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科学・物理・物性の楽しさ

素粒子や宇宙に興味を持つのは、超ふつーのことだし、もちろん健全なことだよ、ということ (田崎晴明)

普遍性とはなにか?(田崎晴明)

普遍性と科学(田崎晴明)

座談会「物理学の明日」 (日本物理学会)

物理の危機 (田崎晴明)

まず、言わずもがなといはいえ、やはり言っておくべきなのは、物理 --- とくに、われわれが学部や大学院で学んだ物理 --- というのは、もう猛烈に面白いということ。この logW は物理畑以外の方もたくさん読んでくださっているようなので敢えて波風を立てますが、「はいはい、それはそうでしょう。物理でも何でも、一つの学問をじっ くり学べば、それはそれは面白いですよね」などという似非民主主義を語っているのでは、断じて、なーい!! 申し訳ないけれど、物理は特権的に面白いの ですよ。現実の自然のいくつかの局面と猛烈に深く精緻に向かい合い、そこから真に驚くべきストーリーと論理を読みとっていく。ぼくらは、ニュートン方程式 が惑星の運動と落体の運動をまとめて解き明かしてくれる威力に感嘆し、熱力学において不可逆性が定量的に把握される神秘に驚き(←ただし、佐々さんやぼく の教科書で勉強した場合だけどね)、量子力学の論理のあまりの非直感性とその実験的必然性に打ちのめされ・・・。もう、それはそれは強烈な体験で、ぼくら は皆物理のおもしろさに心底しびれきってしまう。

定義集(萱沼洋輔)

ことば(橋本義武)

大学で研究すると言うこと

学ぶ理由(森博嗣)

ただ、一ついえることは、学ぶことは楽しい、という森の個人的な体験である。それだけだ。他の人が、どう感じるか、森にはわからない。

どんな動物だって、遊ぶし、働くし、寝るし、食べる。しかし、人間だけが、学ぶのである。人間としての楽しみが、学ぶことには、きっとある。それに気づくことは、とても尊いと森は思う。

だから、「大学院へ進学して何が良かったか?」ときかれれば、答は「大学院で勉強していた、そのとき、その瞬間が最高に楽しかった」と答えることにしているし、今でも、それが正解だと信じている。できることなら、もう一度、大学院生になりたい。

しつこさ(清水明)

「もちろん、今の自分には絶対に無理なような目標を追い続けていても困るので、見極めも大事だが、諦めと見極めとは違うのである。例えば、見極めをつける 時は、一旦は退却しても、いつか(研究目標に多少の修正を施すかもしれないが)再挑戦しようと考えているし、何か獲物を得ている(たとえば、その獲物だけ で論文が書ける)。それに対して、諦めるときは、2度とそのテーマには挑戦しないし、何も獲物を得ていない。」

セミナーの準備のしかたについて(河東泰之)

1回の発表のために50時間くらいかかるのは,何も不思議ではないし,100時間かかっても驚きはしません.実験系統の院生は,朝から晩まで(あるいは晩から朝まで)実験しているんですから,数学だってたっぷり時間をかけないと身につかないのは当然です.

大学院進学を考える人のために(早川尚男)

大学院新入生のための数学学習の手引(黒木玄)

「研究者になりたいのですがどうしたらいいでしょうか?」と聞く人は実は研究者には向いていません.研究者は,新しい結果を出さなければなりません.そし て,ここが難しいところですが,その結果がある程度意味を持っていなければなりません. 従って,考えたことの内で正しいのが 10 に 1 つであり,正しかった事柄の 10 に 1 つが意味のあることであるとすれば, 100 考えたことの内 99 は失敗なわけです.従って,研究していく上では正しいか正しくないかはっきりしない仮説を根気よく考えていく能力が必要です.「タナボタ」に見えることも 不断の報われない努力が背後にあることを忘れてはいけません.

