012 何に囚われている?

(2008-01-01頃作成、2011-07-04頃修正)

悲しみは人の心を駆動する大きな力。

悲しみを回避しようとすることにより、とっても大きな力がでることがある。

その駆動する力の大きさゆえに、人は悲しみに酔ってしまう。

悲しみに囚われてしまう。

「そんなのに囚われないでよ」って思ってしまうこともある。

でも、それは、わざわざ私が相手に対して言うことか?

そこまで相手に関わりたいか?

そんなことより私の頭の周りを飛んでいるハエを払ったら?

他者に駆動されてしまっているのは私自身では?

「自分の心というのはどういうふうにできているのかな」って思う。

「自分が大事だと思いたいもの」を、自分は大事だと思っていないことがある。

「自分がどうでもいいとしたいもの」を、自分は大事だと思っていることがある。

「自分が見えていないだけ」と、言われればそれまでだけど。

要素とネットワーク。要素も細かく見れば、内部構造を持っているかもしれない。

見逃しがちで、いつもの項目だてにあがらない自分が望むものがあるかもしれない。

そういうのもうまく定量化して、なんとか組みなおさないといけない。

それは、身近な人を悲しませることになるかもしれないけど。

溜息を吐いた。私は、疲れているのかもね。

一過性のものかもしれない。

df(t)/dtばかりではなくて、f(t)も気にすることができる?って自問する。

同時に、あの人にも問いたいと思う。

「嬉しい」「楽しい」「気持ち良い」「心地よい」「快い」って気持ち。

そういうのを糧にして、今までもなんとか生きてきたのでしょう?

「それを忘れないでよ」って思う。