031 ぐうたら教徒として生きる

(2010-10-19/2010-06-09頃作成、2012-06-04頃修正)

「尊厳について」(『教祖の言葉』より)

私から「ずぼらさ」「ぐうたらさ」をなくしたら何が残るというのか。今の私は既に「ずぼら」「ぐうたら」ではないかもしれない。しかし「ずぼら」で「ぐうたら」であろうと、いつも心がけている。それが、人間に残された最後の尊厳ではないだろうか。心の欲する所に従って、矩を踰えず・・・。

「紛争は続く」(『ぐうたら通信』より)

最近「ぐうたら教徒」と「ずぼら教徒」が紛争状態に陥り、2500万人を越える人間が亡くなったらしい。痛ましい事件ではあるが、彼らの信仰からすればかけ離れたこの自体は何故おこったのだろうか。不謹慎ではあるかもしれないが、この種の知的興味が在ることを正直に告白しておこう。「なまけ者同盟」による陰謀説もあるが、現時点ではよくわかっていない。

「教祖の最後」(『ぐうたら教の歴史』より)

最高のぐうたらであると名高い、ぐうたら教の教祖(92歳)が、「ぐうたらするのに疲れた」と発言し、ぐうたら教徒達に波紋が広がっている。高弟達は、「これからも我らの見本となるぐうたらを見せ続けて下さい」と嘆願したが次のように答えたという。

「究極のぐうたらを求め続けて82年。真のぐうたらを知りたいと言う情熱も今はもうない。ぐうたらこそが私の青春だった。ぐうたらを追求するのには若さが必要で、もう私も若くない。若い君達には世界に遍く存在するぐうたらを追求する事に勤しんで欲しい。それは、辛く孤独で厳しい道だ。しかし、良質なぐうたらを見出した瞬間はなにものにも喩えられない至高の喜びがあるだろう。ぐうたらは毎日の積み重ねだ。日々、ぐうたらをおろそかにするべからず。これが、ぐうたら教の教祖としての最後の願いだ」

その後、ぐうたら教の教祖は、ずぼら教に入信して、ずぼら教徒とぐうたら教徒の和解が進んだそうである。著書『象のぐうたら、ねずみのずぼら』『相対性ぐうたら理論』『「あなたのぐうたら観は間違っている」と言えるかと言うと、そういうことを言えない可能性は否定できないな』は併せて3000万部のベストセラーとなった。教祖は生涯健康で、病気や怪我などは皆無だった。「病気や怪我になったら、存分にぐうたらできないからね」との事。また、財産とされるものをほとんど持たなかったが、衣食住などに困ることはなかった。必要以上の所有は真のぐうたら者にとって煩わしいことなのだろう。教祖が何か必要だと思う前にそれは満たされてしまうという不思議な現象があり、その点が圧倒的なカリスマ性を持っていた理由とされる。圧倒的なカリスマがあるから、何かに不自由する前に周りのものがお膳立てをしていただけかもしれず、因果関係は定かではない。

辞世の言葉は「あと50年はぐうたらしたかった」だったそうだ。享年は123歳。死因は脱力のしすぎで心臓まで止まってしまったせいであるとされている。彼が死んだ後、ぐうたら教徒ではないものも、教祖の死を惜しみ追悼する意味で一週間ほどぐうたらしたとされている。教祖を越えるぐうたら者は未だ現れていない。新進気鋭の宗教学者が、教祖に対して批判的な言説を投げかけている。教祖は真のぐうたら教の実践者であったのだろうかと?教祖のぐうたらへの情熱や愛情は否定できないとは言え、人生をかけてまでぐうたらを追求するというのは、ぐうたら者として矛盾しているのではないかと。そして、心のぐうたらと身体のぐうたらモデル、別名「2ぐうたらモデル」で彼の生き様は説明できるのではないかと言う面白い説を唱えていることを付記しておこう。

「希望について」(『教祖の言葉』より)

心の底から湧き起こる「ぐうたらしたい」という強い衝動というか熱い想いがある限り、明日も生きていけそうな気がする。そういう気持ちが無くなったら、生きていける気がしない。

「生きるとはぐうたらすること」(『教祖の言葉』より)

朝起きたときに、「今日も一日ぐうたらするぞ~」と思っているようでは使いものにならない。目覚めた時から眠りに落ちるまで自然にぐうたらしなければならない(夢の中でぐうたら出来るのならなおよい)。どれだけ長い時間ぐうたらに浸るかどうかが勝負の分かれ目だ。ぐうたらは命を削ってやるものなのだ。