"Tide of Lies"のその後:臨床研究の不正の影響は大きい

2020年9月7日

京都薬科大学 田中 智之

弘前大学医学部の元教授による研究不正は、Scienceで"Tide of Lies"というタイトルで記事として取り上げられましたが、その後、Natureも歴史的な不正として批判しました[1, 2]。この事件は、オークランド大学(ニュージーランド)とアバディーン大学(英国)の研究者のチームが告発したものですが、論文としては、元教授らが発表した33のランダム化比較試験(RCT)における不自然な点を指摘した2016年のものが最初の報告です[3]。それまでにも、同じ領域の研究者から疑義がとなえられていたようですが、この論文が出るまでは元教授が不正を認めることはありませんでした。

この告発のあと、関連する4つの研究機関(弘前大学、久留米大学、慶應大学、ニューヨーク大学ウィンスロップ病院)による調査が開始されました。しかしながら、告発者たちに調査結果を報告したのはそのうち3機関で、それらの報告書の内容も非常に質の低いものだったようです。彼らは、不正調査報告書の質を評価するためのチェックリスト[4]を用いて、いずれの報告書も受け入れることができないレベルであることを報告しています[5]。この論文で指摘されている調査報告書の問題点は多岐にわたるのですが、大きなものとしては、「不正の有無の確認に焦点があたっており、対象論文の科学的な妥当性や信頼性については何の評価もない」ことがあげられています。当時の研究資料や記録が残っていなければ、不正と断定することは難しいです。本件の首謀者とされている元教授は、Scienceの記事によると自死しているとのことで、根拠資料の収集には大きな障害があったことが予想されます。学術誌側のジレンマは、自ら原資料にあたって調査することが難しいことであり、研究機関側が「研究を裏付ける資料はないが、不正かどうかは分からない」という曖昧な評価した際には、学術誌としての姿勢が問われます。撤回した際の訴訟リスクを考えるような学術誌であれば、うやむやにしておくという選択肢もあるかもしれません。発生頻度が極めて低い複合疾患の患者を短期間に多数リクルートしているという記載は、それだけでその研究論文の正当性を疑わせるものだと言えますが、そうした状況証拠に基づいて果断にねつ造認定をすることは難しいかも知れません。しかし、疑わしい論文がねつ造である場合の悪影響には誰が責任を取るのでしょうか。

告発者のチームは、33のRCTのうち、影響度の高そうな12論文(IF=4以上)を対象に、それらがどの程度引用されているかを調べました[6]。2016年の段階で、1158の研究報告に引用されており、そのうち68がシステマティックレビューやメタ解析、総説、治療ガイドライン、臨床研究の根拠といった場で利用されていました。さらに、このうち少なくとも13が、結論が変わるというレベルで影響を受けていると評価されています。しかし、残念ながら、これらの二次的な研究論文等の訂正、再評価の進捗ははかばかしくありません。JAMAという有名医学誌に掲載された論文は、少なくとも5つのRCTの計画の根拠論文となっており、それらの中でも大きなものは2919名の被験者を集めているそうです。また、日本骨粗鬆学会のガイドラインは2015年版が最新ですが、研究不正が発覚してから現在(2020年8月)まで、元教授らによる撤回論文を参考文献として掲載し続けています。不正論文の影響は広範ですが、訂正や撤回が遅れれば遅れるほど、影響を受ける患者の数は大きくなります。ガイドラインに依拠した治療が行われる可能性は高いはずですが、臨床現場においてどの程度の影響があったのかは未だ明らかではありません。告発者らの解析は、国内外において不適切な(根拠のない)治療方法が採用された可能性があることを示唆しています。

告発グループは、元教授らの論文を精査する中で得た経験をベースに、疑わしい臨床研究を見分けるためのチェックリストを提案しています[7]。REAPPRAISED(再評価)テストと名付けられていますが、これは査読の際に役立つばかりではなく、既に公表されている臨床研究論文の質を評価する上でも有用です。また、告発グループはごく最近、33のRCT以外の研究論文にも問題があることを報告しました[8]。これらは、RCTの不正ほど臨床には影響を与えないかもしれませんが、この事件の背景について新しい情報を与えるものです。ここでは、ひとつの研究が複数の論文に利用されるという形で多重投稿が行われた疑いが指摘されています。また、単なる多重投稿とは異なる点として、対となる論文間で矛盾した記載があることも指摘されています。この事件では、元教授とお互いの論文で無条件に共著者となることを約束していた研究者がいることが既に明らかになっていますが、今回の報告では元教授の名前のない論文においても不正の疑いが指摘されています。国内で入手できる調査報告書、および文科省の公開情報としは、弘前大学に関する簡潔なものしかないのですが、ここでは元教授のみが不正認定され、他の共著者は全員、研究の実質には関わっていないギフトオーサーとされています。しかし、実態はそのような単純な構図ではないかもしれません。

