研究不正への対応はこのままで良いのか

2016年6月10日

岡山大学 田中 智之

2014年に大型の事件が相次いで発覚、報道されたことを機に、社会における研究不正に関する関心は高まっています。様々な学会、研究機関において、研究倫理をテーマにしたシンポジウムやワークショップが開催されており、研究費の申請に紐付ける形で研究倫理のe-learning受講が義務づけられるようになっています。研究者への道のりを歩み出して以来、大型の研究不正事件は毎年のように報告されているというのが私の世代の感覚ですが、ここまで注目されたことはかつてなかったように思います。

この問題を認識するようになって初めに生じた疑問は、公的研究費が投入され、関連する研究者のキャリアにも大きな影響を与える事件がなぜ繰り返されるのだろうというものでした。アメリカのように研究公正局を設けて第三者が再発防止のための取り組みを行えば、少なくとも発生頻度は下げることができるのではないか。そして、不正により無駄になる研究費を考えれば、公正局の設置は予算的にも十分見合うものだろう。こうした意見は珍しいものではなく、NISTEPの定点調査のコメント欄や、日本分子生物学会の「ガチ議論」でも、公正局を設置した方が良いという多数の意見が寄せられてきました。詳細についてはいろいろなプランがありますが、有無を問えばある方が良いという意見が多いのではないかと思います(Researchmapレベルの大規模なアンケートで確認してみたいです)。一方で、文部科学省の官僚や科学研究政策の動向に影響を与えるシニア研究者の発言を拾い上げていくと、研究公正局の設置は極めて困難な目標であるようにも感じられます。

第5期の科学技術基本計画が策定され、科学技術支援のあり方も大きな転換点を迎えています。「選択と集中」が良くないことは文部科学省でも認識されているというコメントもありましたが、「基盤的研究費」という概念は恰もタブーのようで、あまり話題に上ることはありません。いつの間にか、研究室というスペースと教員への給料が基盤的経費で、実施される教育や研究指導にかかる費用は基盤的ではないという認識が当たり前になってきました。運営費交付金の削減は、結果として研究室の安定した運営を損ねており、実験科学を身につける場は確実に減少しています。少子化を前提とすれば、「集中」するかどうかはともかく、「選択」は必要という意見は多いでしょう。しかしながら、基礎研究がイノベーションを生み出すための探索活動であるという性格を考慮すると、「選択」を通じて多様性を失うことは、結果としては大きな機会損失につながる可能性があります。「選択」による探索拠点の減少を出来るだけ小さくして効果をあげることはできないでしょうか。

限られたリソースで成果をあげる方策としては、「選択」以外に「効率化」という戦略もあります。ひとつひとつの研究のintegrityを高めることによって、イノベーションのコアを確かなものにするという方法です。昨今、欧米においても「研究の再現性」が大きな問題とされています。例えば、莫大な連邦予算を投じて得られた創薬標的に関する基礎研究のコアのデータが、製薬企業によって全く再現されないといった事例を見ると、研究活動のintegrityを維持することもまた限られたリソースで成果をあげるために大切であることが分かります。研究不正の問題は、再現性の確保を損ねるという意味で改善が必要な課題のひとつです。基礎研究の評価方法が難しいという理由から、物差しとして採用されたインパクトファクターや引用数という指標は、結果として掲載誌至上主義を助長し、本来国家が支援すべき研究のあり方を大きく歪めてきました。数字を良くして巨額の研究費を獲得するという新たな不正のモチベーションも生まれました。

研究不正というとネガティブなイメージがあり、まるで犯罪調査のような印象を持つ方も多いのですが、ある頻度で起こりうる事故と考えると、航空機の事故調査委員会のような仕組みを設ける必要があると思います。実際に起こったことの真相を知って初めてその対策を考えることができます。航空・鉄道事故の調査委員会についても長い議論がありましたが、再発防止という大きな目標を掲げることにより合意が得られたように思います。事故調のあり方の議論では、過失による刑事責任を不問にするかどうかが焦点となりましたが、研究不正については事実上免責状態である上に、再発防止を目的とした調査委員会も機能していないという状況です。

「ガチ議論」で大阪大学の近藤滋先生も指摘されていますが、生命科学研究の現状はレフェリーの存在しない競技と同じです。反則はバレない限りは自由ですし、バレたところで必ず罰則があるというわけではありません。殆どの選手は自分が正しいと考えるフェアプレー精神で闘っています。よって、反則をすれば相当有利な展開が期待できます。この試合にはスポンサーがついて賭けが行われていることもありますから、ある程度ビッグになると負けが許されないという状況も出てきます。コミッショナーは表向きはフェアプレーを標榜していますが、ひとつひとつの試合には絶対に口出ししません。このような環境で果たして次世代の選手を育成することはできるのでしょうか。チャンピオンは本当に偉大なのでしょうか。ガチンコ勝負で頭を出してくる選手はすごい能力を持っていることは間違いないでしょうが、果たしてそのような選抜方法をとるメリットはあるのでしょうか。

