上田交通
Memories of Ueda Kotsu.
CREATE:18:27 96/12/12 Update:2019/11/13
思い出のローカル線 信沢あつし
Memories of railroad A.Nobusa
私が初めて上田交通を見たのは、昭和53年頃、信越線の車窓からだと思う。長い跨線橋の端に小さなホームが見え「上田交通」の看板があった。もう既に真田線や丸子線は無かったのではないかと思う。
初めて「上田原」の駅に行ったとき、車庫の前の1両の車両に「廃止反対」等と掛かれた横断幕やらが沢山入っていたのが印象に残っている。
また、「上田」の駅にも「廃止反対」の横断幕がかかっていた時期もあったと記憶する。
上田交通には何度行ったかわからない程、何度も行った。途中下車してぶらぶらと歩く事も多かった。車で行っても別所温泉の駐車場に留め、必ず上田交通で上田まで往復した。
ある日別所温泉の駅を目指して歩っていると、小さな山の中腹から煙が出ているのが目に付いた。しばらく歩くと、農作業をしていた人が作業を止めてぼーっと眺めている。近づいて聞いてみると、なんだかわからないという。「もしかしたら山火事か?」と話をしていると、畑の脇にバスが止まって運転手が窓から「あの煙は何だ?」と聞いて来た。路線バスだが乗客も無くのんきなものである。
そうこうしている内に火の見やぐらに駆け上る人が見えた。少し煙を見ているようであったが、半鐘を鳴らし始めた。やはり火事だったようだ。人が集まってくると同時に、消防団が手押しポンプの載ったリアカーを引き山に入って行った。たいした山火事ではなかったが、非常に身近に山火事を体験し、恐怖であった。
この時、何枚か写真を撮っていたが、その中の一枚、おばあちゃんの家へ遊びに来ている、お孫さんの達が遊んでいる写真があった。それを何枚か焼き増しをして後日持っていった。あの時、確か昔「別所温泉」の駅の中に売店がありそこで働いていた、などという話を聞いていたので、駅で家を聞くと、ホームと線路をはさんだ駅の反対側であった。おばあさんの部屋から見える別所温泉の駅は、新鮮にみえた。古い木造の家から覗く風景は、タイムスリップをしたかのようであった。
初めて行った頃は、昼間は「丸窓電車」が1両で走っていた。朝夕の混み合う時期になると後ろにサハを増結した。
サハは、別所温泉の引き上げ線に何時も留置されていた。機回し線も無く、増結するのは運転席の無いサハである。この光景を初めて見たときは、感動した。
引き上げ線は駅ホーム方向に下り坂になっており、駅員がブレーキでスピードをコントロールしながらホームの奥までサハを転がしておく。その後、「丸窓電車」がホームに着いて乗客を降ろした後、少し後退すれば増結完了である。
少し日が傾きだした頃に毎日行われるこの作業は、私にとっても楽しみの一つであった。
その後ここの引き上げ線には「丸窓電車」が保存される事となった。
昭和53年6月の写真に駅舎内の売店が写っていた。次に来た時は、売店は撤去されており、そのうちに売店があったことも忘れてしまったが、写真を持って子供たちの家を訪ねて行った時に「売店のおばさんの家」の話が出て、「そういえばありましたね。」と思い出し、帰ってから写真を探したように思う。
2019年11月13日 信沢あつし