告発グループは、過去にも臨床研究を中心に、いわゆるQRP(疑わしい研究活動)と呼ばれるような研究者の不適切な活動について批判をしてきました。彼らは、日本の研究者の大型不正に遭遇することを通じて、これを指摘、訂正するために、膨大な作業量の調査、解析を実施しています。彼らの努力は研究コミュニティにおける自浄作用のひとつとして称賛されるべきものだと思いますが、一方でこうした活動がボランタリーに行われていることに注意するべきでしょう。彼らは本来の自分たちの研究を止める形で、本件に取り組んでいるように見えます。対照的に、研究不正が起こったわが国では不十分な調査報告書が開示されたのみで、全くと言って良いほど対応がありません。メディアも沈黙しています。STAP細胞事件はメディアをまきこんで大変な騒ぎになりましたが、STAP細胞研究そのものは基礎研究であり、患者や被験者が損害を被ったわけではありません。

研究不正の有無の判定は調査委員会のミッションのひとつですが、告発グループが指摘するように、あくまでそれは役割のひとつに過ぎません。むしろ、臨床研究がからむ場合、研究不正の結果として患者や被験者に被害がないのかは最優先で考えるべきことです。調査委員会は、患者のみならず、医療関係者、資金配分機関、研究コミュニティに対しても重い責任があることを忘れてしまったのでしょうか。日本骨粗鬆症学会がただ単に沈黙しているだけではなく、自らのガイドラインに生じた深刻な懸念について注意も撤回もしていないことは特筆すべき無責任さだと思います。

最近では、研究不正が認定されても当該論文がどれなのかが開示されなかったり、不正調査の本質的な意義が理解されていないケースが散見されます。不正研究者を見つけて罰を与えれば終わりという考え方では再発は防げません。文科省は監督官庁として、自らが定めたガイドラインの背景にある考え方を再確認し、いい加減な調査については再調査を指示するべきでしょう。不正調査は過ぎたことの後始末ではなく、これから起こることのためにやらなければいけないのです。国内で報道がなければ影響が小さいと考えることは誤りで、こうした事案が海外でどのように受け止められているのかを懸念する必要があります。こうしたことの積み重ねはボディブローのようにわが国の今後の創薬、医学研究に影響を与えていくことでしょう。


1. Kupferschmidt, K. Tide of Lies. Science, 361, 636-641, 2018.

2. Else, H. What universities can learn from one of science's biggest frauds. Nature, 570, 287-288, 2019 .

3. Bolland, M. J., Avenell, A., Gamble, G. D., Grey, A. Systematic review and statistical analysis of the integrity of 33 randomized controlled trials. Neurology, 87, 2391-2402, 2016.

4. Gunsalus, C. K., Marcus, A. R., Oransky, I. Institutional research misconduct reports more credibility. JAMA, 319, 1315-1316, 2018.

5. Grey, A., Bolland, M., Gamble, G., Avenell, A. Quality of reports of investigations of research integrity by academic institutions. Res. Integr. Peer Rev. 4, 3, 2019.

6. Avenell, A., Stewart, F., Grey, A., Gamble, G., Bolland, M. An investigation into the impact and implications of published papers from retracted research: systematic search of affected literature. BMJ Open, 9, e031909, 2019.

7. Grey, A., Bolland, M. J., Avenell, A., Klein, A. A., Gunsalus, C. K. Check for publication integrity before misconduct. Nature, 577, 167-169, 2020.

8. Grey, A., Avenell, A., Gamble, G., Bolland, M. Assessing and Raising Concerns About Duplicate Publication, Authorship Transgressions and Data Errors in a Body of Preclinical Research. Sci. Eng. Ethics., 26, 2069-2096, 2020.