自己紹介の欄でも書きましたが,私はコールメロディオンという合唱サークルで指揮者をしていました.もう数年前のことになります.
私の合唱指揮者生活は,実は中学校から始まっていました.まぁ,中学校からといってもクラス対抗合唱コンクールのクラスの指揮者に選ばれたというだけなんで,指揮者生活というにはおこがましいですが・・・
本当の意味で,指揮者になったのは高校時代からです.高校時代はバンドと合唱サークルを掛け持ちしていました.もともと合唱サークルは入る気がなかったんですが,友達に誘われ,練習が週一回というのを聞いて,「あぁそれなら楽そうだ」という軽い気持ちで入ったんです.
でも今から思うと,この友達に誘われていなかったら合唱の世界には一生縁がなかったと思うし,まして大学で合唱サークルに入ることもなかったと思います.
なんか自伝風になってきましたけど,高校時代に指揮者になった経緯から話したいと思います.
ことは1年生の秋.当時合唱サークルには1年生と3年生しかおらず,3年生が夏休みを終え引退することで指揮者を選ばなければならなくなりました.かなり小規模の部でした.人数が15人ぐらい,男は3人.その中でジャンケンで選ぶことになりました.僕はその当時,指揮者なんてあまりどういうものか知らなかったので,なる気なんてなかったんですね.そのジャンケンで負けてしまい,指揮者になることになりました.1年生の秋から3年生の秋まで指揮者をしていたわけですから,相当長いことしていたわけです.
指揮者になったからって,何をするでもなく,とりあえず棒を振るだけ.全パートのリズムを合わせ,音の違うところを訂正する(といってもそれほど音感があるわけではないので,それほど正確には直せませんが・・・),そういう基本的なことしかやってませんでした.
でも,もしもジャンケンで負けて指揮者になってなかったら・・・と思うと,いまでも神様に感謝したくなります,ジャンケンに負けたことに.高校時代に指揮者になってやはり良かったと感じるのは,大学で合唱をやろうという,指揮者になりたい,という気が起きたからです.
合唱の指揮者というと,オーケストラの指揮者よりも派手さはないような気がします.確かに派手さはないです.でも,少人数でみんなの顔を見ながら音楽を作り上げていく,というのがとても楽しいんですね.コルメロに入って確かに人数は多かったですが,それでも50人前後.有名な合唱団であればもっといますから,コルメロも小規模(まぁ中規模)な合唱団といえるでしょう.この大規模ではなくて,小規模の合唱団の指揮者になれた,というのも良かったことの一つです.理由は上に述べたとおりです.
合唱の指揮者の仕事は,全パート(ソプラノ・アルト・テナー・ベース)のリズムをそろえる,音程をそろえる,表現の指示,など色々あります.まぁ,自分でやろうと思えばいくらでも仕事があります.
さて,ここから管理人の合唱指揮者理論を存分に語っていきたいと思います.
まず,一番初めに指揮者になるのに必要なこと.
それは音感でもなくリズム感でもなく,情熱であると僕は思います.確かに音感やリズム感がないと困ります.しかし,ピアノやキーボードで音取りをするわけです.リズムだってメトロノームを使えば,正確なリズムが刻めるのです.道具を使って出来ることを指揮者が正確に出来ても,僕はそれを凄いとは思いません.僕が凄いと思うのは,道具では出来ないことを出来る指揮者,それは歌から心を引き出す,心で歌わせる指揮者です.
合唱の良い点は,楽器が体という点です.ピアノなどでは,感情をこめて弾くことは出来るでしょうが,心をこめて歌うことに及ばないでしょう.合唱は心を表現できるのです.そして,指揮者は,合唱団の心をまとめる存在なのです.
そうなると,指揮者の仕事とは何でしょう?
私の答えは,自分の歌に対する解釈をしっかり持っていて,それを合唱団に浸透させることだと思います.楽譜を読み込んで,作曲者がどういう意図でこのような音形にしたのか,作詞者がどういう意図でこのような言葉を用いたのか,それを自分なりに解釈して,合唱団に披露できる.それが指揮者の一番大切な仕事だと思います.
少し矛盾するのですが,指揮者の解釈が全てであり,合唱団がそれに従わなければならない・・・というのではありません.指揮者の解釈が,ある人にとっては「うんそうだなぁ」と思わせるかもしれませんが,またある人にとっては「いや,僕はこうは思わない.そうではなくて,こうじゃないかな」と感じさせるかもしれません.これは良いことなんです.曲に対する解釈で合唱団と指揮者がぶつかるというのは,決して悪いことではなくて,むしろ良いことだと僕は思います.それは,その意見の衝突により,解釈をさらに深めることが出来ると思うからです.そういうきっかけを与えるのが指揮者の能力として不可欠であると僕は思っています.
さて,次に僕が指揮者にとって重要だと思うこと.
それは自分の思っていることを表現できること.それは,ボディーランゲージでも良いですし,言葉でもいいです.まぁ,僕はたまたま指揮を振るとき大振りなんで,そう思っているだけなんですが,表現を体現できるというのは素晴らしい能力だと思っているんです.
オーケストラに所属している友達と指揮者談義になったときに,僕はバーンスタインや佐渡裕のような大ぶりする指揮者が好きだなって言ったら,その友達は,「俺は佐渡みたいに,汗びっしょりかいて振るのはどうかと思うな」っ言ってました.この2つ目の,僕が指揮者にとって必要だと思うことは,取り方は人それぞれでしょう.でもこれまでの指揮者というのは,大振り・小振りにかかわらず,何かオーラで自分の表現を醸し出しているように思えます(ビデオなどで見た限り・・).自分の表現を,どういう手段を用いてもいいですが,合唱団あるいは聴衆に示せる,これは非常に重要な能力だと僕は思います.
まぁ,これは僕の指揮者理論ですから,正統性なんてありません.でも重要なのは,指揮者はただの棒振りではないということです.ただの棒振りなら,メトロノームを指揮台の上に置いといた方がよっぽど正確ですからね.ただの棒振り指揮者にならないためにも・・・・・指揮者になる人には頑張ってほしいです.