029 人を駆動するものは何ですか?

(2009-02-21 頃作成、2011-10-19頃修正)

私には、昔、好きになった人がいました。

結局、告白とかそういうのはしませんでした。

しないうちに、いなくなってしまいました。

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私は視覚系に欠陥があって、その人の美醜はよくわかりませんが、

その人はおそらく際立った外見ではなかったとは思います。

周りの人の反応からたぶんそのように予想が付きます。

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私はその人の意志が好きでした。

一途で切実な思いを全身から発して生きてるような人でした。

その人の近くにいるだけで、とても元気が出てきます。

意識はとても覚醒して、困難に打ち勝とうという勇気が湧き出てきます。

私が思うに、その人は、生き方が丁寧でした。

誠実な生き方をしていました。

例えば、言葉の使い方が、他者と比べると格段に練られています。

表面的な礼儀という意味での言葉の丁寧さとは違います。

その人の生き方を表出した言葉を使うのです。

それは、偽りのないその人自身の強さによるものだと思えました。

シャープで、繊細で、しなやかで、そして、決して折れない。

あの人のために、命を捧げられたらきっと幸せなんだろうな、って思いました。

あの人は、私が今まで出会った人たちの中で、もっとも高潔でした。

もっとも高い価値基準を自らに課している人でした。

その価値基準に対し、もっとも努力している人でした。

その人の近くにいると「私はもっと頑張れる」「私ももっと頑張ろう」って思いました。

その人に「頑張ってるね」って言われたら、わたしはとっても嬉しかったのです。

「自分の信じた道を進んでね」って言われたときも、わたしはとっても嬉しかったのです。

そして、私はこの人を裏切れない、ってことを受け入れました。

私は、他人の目なんか気にしない、なんて嘯くこともあります。

でも、あの人が呆れるようなことを私はしたくない、あの人が残念がるようなことをしたくない、って思えました。

大事なことをごまかさないで生きていくのはとっても難しいです。

少なくとも私にとっては。

でも、あの人を好きな分だけ、私は何かをごまかすさいに苦痛を感じるし、

できるだけごまかすことを避けようって思えます。

何かを好きだということは、それに囚われているということです。

でも、私は囚われていたいって思います。その分だけ当然自由はなくなります。

自由でも、好きなものがないのなら、私にとっては少なくとも無価値だからです。