研究公正の推進にインセンティブを与える

2017年2月12日

岡山大学 田中 智之

追記:本記事をベースとして「帰ってきたガチ議論」サイトに記事「研究公正を推進するためには何が必要か?」を投稿しています(2017年7月25日付)。関連する資料を整理し、論点を絞りました。そちらではコメントをつけることができます。

研究機関における不正が発覚、あるいは内部告発があった場合、これを受けて機関の執行部ではどんな議論が起こるでしょうか。「直ちに予備調査を行い、疑義に合理性があると判断できれば、第三者調査委員会を設置しよう」研究公正という観点からはこんな意見が望ましいわけですが、組織防衛という観点からは次のような有力な反論ができます。この反論を抑えて公正な調査を実施するためには、研究機関の執行部が組織運営という観点からは全く合理性のない判断を下すほかありません。昨今の研究機関の運営は従来のように研究者のみで行われているわけではありませんので、研究における誠実さをいくら主張したところで、単なる理想論として退けられる可能性もあります。表向きには誰もが研究公正の推進に同意しますが、これを実行するためには様々な犠牲を払わなければいけないのが現状です。

・第三者調査委員会の設置、審議、報告書のとりまとめ等、研究機関にとっては大きな負担が発生する。そして、不正が事実であることが認定されれば、外部評価の審査では研究不正が生じる土壌があると評価され、改善のためにコストのかかる諸方策が求められる可能性がある。これらは機関運営においてはマイナス材料でしかない。

・不正が事実であることが認定されれば、文科省をはじめ監督官庁から間接費削減という形でペナルティを科される可能性がある。

・不正が事実であることが認定されれば、当該研究者に懲戒処分を与えなければいけない。不正行為とその懲戒処分の程度については、コンセンサスが存在しないので、過去の類似した事例の中で一番軽い処分と比較することで、訴訟を起こされる可能性がある。懲戒解雇などは最も訴訟リスクが高い。

・大型研究費を獲得している研究者の不正が発覚した場合は、研究資金提供機関から返還を求められる可能性がある。厳しい運営を強いられている研究機関にとっては死活問題となりかねない。

・一方で、研究機関による研究不正疑義の無視や隠蔽、あるいは強引なシロ判定について文部科学省からペナルティが科されたことは一度もない。STAP細胞事件のような話題性がなければ報道は一般に低調であり、社会からの研究機関の評価が損なわれることはほぼない(研究者からの評価は損なわれるが、同時に彼らは多くの研究機関が似たような状況であることを知っている)。

・以上から、組織にとってもっとも合理的な対応は、研究不正疑義の指摘をできるだけ無視し、調査を行う場合も決して不正を認定せず、当該研究者が訴訟を起こす可能性がある場合は決して懲戒処分を実施しないことである。また、構成員に対しては内部告発には意味がなく、逆に告発行為にリスクがあることを十分認識させることが望ましい。

文部科学省の現在の方針のように、研究機関が調査を実施し、その結果に基づき懲戒等の処分を下すというシステムが適切に機能するためには、上記の課題を解決する必要があります。かなり強い調子で調査対象者の研究に向かう姿勢を批判し、かつ論文の修正まで求めているにも関わらず、不正は認定しないケースや、明らかな捏造を単なるミスですませてしまうといった調査委員会の報告は、研究機関にとっては極めて合理的な対応といえます。一方で、このような歪んだ裁定が日常的になれば、研究不正は事実上容認されていると受け止める研究者も出てくるでしょう。ローリスク、ハイリターンという見方もできます。現行のシステムに内在するこの利益相反状態を解消しないうちは、研究環境の改善は望めません。研究公正を推進しようという内部の意見に対して、これをサポートするプラスのインセンティブを与えなければいけません。そして、そうした改革ができるのは、個々の研究機関やFunding Agencyではなく、文部科学省をはじめとする監督官庁です。