研究公正局の設置への反対意見は公には語られることはありません。意義は認めつつも、緩やかに否定するというパターンが一般的です。新たな仕組みを設置するためにはエネルギーが必要ですから、影響力のあるメンバーが緩やかに否定をすれば、それに抗することは難しいでしょう。大型の研究不正事件が発生する度に、コミュニティのモラルは低下し、悪貨が良貨を駆逐するプロセスが進行しています。「架空の研究で業績をかせぐことはいけないことだ」という反省が真摯に行われなかった延長線上に、昨今の大型研究不正の相次ぐ発覚があります。

再発防止策として研究倫理教育をやれば良いのだという意見もありますが、何故米国の研究公正局がミスコンダクトの調査報告書をリアルタイムに公開しているのかを考える必要があります。研究者がどう振る舞うべきか考える上では、同時代の事例から学ぶことが大切であり、大昔の逸話やべからず集から得られるものは多くないのです。また、欧米では悪質な不正が認定された場合には事実上研究者生命が絶たれることが多いですが、日本ではそのあたりは曖昧です。研究者が処罰を受けることに対する抵抗は、多くの研究者が真っ当に研究活動に従事していることを考えれば当然の反応ですが、極めて悪質なものについてはきちんと処分しなければ、悪意をもった研究者の参入を抑止することは困難でしょう。

第三者機関が必要であるもうひとつの理由は、現在の研究不正調査の仕組みが機能していないことです。文部科学省は、研究不正調査は疑義の生じた研究機関が実施することを原則としています。そしてその調査結果は無謬であり、不正ではないことが判明した場合は調査の詳細を公開する必要はないとしています。そして不正が認定された場合は、その研究機関への間接経費配分の削減を含むペナルティを科すことを宣言しています。これらのルールは研究機関に対して、研究不正を隠蔽する強力なモチベーションを与えるものです。真面目に調査を実施し、不正が確定してしまえばペナルティを受けるわけですから、相当強い倫理観を持たない限り、適切な運用は不可能です。厳正な調査を奨励する仕組みが必要なところに逆のインセンティブが与えられています。シロと判定すれば調査結果は公開しないで良いわけですから、まともに調査をやらずに「シロ」と報告することが研究機関にとっては最も無難な選択です。また、調査委員会の第三者性を保証する仕組みがありません。大学執行部に研究不正者がいる場合などは、被疑者が捜査官を任命するという滑稽な状況に陥るわけです。こうした容易に想定できる瑕疵が今なお放置されている背景には、研究不正問題は放置するのが良いのだという判断がはたらいているように思います。繰り返しになりますが、研究不正を放置するという選択には、膨大な研究費の浪費が伴うということを認識しなければいけません。

第三者による研究不正調査を否定する代表的な意見に対して反論してみます。

1.自由な研究活動の萎縮を招く

これは一番同意を得やすい意見だと思います。研究公正局のミッションやポリシーが曖昧な場合は、組織の変質によって研究活動そのものを制約してしまうような事態が起こらないとも限りません。しかし、この問題は、公正局の活動が十分に透明化され、研究倫理教育に資するという目標が掲げられている限りは無用の心配のように思います。むしろ、医学研究を念頭において開発されたCITIのe-learningプログラムをそのまま数物系や人文系の研究者に義務化するといった現行の措置の方がよほど研究者の活動を制約していると思います。

2.悪意のある告発は研究の停滞につながる

考慮が必要な観点ですが、実態とはかけ離れていると言わざるを得ないです。国内では公益通報の窓口に「悪意の告発は告発者が逆に処罰を受ける」という警告が記載されていることが一般的ですが、海外ではこうした恫喝めいた文言を見ることはまれです。むしろ逆に公益通報者の保護についての説明が付随することの方が多いでしょう。悪意をどう認定するかという手続きは決められていませんので、調査機関が悪意があると認定すればそれまでです。正当な告発をつぶすために口実として利用されることもあるでしょう。公正局が設置されれば第三者が告発の妥当性を検証することができるので、「濡れ衣」であった場合もまたその事実が公開されることになります。そのようなリスクを冒して行う告発が実際には虚偽であるという可能性についての懸念が強すぎると思います。むしろ、告発行為を萎縮させることにより、研究の世界における自浄作用が失われることの方が影響は深刻ではないでしょうか。不正研究に投入される資金は、本来であればまっとうな研究活動を支援するために使われるべきですから、不正研究を看過することによる機会損失にももっと目を向けるべきです。組織的な不正を早く見つけることは、投資効果を高めることにつながります。

3.調査委員、あるいは公正局のスタッフとして相応しい人材はいるのか

現役の研究者は、研究費の申請や審査への関わりのプロセスで利益相反が生じやすいので、調査委員や公正局スタッフを兼ねることは好ましくないでしょう。こうした事業に取り組む元研究者などいないという意見も耳にしますが、会計検査や企業の監査と同様、組織の適切な運用のために必要な仕組みであり、価値ある役割です。誰もやらないだろうというのは希望的観測のように思います。ひとつの鍵は情報公開であり、調査過程や報告書についての透明性が担保されれば、我が国では困難な第三者性の確保という課題もクリアできるでしょう。