「どれを主にして学ぶべきか」「どの方向に進むべきか」(黒木玄)

ただし、「どれを主にして学ぶべきか」「どの方向に進むべきか」などなどは個人の責任で自分自身の意志で決定すべきことだと思います。自分自身が面白いと 思ったことを深く追及する者という意味の本当に研究者になりたいならば、「どれを主にして学ぶべきか」「どの方向に進むべきか」という質問の仕方は非常に まずいと思います。誰かに相談するならもっと別のやり方を考えた方が良いと思います。

数学の学び方に関する常識(黒木玄)

「朝起きた時に,きょうも一日数学をやるぞと思ってるようでは,とてもものにならない。数学を考えながら,いつのまにか眠り,朝,目が覚めたときは既に数 学の世界に入っていなければならない。どの位,数学に浸っているかが,勝負の分かれ目だ。数学は自分の命を削ってやるようなものなのだ」

Re: 1=0.9999...は実数に関して厳密に成立している等式である(黒木玄)

知識が足りないということは数学的なことを考えていれば日常茶飯事なので、現在の知識では理解不可能なことをどうしても理解したければさらに勉強を追加し なければいけない。個人的には数学の勉強を通して、自分自身の無知への対応力とさらなる知識の習得によって自分自身のパワーが増す快感 (これは重要、数学的実力は何らかの成功があったときに増すものだと思う、失敗続きであっても最終的な成功の快感の味を知っていれば我慢できる) を学ぶことができれば良いなと考えています。

自分の無知に気付くのは苦しいことなので、「昨日までの自分とこれから勉強を始めて一ヶ月後の知識が増えてパワーアップした自分が違えばそれで良いではないか」と気楽に割り切って考えるのが一番だと思います。

中西先生へのインタビュー(中西準子)

例えば、大学院なんかで、ある程度一つのことを極めた人が集まって、社会的な問題、関心、ということを一つの軸にして、別のことも自分のものにしていくみたいな場を作っていかなければいけないのではないかと思っています。

最初から、あんまりゼネラリストをつくっても、教育にならないでしょう。それぞれの分野の発達というのがあるわけです。本当に望ましいのは、1、2年社 会に出て、自分の関心というのはこういうことにある、企業での金儲けでもなんでも良いんですが、そういうものをある程度熟成して、そういう人たちが集まっ て、他の分野も勉強して使えるようになる。

そういった集団が、大学の先生になるだけではなくて、役所や国際公務員や企業の経営者など、ある実務をになう部分に供給されると非常に良いなと思います。

前もって自分自身の力で色々考えていたおかげで感情の動きと論理の両方が伴なった深い理解が可能になるのだ。 (黒木玄)

小川研究室の運営方針(小川哲生)

地球の眺め方~修行もしないで夢見る学生達~ (?)

教養の講義最終回 (apj)

「漏れがカバーできるのは自然科学の一部でしかないから、他の分野はそれぞれの専門学んだおまいらに頼るしかないんよ、おまいらが手抜きしたら漏れが困るんで、そこんとこわかっとけや」

数学の学び方 (橋本義武)

質問するときは何がわからないかを明確にすることが望ましいが,何がわからないかがわからないからわからない,ということもあって,それができたら苦労は ないわけで,むしろ,どこまでならわかっているかを相手に伝えるのが吉.それだったらわかっていることについて述べるのだから伝えやすいし,質問に答える というのは相手のわかっていることにつなげて説明するということだから,答える側にとっても何と結びつけたらよいかが見えて答えやすい.

質問した成果は,質問する前に自分でどれくらいああでもないこうでもないと考えていたかにかかっている.

研究を志す若手の後輩たちにひとこと (田崎晴明)

実際に、研究を本格的にやり始めると、ひとつのことを深く深く、徹底的に研究することになります。必然的に視野が狭くなるし、オタク的もなる。これはまっ たくもって避けがたいことで、ぼくたちは、そうやって力を集中することで、新しい知見を得たり、今まで解けなかった課題を解いたりするわけです。

しかし、ただの職人ではなく、科学者として研究に参加するつもりなら(←別に一生プロでやることを想定しているのではない。(プロのなかにも単なる職人は 少なくない。)大学院の間だけでも、精神的には「プロの科学者」として科学に参加することはできる)、その狭く深いところに入りっぱなしになってはいけな いと思う。ときどき地上に顔を出して、自分が関わっていることが、物理のもっと広い風景のなかでどこに位置しているのか、自分の目標が達成されたとき、物 理の世界の景色はどう変わりうるのか、どう変えたいのか、といったことにも思いを馳せてください。これは、短期的に見れば時間のムダかもしれないですが、 長い目で見れば、かならずや研究にプラスになるでしょう。万が一、研究にプラスにならなくても、科学者としての人生(の一時期)にはプラスになるはずで す。

「とことん論理的に考え、魂を注ぎこんだときにブレークスルーが生まれる(東原和成)」(Nature)

ND -すぐれた科学者になるために、学生やポスドクの人たちには何が必要ですか?

