江連流ステッキ術(半棒術)の研究

江連流ステッキ術とは

危急の際の備えとして、ステッキ術(半棒術)は今日非常に有効な技術と、私、当サイトwebマスター*は考えます。

*葛飾杖道会の師範であり、代表である上野先生と、当サイトwebマスターは別人であることをおことわりします。

神道夢想流杖道同様、その武器は日常の道具であって、いかにも平和な丸棒であり、見る人をむやみにおびやかすことが無く、しかも事あらば凶徒を制するに足ります。長さの長短はあれ、これまた神道夢想流の道歌にうたわれた、

疵付けず 人を懲らして戒むる 教えは杖の ほかにやはある

のこころを体現した道具と言えるでしょう。

ステッキ術=半棒術としてはすでに、神道夢想流に併伝された、内田流短杖術があります。多くの杖道道場で、今日も盛んに稽古されていますが、このほかにも、ステッキの技は我が国にあります。

その一つが、ここで取り上げようとしている、江連流ステッキ術です。

江連流ステッキ術=半棒術と今書きましたが、この名は今仮に、私が名付けたものです。仮に半棒術と名乗ってはいても、おそらくはそのような名で稽古している道場も、伝書もないはずです。それどころか、稽古している人もまた、全くいないと言っていいかもしれません。

その理由はおそらく、この技を編み出した、江連力一郎の生涯と関係しているのかも知れません。

江連力一郎について

江連力一郎は、大正から昭和にかけて活動した武術家です。剣術体術はじめ、銃器の扱いにも精通した、手練れの人だったと言われます。

しかしその時代ゆえか、かなりの激情家でもあり、尼港事件に憤慨してその復讐のため、日本海で海賊事件を引き起こしました。大輝丸事件と呼ばれるこの出来事によって、江連は収監されることになりました。

獄中で江連は、広く日本人のために自分の武技を役立てたいと願い、老若男女だれでも身につけることができる、ステッキ術を考案します。年月を経て工夫を重ねたこの技の書は、昭和7年に郁文書院から出版されますが、その後は忘れられてしまいました。

研究のねらい

江連の所為は所為として、その技は別であると私は考えます。また有効な技術が、忘れられているのもまた残念なことです。

江連のこの術書は、今日わずかに復刻されてはいますが、その文体は80年を経た今日ではいかにも古く、現代人にとって読みやすいものとは言えません。またその説明方にしても、当時の時代を知る者でなければ、わからないところが多々あります。

幸いにも私は、歴史と古文・漢文を長く学び続けたおかげか、原書を読むのに幾分かのアドバンテージがあります。もっとも、杖道修業者としては新進もよいところですから、江連の説くところを十分に理解することは出来ません。しかしそれゆえに、自分の修業の一環として、この術書を読み、合わせてその現代語訳を、ここで試みることにしました。

浅学非才の身ですから、多くの誤りを含むことになると思います。諸先生方のご指正を賜れば、幸いに存じます。

底本テクスト:

昭和7年初版『ステッキ術』 郁文書院(東京)刊の復刻版。平成22年八幡書店(東京)発行。