足尾本山 共同浴場と山神社
"ASHIO HONZAN" Ashio Copper Mine.
CREATE:1:10 01/01/24 Update:2019/12/18
思い出のローカル線 信沢あつし
Memories of railroad A.Nobusan
"ASHIO HONZAN" Ashio Copper Mine.
CREATE:1:10 01/01/24 Update:2019/12/18
思い出のローカル線 信沢あつし
Memories of railroad A.Nobusan
足尾本山坑の門は固く閉ざされていた。振り返ると段々畑状に鉱山住宅が並んでいた。あるものは取り壊され、あるものは屋根が落ちる寸前まで朽ち果て、それでも何軒もの住宅が残っていた。
門の前はやや広く、道路をはさんだ反対側は、生協と広場があった。広場の前からは、階段状の道が山を登っている。その先を見ると山神社があった。登り始めてすぐの右手には大きな建物があった。
藪をかき分け中に入ると、そこは共同浴場だった。素直に入っていたところは女湯のようであった。男湯へは崩れた板の釘に注意して、バランスを取りながら入っていった。
恐る恐る進み覗いてみると、やはりそこは男湯だった。「社宅防火班」の文字は妙に生々しかった。一歩踏み込むと、窓の外には本山坑の坑口付近を見渡すことが出来た。
入り口部分は、荒れていたが、浴場は床がタイルのせいかまだまだ使えそうな感じもした。
次に行ったときも、旅館のお風呂を思わせるパノラミックな眺めを、と思っていたのだが、屋根が落ち入れなくってしまった。
途中の木の橋が朽ちていたが、道ははっきりしており、少々息は荒くなったものの、山神社には難なくたどり着くことができた。
すぐ下には広場があったが、野球でも出来たであろうその場所に石灯籠が立っているのが妙だった。神社からは住宅地や坑口を見渡せた。
解説 その後のこの辺りの状況について。
本山の住宅は、年々荒れて崩れて行った。そのうちに草木も茂り、簡単には入れなくなっていた。共同浴場は、湯船を含めたコンクリートの基礎部分が残るのみである。
2019年12月18日 信沢あつし