専門用語が築く壁:リスコミにおけるジャーゴンの危害
2026年1月3日 唐木 英明
2026年1月3日 唐木 英明
専門家にとって、ジャーゴン(Jargon・専門用語)は極めて効率的で都合の良い道具です。それは、複雑な現象や緻密な操作を、一言で正確に定義できる魔法の言葉であり、同じ知識を共有する仲間内では、これ以上ないほど便利な共通言語として機能します。しかし、一歩その専門家のサークルを出て、一般の生活者にその言葉が投げかけられたとき、その魔法は解け、代わりに「不安」と「不信」の呪いがかかります。
一般の人々にとって、ジャーゴンは単に「意味がわからない言葉」ではありません。それは、「専門家たちだけが理解できるブラックボックスの中で、何か自分たちの知らない操作が行われている」という疎外感を生み出し、時には「煙に巻こうとしているのではないか」という疑念すら抱かせます。結果として、技術そのものがどれほど有益であっても、言葉の壁が原因で社会的な拒絶反応を引き起こしてしまうのです。
この行き違いの根源にある対立軸は、「プロセス(工程)」対「ベネフィット(便益)」です。専門家は、新しい技術を説明する際、その技術が「どのように作られたか」「どのようなメカニズムで動いているか」という「製造プロセス」を正確に言い表そうと努力します。彼らにとっての真実は、そのプロセスの中にこそ存在するからです。しかし、生活者が知りたいことは全く異なります。「その技術は私の生活をどう良くするのか」「それは私や家族にとって安全なのか」という「目的や効果、メリット」です。
ここでは、「遺伝子組換え作物」や「ゲノム編集」といったバイオテクノロジーの事例、そして「代替肉」や「機能性食品」などの食品技術の事例を分析し、なぜプロセスを表す言葉が失敗し、ベネフィットを表す言葉が成功するのか、そして、真に社会に受け入れられるための「言葉のあり方」は何かを考えます。
言葉が私たちの感覚や判断に与える影響は、私たちが考えている以上に根源的かつ生理的なものです。人間は、目や鼻から入ってくる物理的な情報だけで世界を認識しているわけではありません。その情報にどのような「ラベル」がついているかによって、脳内での処理のされ方そのものが変わってしまうのです。
このことを如実に示した心理学の実験があります。研究チームは、被験者に同じ匂いのサンプルを提示し、その匂いの評価を求めました。ただし、一つのグループにはその匂いに「チーズ」というラベルを貼り、別のグループには「嘔吐物」というラベルを貼って提示しました。
その結果は衝撃的なものでした。物理的には全く同じ化学物質であるにもかかわらず、「チーズ」というラベルを見た人々は、その匂いを「発酵食品の芳醇な香り」として肯定的に受け止め、食べる意欲すら示しました。一方、「嘔吐物」というラベルを見た人々は、強い嫌悪感と生理的な不快感を示し、即座に拒絶反応を示したのです。
この実験結果は、リスクコミュニケーションにおいて極めて重要な示唆を含んでいます。専門家が「正確な記述」だと思って貼ったラベルが、もし生活者の脳内で「嘔吐物」のようなネガティブなカテゴリーに分類されるものであれば、その後どんなに「科学的な安全性」をデータで説明しても、最初の生理的な拒絶反応を覆すことは極めて困難だということです。
多くの専門家は、コミュニケーションの失敗を「一般市民の知識不足」のせいにしがちです。「彼らは科学を知らないから怖がるのだ。正しい知識を教えれば、理解してくれるはずだ」。このような考え方は、科学コミュニケーションの世界では「欠如モデル」と呼ばれています。
しかし、数々の研究がこのモデルの無効性を証明しています。例えば、遺伝子組換えは多くの科学者が安全だと合意していることを伝えても、もともと懐疑的な人々の不安は解消されないばかりか、かえって反発を強めることさえあることが分かっています。
人間は、分からない言葉や未知の概念(ジャーゴン)に直面したとき、論理的な分析を行う前に、感情的・直感的な判断(ヒューリスティクス)を行います。その際、その言葉が「自然か不自然か」「親しみがあるか不気味か」といった直感的な基準で即座にリスク判定を下します。一度「不気味・不自然」というラベルが貼られてしまうと、その後の専門的な説明はすべて「言い訳」や「隠蔽工作」として処理されてしまうのです。
「専門家にとって都合の良い言葉」であるジャーゴンは、この初期段階の直感的判定において、致命的なエラーを引き起こす最大の要因となります。ジャーゴンは往々にして「生活者の日常言語」から乖離しており、冷たく、機械的で、人為的な響きを持っているからです。
