第1章では指揮者の歴史について,概説しました.本章では指揮者とオーケストラはどういう関係にあるのか?ということについて,私の考えを述べていきたいと思います.
まず,指揮者についてよく聞かれる質問に,
「指揮者っていないとだめなの?」
「同じ曲でも指揮者が違うと,演奏の仕方が違うの?」
というのがあります.まず,答えから言います.
指揮者はいないとダメです!!
指揮者が違うと同じ曲でも,全然変わります!!
まず,一つ目の質問から.
オーケストラというものは,指揮者がいないと演奏を開始できません.まぁ,室内オーケストラみたいに指揮者がいないオケも,もちろんありますが.指揮者が開始の合図,つまり,指揮棒をあげないとオーケストラは動いてはいけないのです.ですから,指揮者はとても重要な役割を持っています.指揮者は楽器を持っていませんから,自分では音を出すことは出来ませんが,指揮棒一本でオーケストラの音をコントロールすることが出来るのです.ですから考えようによっては,指揮者の楽器は指揮棒ということも出来ますね.
二つ目の質問です.これは,とてもcriticalな質問です.
なぜcriticalかというと,結構ほとんどの人は,指揮者の「存在意義」というものをあまり認識していないからです.
まず,例から言いますと,
カラヤンの振ったベートーヴェンの「運命」と,
バーンスタインの振った「運命」
は違います.それよりも,もっと分かりやすい例がいいでしょうか.
フルトヴェングラーの振ったベートーヴェンの「運命」と,
カラヤンの振った「運命」
はもっと違います.
CDを持っていて,聞き比べれば一番早いのですが,おそらく持っていないと思うので,つたない日本語で説明したいと思います.
まず,指揮者にはそれぞれ持っているテンポというものがあります.僕的にはカラヤンは一般的なスピードだと思います.バーンスタインやフルトヴェングラーは,テンポが揺れます.つまり,スピードが結構変化します.情緒的な部分は思いっきり遅くして,甘美的に演奏し,逆に最後のフィナーレなどは思いっきりスピードを上げて盛り上げて終わらせる,こういうふうにするのです.
もちろんカラヤンもテンポを揺らします.しかし,フルトヴェングラーに比べたらテンポの揺らせ方はおとなしいですね.
まず,このテンポという面からも,同じオーケストラで同じ曲であるのに指揮者が違うと,全く違う曲に聞こえるということが理解できるでしょう.
だからクラシック音楽を聞こうとする際,自分にあった指揮者―自分の好みの表現をする指揮者―を探すのが,クラシック音楽を好きになる一番の早道だと思います.といっても,始めはどの人がどういう演奏スタイルを持っているか,なんて分かりません.それは,自分でどんどんCDを買っていって勉強するしかないでしょう.
かく言う私も,クラシックを聞き始めたのは大学に入ってから.クラシック音楽にはまったのは.ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」(この名称は日本だけしか使われていないようです)のあるCDを買ってからでした.そのCDとは,
フルトヴェングラー指揮・ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
1947年5月27日ライブ(確か・・・)
です.フルトヴェングラーという人は,第二次世界大戦中ナチスドイツに協力したという罪で,1945年から2年間の演奏中止という処罰を受けていました.その演奏中止の終了後に初めて行った演奏会のライブ録音が,このCDなのです.
運命というとジャジャジャジャーンという出だしで有名ですが,
運命です.このCDのおかげで,指揮者というのもが,如何にオーケストラに大きな影響を及ぼすか,また指揮者の個性で如何に曲を名曲足らせることが出来るのか,ということが分かった気がします.
まぁ,僕の場合はたまたまフルトヴェングラーのCDでした.しかし,万人にフルトヴェングラーが受けるとは限りません.ムーティが好きな人もいれば,マゼールが好きな人もいるでしょう.誰でもいいのです,自分のお気に入りの指揮者を見つければ.
そして,指揮者には主兵がいます.主兵というのは,常任指揮者や首席指揮者などをしているオーケストラのことです.その主兵と組むと,何十倍も演奏が良くなる指揮者がいます.さっきから言っているフルトヴェングラー+ベル・フィルもその一例です.他には,アンセルメ+スイスロマンド管弦楽団,ムラヴィンスキー+レニングラード・フィル,ラトル+バーミンガム市響・・・
お気に入りの指揮者とその人の主兵を組み合わせて楽しむことで,よりクラシック音楽を楽しむことが出来ると思います.