足尾 通洞坑
"TSUDO pithead" Ashio Copper Mine.
CREATE:3:23 97/09/17 Update:2019/11/23
思い出のローカル線 信沢あつし
Memories of railroad A.Nobusan
"TSUDO pithead" Ashio Copper Mine.
CREATE:3:23 97/09/17 Update:2019/11/23
思い出のローカル線 信沢あつし
Memories of railroad A.Nobusan
「通洞」この駅名は初めて行ったときから知っていたが、「通洞坑」は、しばらくしてから知った。通洞の駅は瓦礫の山の上にあった。駅は小さかったが、引込線が山に伸びており、ホキが何両も止まっていた。そうそう、「アント」という小さな入れ替え機が置いてあった。
桐生から足尾に向かう。やがて群馬県から、栃木県へと入る。原向を過ぎ左カーブをし鉄橋を渡る。この辺りから左手の山の奥が「小滝坑」である。鉄道は川に沿い走る。すぐ右手下に国道が走る。この辺りから先は、足尾銅山の景色が広がる。そこで先ず始めに目にするのが、迷彩色に塗られたコンクリートのいかにも丈夫そうな建物であろう。
その建物は、国道より更に下がったところに建っていた。覗き込むと、建物の脇にナローの線路の跡があった。降りて詳しく見たかったが、降りられるところが見当たらず、何度か諦めた。
しかし、ある日どうしても下に降りたくなった。意を決して降りるところを探していると、今度は更に一段下がった広場のような所を見つけた。木々の間から遊園地の鉄道のようなものが見えた。今度は必死になって、そこに降りる所を探す。しばらすると木立の間から降りる階段が見えた。とにかくそこに向かった。どのようにしていったかは覚えていないが、その階段の入り口は封鎖されていが、すぐ脇に入れるところがあったと思う。
階段を恐る恐る降りていくと、目の前が開き、ぐるりと輪を描いたトロッコの線路が現れた。まるで模型の鉄道のようでもあった。
降りると、写真を撮る前に、事務所を探した。許可を取らないといけないと思ったのだ。広場の左手には、道路がつながっていて、小さな詰め所があった。人影が見えたので、何度か声をかけたが出てこない。どうも寝ているようであった。これ幸いと、戻って写真を撮る。
トロッコの線路は、小さなトンネルから延びていた。そのトンネルに行ってみるとここが「通洞坑」の坑口であった。中に入ってみると10m程で、門があり封鎖されていたと思う。たった数mではあるが、暗くて狭いトンネルは、恐怖であった。
その左手には、さらにトンネルがあったが、それは、まっすぐ向こう側に抜けていて、明かりが見えた。ここなら行けるかと思って入ったが、狭いトンネルの中に数両のトロッコが脱線していたり、空気がとても冷たくて、やはり10m程で恐くなって飛び出してしまった。
「こら!何をしているんだ!」不意に誰かに怒鳴られた。すぐにさっきの詰め所で寝ていた人だと察しが付いた。やはり先ほどの詰め所まで連れて行かれた。「許可は取ったのか。」「どこから入ったのか。」と聞かれた。
「許可を取ろうと思って、ここに寄って声をかけたのですが、誰も出てこなかったもので・・・。」
「いや、俺はずっとここにいたぞ。」
自分が寝ていたことに気が付いたのか、今度は道路を指差して
「ここは立ち入り禁止だぞ。」見ると鎖が張ってあって、立ち入り禁止と書かれていた。
「向こうの階段から降りてきました。」と言ったのだが、男は「そんな所はない。この看板が見えなかったのか!」という。
「階段には、立ち入り禁止とは書いてなかった。」と言ったのだが、男は
「そんな所は無い!」の一点張りで結局謝って帰る事にした。男は「ここは国の管理で、俺は国から任されているのだ。」ともいっていた。帰りは、立ち入り禁止の鎖が下がった道から帰った。
その次に行った時は、その道から行って、詰め所で許可をもらおうと思ったが、既に「銅山観光」の工事が入っており、鎖も詰め所も無く、工事をしている人に声をかけると親切に説明をしてくれたように覚えている。
但し、レールはかなり撤去され、蓄電池機関車や、トロッコは、展示の準備であろうか、一個所にきれいに並べられていた。
解説 その後のこの辺りの状況について。
この通洞坑は、昭和55年には「銅山観光」としてオープンした。昭和52年の写真撮影後、間もなく工事が始まったのであろう。
2007年4月1日に訪れた砂畑である。昔の面影は消えつつあったが、石積みと、この木で、ここが「清流荘」跡地と判断した。アパートが建っているが、この日、足尾で働いていた年配が、古河から仕事を貰いつつ、ここに住んでいると嬉しそうに話してくれた。
2019/11/23 信沢あつし