ジャーゴンによるリスクコミュニケーションの失敗において、最も象徴的であり、かつ甚大な社会的損失を招いた例が「遺伝子組換え作物(GMO: Genetically Modified Organisms)」です。 この言葉を分析してみましょう。「遺伝子(Gene)」を「組換え(Modification/Engineering)」した「生物(Organism)」。これは、科学的に見れば 100 点満点の正確な記述です。「ある生物の DNA の一部を切り取り、別の生物の DNA を組み込む」という、研究室で行われている製造プロセスそのものを言語化したものです。
しかし、一般の消費者にとって、この言葉はどう響いたでしょうか。
1.「遺伝子」: 生命の設計図、聖域、触れてはいけない神秘的なもの。
2.「組換え」: 人為的な操作、改変、自然への介入、本来あるべき姿を歪めること。
3.「生物」: 食べ物というよりは、実験動物や異質な存在。
これらが組み合わさったとき、消費者の脳裏に浮かんだのは、「より美味しくて安全な農作物」ではなく、「科学者が実験室で生命の設計図を勝手に書き換えて作った、自然界には存在しない不気味な怪物」というイメージでした。欧米では「フランケンフード(怪物フランケンシュタインのような怪物食品)」という言葉が流布したのも、この名称が持つ「操作された不自然さ」が見事にホラー映画のイメージと合致したからです。
なぜこのような名称が定着してしまったのでしょうか。それは、この技術を開発した専門家たちが、この「プロセス」こそ誇るべき革新だと考えていたからです。「従来の品種改良とは違う、画期的な遺伝子操作技術によって作られた」というプロセスを強調したかったのは、ほかならぬ専門家たちでした。
しかし、一般の人々にとって、作物が「どのような分子生物学的手法で作られたか」は、本来どうでもいいことです。彼らが知りたかったのは、「それは安全なのか?」「食べるとなにか良いことがあるのか?」という点だけでした。
もし、この技術が登場した当初に、プロセスではなく、その目的や効果、メリットを表す言葉が選ばれていたらどうなっていたでしょうか。
害虫被害を減らす目的で作られたなら「農薬削減支援作物」
栄養価を高める目的なら「栄養強化作物」
日持ちを良くする目的なら「鮮度保持作物」
もちろん、この言葉をそのまま使うという意味ではなく、そのような意味を持つ、もっと洗練された言葉を使うのですが、そのような呼び名であれば、消費者の不安や反発はずいぶん小さくなっていたはずです。「遺伝子を組み換える」という言葉が前面に出たことで、メリットが伝わる前に、倫理的な反発や「得体の知れないもの」への恐怖が先に立ってしまったのです。
「遺伝子組換え」という言葉が呼び起こした不安は、単なる食の安全の分野にとどまりませんでした。それはより深い、生命倫理に関わる根源的な恐怖をも刺激しました。遺伝子を操作するという行為は、「人間が神の領域に踏み込む」こととして捉えられがちです。特に、遺伝子解析や操作技術の進展は、「親が子供の能力や容姿を選別するデザイナーベビー」のような優生学的な未来、すなわち「人間の生命の商品化」につながるのではないかという懸念と地続きになっています。
「遺伝子組換え」というジャーゴンは、無機質であるがゆえに、こうした「生命をパーツのように扱う冷徹な科学」というイメージを強化してしまいました。一般の人々にとって、生命は「無条件の愛」や「神秘」の対象であるべきなのに、専門家用語はそれを「操作可能な物質」として扱っているように聞こえるのです。この価値観の衝突が、激しい反対運動の原動力となりました。
特にヨーロッパにおいて遺伝子組換えへの反発が強かった背景には、1990 年代の BSE(狂牛病)問題による政府・科学不信に加え、規制の枠組み自体が「プロセス重視」で作られたことがあります。欧州の規制では、遺伝子組換えを「自然界では起こり得ない方法で遺伝物質が変更された生物」と定義しています。この定義自体が、「自然ではない=異質で危険な可能性がある」という前提を含んでおり、法的に「特別な監視が必要なリスク物質」という烙印を押してしまいました。
一方、米国では「実質的同等性」( これもジャーゴンですね)という概念が採用され、「最終製品が安全であれば、作り方(プロセス)は問わない」というスタンスが取られました。結果として米国では遺伝子組換えが広く普及しましたが、欧州や日本では「プロセスへのこだわり」が「表示義務」や「厳格な規制」を生み、それがさらに「特別に危険なものだから表示されているのだ」という消費者の不安を増幅させる悪循環を生みました。
そして今、私たちは「ゲノム編集」という新たな技術の波の中にいます。ノーベル賞を受賞した画期的な技術により、従来の遺伝子組換えのように「外部から別の生物の遺伝子を入れる」のではなく、その生物が持っている遺伝子の一部を狙った通りに切ったり修正したりすることが可能になりました。
