつた悲しみに

大人になるって、そういうことですよね。付け合せの野菜が急に美味しく感じられるようになったり、世界史で習った過去の出来事の意味が腑に落ちたり。年を取ることで人生の幅が広がって楽しいことも沢山あって、未来に対して基本的には前向きな姿勢でいるつもりなんですが、他方で「善処したいと思います」なんて、それ善処する気全然ないだろうって言い回しとか覚えちゃったりして、思わず自らの来し方行く末を思ってしまったり。。

でもね、前向きな姿勢が後ろ向きなのは、別に今に始まったことじゃない。中国古代から連綿と続く言葉の綾なのかもしれません。突然ですが質問です。「10年前を振り返って、前途洋々たる新人だった彼女が、10年後、このように立派に成長してくれて、感慨もひとしおです」。さて、この言葉を言った人は、最初はどっちを向いていて、最終的にはどこを向いているんでしょう?

中国語でも同じような問題があるそうで、以前に「中国語では”以前”という言葉で過去を指し、”以後”という言葉で未来を指す。ということは中国では人々は過去を向いているんだ!」(かなり乱暴な意訳)という議論があったらしいのですが、それじゃぁなんで過去を”振り返る”ことを”回顧”と言うんだという批判が当然のごとく出てきて、実にさまざまにいろいろな議論が行われているようです。ざっくりまとめてしまうと、英語では未来は前にあるけれど、中国語ではそうとも限らない。道の無い前に向かって進むこともあるし、道を作った先人が前にいることもある。そんなことになっているんじゃないかと、それが言語学における一つの知見のようです(Yu, 2012)。すっごくややこしい論文なんですが、いろんな奇妙な文例がたくさん出てきて、言葉遊びが好きな方には大変お勧めなのでお勧めです。

それで研究者は考えるわけです。それじゃ中国語と英語のバイリンガルの人はどうなるんだろうね。毎週水曜日に会議を開いているんだけれど、来週の会議は事情で二日前に変更しました(move two days forward)。さて、会議は何曜日に開かれるでしょう? 月曜日ですよね。中国語モノリンガルの人もそう思うそうです。一方、英語モノリンガルの人は金曜日と思う。でもそれは、それぞれの言語の慣用表現のせいかもしれない。だから問題は、中英バイリンガルの人が英語で聞かれたときで、そうすると意見が割れるんだそうです。ならば次はバイリンガルの人に中国語で聞いてみよう。午後1時にあってる時計を1時間前にして下さいな(move the clock one hour forward)。やっぱり意見が割れたそうです(Lai & Boroditsky, 2013)。ふむふむ。でも日本語だと、時計を一時間進めて、って表現もあるな、なんて思ったり。いずれにせよ、中国の人にとって、未来は前にも後ろにもなるようです。

ジェスチャーも変わってくるんじゃない?って意見が出てくるのは、ある意味、当然の帰結と言えるでしょう。指差しプライミング実験をやってみましょう(Ng et al., 2017)。パソコン画面に出てきた人物が(彼女にとっての)前方を指差しする。それから「古典」とか「原始」とか"ancient"とか"ancestor"とか、そういう言葉が一つ読み上げられる。聞いたらできるだけ早く、それが未来にかかわる単語か、過去にかかわる単語かを、実験参加者に判断してもらったのです。英語話者は前方指差し後に未来に関する単語が出てくると反応が早く、過去にかんする単語が出てくると反応が遅くなった。後方指差しだと逆のパターン。でも中国語話者ではそういうことが生じなかったという結果で、まぁ、予想通りだね。ひねりはないけどそこそこ面白いよね。とか不遜にも思っていた矢先に、ある一文でハタと固まってしまいました。

For example, the word “after” was responded to consistently faster by participants when paired with a forward point gesture (1,202 ms) as compared to when it was paired with a backward pointing gesture (1,299 ms).

あれ? afterって「〜の後」って意味だよね。え、afterって前にあったの? ちょっと話が違くない? 以前から右と左の区別は苦手と自覚して生きてきましたが(自分は左利きだから箸を持つ手の反対が右、というのが右の理解。そういう人、多いですよね?)、よもや前後さえも不覚であったとは、まさに不覚でした。

-------------------

References

Yu, N. (2012). The metaphorical orientation of time in Chinese. Journal of Pragmatics, 44(10), 1335–1354. http://doi.org/10.1016/j.pragma.2012.06.002

Lai, V. T., & Boroditsky, L. (2013). The immediate and chronic influence of spatio-temporal metaphors on the mental representations of time in English, Mandarin, and Mandarin-English speakers. Frontiers in Psychology, 4(APR), 1–10. http://doi.org/10.3389/fpsyg.2013.00142

Ng, M. M. R., Goh, W. D., Yap, M. J., Tse, C.-S., & So, W.-C. (2017). How We Think about Temporal Words: A Gestural Priming Study in English and Chinese. Frontiers in Psychology, 8(JUN), 1–10. http://doi.org/10.3389/fpsyg.2017.00974