016 僅かな交差

(2003-04-25頃作成、2011-07-27頃修正)

疲れた。まぁ今日はこれくらいかな。もう23時か。そろそろ帰らないと。今日の夕食は私が当番だしね。コンピュータの電源を落とし、ぐーっと両手を組んで上に伸ばし背伸びをする。ロッカーの中からバッグを出し、まだ部屋に残っている人に、ちょろっと挨拶して部屋を出る。

廊下を歩きながら、提出書類の締め切りや明日の予定についていろいろ考える。

「明日は何を言おうかなぁ」と、独り言。

階段を降り、玄関から建物の外へ出る。軽い小雨。傘をささなくても短時間ならたいしたことない感じ。ここから駅まで数分だからさすこともないかな。歩き始め10秒と立たないうちに出会った。

「あら」

その人は目を軽く瞑り2秒程度沈黙して、ゆっくり目を開きと私を見て

「お久しぶり。いつもこんな遅い時間に帰っているの?」と微かに笑みを見せていった。

私は驚きと喜びとが混じった気持ちをあらわに言う。

「お久しぶりです。私は朝が遅いからこれくらいでちょうどいいんですよ。ところでいつ戻られたんですか」

「一月くらい前かな、同じところに通っていてもなかなか会わないものだね」

「そうですね」

その人は、海外に出張(or短期留学?)に行っていた。いつ帰ってくるかには失念していたけど既に帰ってきていたのか、って思った。

少し脱線するが(そもそも本線などないが)目を軽く瞑る動作について補足しておく。目を瞑り、ゆっくりと開く動作の間に、今まで歩いている時にしていた思考を簡単ないくつかのキーワードでまとめ、考えていたことやこれから考えようとしていたことを記憶し、またいつでも思考を再開することができるようにするためらしい。この人が言うには、歩いている時が一番いろいろ考えられるという。もちろん学習は机に向かい本を読むなどして情報を集めなければできないが、そのような場合はその本のそのトピックしか考えられなくなるのだそうだ。歩いているときの思考は、いろいろなことが混じる。いままで集めてきた情報や個々のトピックで考えていたことが自然に出てきて融合する瞬間は歩いているときによく起こるのだそうだ。つまり私はこの人の思考する貴重な時間を邪魔をしてしまったことになる。

構内を出るまでの道をしゃべりながら二人で歩く。意識的にか無意識的にか歩幅を緩めていたとは思うけど、時間はさらさら流れる。共通の知り合いが今どうしているかとか、ちょっとした過去の共有する体験とかについていろいろ短い時間ながらでてくる。

正門を出て信号の前で、また話す。理解できるところと理解できないところの間のぎりぎりを狙ってくる言葉。これは、それなりに親しい人ならできるけど、大して親しくもない場合はとても難しい。"友達の友達"よりは親しい程度の知り合い、という関係なのではあるけど、ぎりぎりをついてくる。鋭さを持っている。私が見当違いの返答をすると、軽く修正してくれるので、会話の流れが綺麗になる。

改札をくぐり階段をおりて、駅のホームでまた会話。

左斜め上の方をみて、思い出すように、いろいろなことを話してくれた。

電車が来る。別れぎわ。

「今度一緒に食事でもしません?」

と私はきく。

「機会があれば・・・ね」

って、その人は答えてくれた。

私はゆっくり自宅へ向かい、遅すぎる夕食を作って、~と一緒に食べる。入浴して、そのあと眠りにつく。寝る前に、今日はちょっとおまけがあった一日だな、って少し思う。おやすみなさい。