専門家たちは言います。「ゲノム編集は、遺伝子組換えとは全く違うんです! これは自然界で起きる突然変異と同じことを、狙って起こしているだけなんです」。そして、「編集」という言葉を使うことで、ワープロで誤字を直すような手軽さと正確さを表現し、ポジティブなニュアンスを込めようとしました。
しかし、残念ながらこれもまた、専門家にとって都合の良いジャーゴンに過ぎません。一般の人々にとって、「遺伝子組換え」と「ゲノム編集」の違いは、ほとんど誤差の範囲です。「ゲノム(生命の全遺伝情報)」を「編集(書き換える)」という言葉は、やはり「生命への人為的な介入」そのものであり、直感的な不安レベルは遺伝子組換えと何ら変わりません。むしろ、「編集」という言葉の軽さが、「生命を安易に書き換えていいのか」という倫理的な反発を招く恐れすらあります。
専門家にとっては「外部遺伝子が入っていない」ことが決定的な安心材料(プロセス上の差異)ですが、一般の人にとっては「人為的に操作されたかどうか」だけが問題なのです。ここでもまた、専門家が、「これは組換えではなく編集です」などとプロセスの説明をしても、それは「要するに不自然なんでしょ?」という生活者の不安とかみ合わないのです。
こうした状況を危惧し、日本でも新しい呼び名を模索する動きがあります。その代表例が、内閣府や農林水産省が提唱する「品種改良加速技術」という呼称です。この名称には、明確な意図があります。
「品種改良」: 農業の歴史の中で数千年にわたって行われてきた行為(コシヒカリやトウモロコシなど)であり、人々に「安全」「有益」というポジティブなイメージがある。
「加速」: 新しい技術は、従来からある品種改良のスピードを早めるだけのものであり、本質的には同じものであるというメッセージ。
確かに、この名称は「ゲノム編集」という冷たい響きよりはずっと良く、一般の人々の既存の知識(品種改良)に接続しようとする努力が見られます。その意味で、リスクコミュニケーションとしては一歩前進と言えるでしょう。
しかし、「プロセス vs ベネフィット」の観点から評価すると、「品種改良加速技術」は、まだ「製造プロセスの説明」にこだわった言い方であり、不十分であると言わざるを得ません。なぜなら、「加速する(早く作れる)」というのは、誰にとってのメリットでしょうか? それは、開発期間を短縮できる「研究者や種苗会社」にとってのメリットであり、食べる「消費者」のメリットではありません。
消費者がスーパーでトマトを手に取る時、「これは従来の10倍の速さで開発されたトマトです!」と言われて、「わあ、それはすごい!買おう!」となるでしょうか? おそらくなりません。「早く作れる」ことは、作り手の都合であって、買い手の幸せではないのです。むしろ、「急いで作ったものは危ないのではないか」という新たな不安すら招きかねません。
本当に消費者の不安や反発を小さくし、受容を促すためには、やはり「製造プロセス(どうやって作ったか)」の説明から離れ、「その技術がもたらす価値(なぜ作ったか)」を語る言葉が必要です。
では、どのような呼び名が望ましいのでしょうか。それは技術の名前ではなく、その技術によって実現される「未来の生活」を名前に含めること。それが、専門家と一般人の断絶を埋める唯一の橋渡しとなります。
言葉の選び方が市場の成否を分ける事例は、バイオテクノロジー以外の分野でも現在進行形で起きています。
特に「代替肉」の分野は、まさにネーミングの実験場となっています。
動物の細胞を体外で培養して作る肉について、当初は以下のような名前が使われていました。
Lab-grown meat(研究室育ちの肉)
In-vitro meat(試験管肉)
Synthetic meat(合成肉)
これらは科学的に正確なジャーゴンですが、消費者に与える印象は最悪です。「試験管」「合成」「研究室」といった言葉は、「不自然」「まずそう」「マッドサイエンティスト」といったイメージを喚起し、食欲を減退させます。そこで推進団体が提唱したのが「クリーンミート」という名称です。
クリーンとは、環境を汚さない、屠殺がない(倫理的に潔白)、抗生物質を使わない(衛生的)こと。これは、製造プロセス(培養)を主張するのではなく、その「倫理的 環境的メリット」を前面に押し出した見事な用語です。実際、調査によると、「研究室育ちの肉」と呼ぶよりも「クリーンミート」と呼んだ方が、消費者の受容性は高まることが示されています。
興味深いことに、日本では「クリーンミート」という言葉はあまり浸透していません。日本市場では、細胞培養肉はまだ研究段階ですが、植物由来の代替肉が先行して普及しています。ここで成功している呼び名は、「植物肉」や「大豆ミート」、あるいは「大豆のお肉」といった表現です。