東原- とことん考えることが、なによりも大切です。論理構成やデータの解釈、研究計画などを議論することで、論理的な思考と手法を習得することができます。ま た、うまくいかなかったときに、何が原因なのかを探る能力と忍耐力も必要です。それらが身につくには、最低数年くらいはかかります。その間に興味をもった テーマに「これを何とかしたい」と魂を注ぎこむことができれば、成果は出るはずです。そして、その成果を論文の形にする過程で論理的思考がさらに強化され ます。

ND -今の時代は情報過多で、それに惑わされる人も多いのではないでしょうか?

東原- ええ、今ホットだといわれるテーマはすでに一番いいところを通りすぎていますし、論文引用件数の多い分野は多くの人が研究していることを意味します。考え る前にインターネットで調べようという思考回路からは、オリジナルな発想は出てきません。最低限の知識は必要ですが、まず自分で考えることが大切です。

出版社のページ掲載されている文章を転載するのはちょっと抵抗がありますね。一応リンクで出典も明らかにしてます。営業妨害にはならないし、どちらかとい うとプラスの関与です。将来の購読者を増やすかもしれないですからね。でもクレームがついたら消すと思います。引用と言い張るには載せる文章を全体の 1/3程度に抑えないといけないでしょう。そんなに文章を書くのは面倒ですから、形式的には転載かな。

このページの趣旨の1つに「学部四年生や修士学生に研究というものの片鱗を感じ取って欲しい」というのがあります。その目的のために私が配列した、と考えればこの配列に著作権が生じたりするのかな?

「ネット上でフリーで見られる文章に関しては、著作権者と出典とを明らかにするならば引用・転載は自由」というのがリーズナブルだと思うのですが。フリー で公開するということは、「できるだけ多くの人に読んで欲しい」ってことですよね。リンクされればされるほど、読んでもらえる可能性は増えます。むしろ、 「どんどんリンクしてください」というのがページを公開するものの立場だと思います。

これくらい屁理屈を書いておけば、文句を言ったりしてこないだろう。学術誌だし、公共性もある雑誌だしね。クレームつけたり裁判することによるデメ リットの方が大きいだろうし。しかし、「リンクは自由にしても良い」は問題ないのだけど、転載に関してはよくわかりません。今の所は文章を書いた方の善意 に勝手に頼って一部を転載しています。

その他

わかりやすさは、ただの表現技術の問題ではないのだ。(山形浩生)

たとえばニュートン物理学は要するにF=maという公式の壮大な変奏だ。でもこの公式(つまりは型)を何万回書いたところで、何もわかりゃしない。それを いろんな場面にあてはめて変形する――それで初めてこの式の意味が見えてくる。型そのものよりそれをどう変奏するかに意味がある。ときには、極端な仮定を おいて自分のねらう変奏以外の部分を大胆に切り捨てることも必要になる。

水伝:mixiに書いたこと (きくち)

僕は

「水からの伝言」は科学的に間違い

「マイナスイオン」は科学的に間違い

「血液型性格判断」は科学的に間違い

と断言しています。しかし、その意味合いはかなり違っています。

「水からの伝言」は検証するまでもなく間違い。

「マイナスイオン」は定義もなければ実験もないので門前払い

「血液型性格判断」は、原理的にはありうるが、徹底的な心理学研究に

よって有意さが出なかったので、検証の結果として間違い。

さらにこんなことも書いてあります。

実際には、論理的にありうる仮説すべてが同等の資格を持つ

わけではありません。"論理的じゃない"と書かれましたが、僕

なら"論理だけじゃない"と言います。

僕たちは、さまざまな仮説に対して、現在の知識に基づいて

重み付けをします。「どの程度、ありそうか」を考えるわけです。

「水が心を持つ」は論理的にありうる仮説ですが、僕たちの知識

からすれば「ありえない」仮説です。

量子スピンとかフラストレーション

量子スピン系とは

[Pd(dmit)2] 塩の磁化率の物語 準二次元三角格子上でフラストレートしたスピン-1/2 ハイゼンベルク反強磁性系

量子スピン液体状態を探そう

有限Haldane鎖の強磁場ESR

人生に悩んだら(?)

有限リソースの教え(リンク先はweb.archive.orgより)

働くことの悲しさ