日本の消費者は、欧米に比べて「自然であること」を強く重視する傾向があります。そのため、「人工的」な響きを持つ言葉には敏感です。「クリーン」という言葉も、日本では「洗浄された」というニュアンスで受け取られかねず、食品のシズル感(美味しさ)にはつながりにくい側面があります。
そこで日本では、「大豆」という馴染みのある伝統食材を冠につけ、「~のお肉」と呼ぶことで、「これは新しい得体の知れない化学物質ではなく、あなたが知っている大豆の新しい食べ方ですよ」という安心感を与えています。これもまた、繊維化など技術的なプロセスを説明するのではなく、「親しみ」というベネフィットを提供することで、不安を解消している好例です。
一方、細胞培養肉については、日本では依然として「培養肉」というプロセスそのままの言葉が使われています。これが将来的に市場に出る際、そのままの名前で出るのか、それとも新しい価値を表す言葉をまとうのかが、普及の鍵を握ることになるでしょう。
日本には、行政と産業界が連携して、誤解を生みかねない事実を「一般人に分かる利益」に翻訳することで、大成功を収めた事例があります。農業分野における「エコフィード」の取り組みです。
食品工場から出るパンの耳や、麺の切れ端、売れ残ったお弁当などの「食品残渣」。これらを家畜の飼料として再利用する取り組みは、古くから行われてきました。しかし、これをそのまま事実に基づいて描写すれば、「食品廃棄物飼料」あるいは「残飯飼料」となります。もしスーパーに並ぶ豚肉のパックに、「残飯を食べて育った豚」と書いてあったらどうでしょうか。消費者は「不衛生だ」「ゴミを食べさせられた可哀想な豚」「肉の質が悪そう」というイメージを持ち、不安や反感を抱くでしょう。事実は「資源の有効活用」であっても、言葉が持つ「廃棄物」のニュアンスがリスクとして認識されてしまうのです。
そこで、この飼料に「エコフィード」という名前が付けられました。「環境に良いエコ」と「飼料(フィード)」を組み合わせた造語です。この名前への転換は、魔法のような効果をもたらしました。
意味の転換: 「ゴミ処理」というネガティブなプロセスが、「環境保全活動」というポジティブな目的に書き換えられました。
ブランド化: 青森県の「つがる豚」のように、エコフィードで育ったことをむしろ「売り」にするブランド豚が登場しました。消費者はそれを「環境に配慮した賢い選択(エシカル消費)」として積極的に支持するようになりました。
「食品廃棄物利用」と言えば「釈明が必要」になりますが、「エコフィード」と言えば 企業の社会的責任のアピールになります。豚が食べているものは同じでも、呼び名を変えることで、社会的な位置づけが「不安」から「賞賛」へと 180 度転換したのです。
リスクコミュニケーションにおいて最も避けるべきは、専門家の自己満足的な「正確さ」への固執、すなわちジャーゴンの多用です。特に、新しい技術を説明する際に「製造プロセス」に焦点を当てた名称(遺伝子組換え、ゲノム編集)を使うことは、一般の人々に理解をもたらすどころか、不要な不安や倫理的な反発、不気味さを植え付ける結果となります。
「遺伝子組換え作物」の失敗は、技術そのものの失敗というよりは、コミュニケーションと言語選択の失敗でした。そして今、「ゲノム編集」や「品種改良加速技術」という言葉において、私たちは同じ過ちを繰り返そうとしています。「品種改良加速技術」は、「ゲノム編集」よりはマシですが、まだ「開発者の都合(加速)」を語っており、「消費者の幸福」を語っていません。
専門家や行政、そして企業の担当者は、以下の原則を胸に刻むべきです。
プロセスからベネフィットへ: 「どうやって作ったか」よりも、「それを使うとどうなるか(目的・効果)」を名前にする。専門的な正確さよりも、生活実感としての分かりやすさを優先する。
説得から共感へ: 「正しい知識」を一方的に教えるのではなく、相手の「不安」や「直感」を否定せずに受け止める。その上で、その技術が目指す「良き未来」を共有する言葉を選ぶ。
なじみ深さの活用: 「大豆のお肉」や「品種改良」のように、人々が既に知っている安心な概念に関連付けて語る。未知のジャーゴンは恐怖だが、既知の言葉の組み合わせは安心を生む。
言葉は、単なる記号ではありません。それは技術と社会をつなぎ、信頼を醸成するための架け橋です。専門家の皆さん、研究室から一歩外に出たら、白衣を脱ぐようにジャーゴンを脱ぎ捨てましょう。そして、その技術が誰のために、何のためにあるのか、その「心」を語る言葉を紡いでください。消費者の不安や反発を溶かすのは、論理的なデータではなく、共感を呼ぶ「人間らしい言葉」なのですから。