日中線
喜多方-熱塩間のローカル線
思い出のローカル線 信沢あつし
CREATE:3:54 96/12/14 Update:2019/11/20
Memories of railroad A.Nobusan
思い出のローカル線 信沢あつし
CREATE:3:54 96/12/14 Update:2019/11/20
Memories of railroad A.Nobusan
知ったときは、朝夕のみ3往復走っていただけで、日中に運転はしていなかったが「日中線」である。廃止になるまで終点は「熱塩駅」であったが、本来はその先の「日中温泉」まで延びる予定であった。実際に熱塩の駅からしばらくは土盛りが続いている。更には現在日中ダムがある辺りから米沢に抜けることも予定されていたのだろう。
だから「熱塩駅」は終点の駅なのだが、中間駅のような構内と、その先にあたかも線路が延びているようにも見えるところ等に空しさも漂っているようであった。
初めて行った時はSLブームの時であり、C11の引く客車列車が目的であったが、ディーゼル機関車になっても、路線が廃止された現在でも1年に一度は訪れている。
訪れるのはたいてい夏である。会津盆地なので夏は暑いのだが、真夏のローカル線が好きなのである。いやここに通いだして好きになったようだ。草生したヨロヨロとした線路を走る客車列車、日本の夏である。
クーラーではなく扇風機であるから、皆窓を開け放す。そして顔を覗かせたり手の平に風を受けたりの開放感がたまらないのである。
大概、熱塩温泉に泊まる。翌朝は一番の列車で喜多方へ出たいのだが、何時も寝坊をしてしまう。となるとバスで行くしかないのだが、ある年、バスにも行かれてしまい彼女と2人で約8キロを歩くことにした。この頃は2人で旅行に出ては一駅ぐらいは良く歩いていたので、何時もの行動であった。
2、3キロ歩いたところで、後ろから追い抜いて行った車が止まってパックしてきた。宿泊した旅館の若旦那だった。「歩くのは慣れています。」などと言ったのだが、結局は若旦那の世話になる事にした。 話をすると「私も前橋に友達がいて…」と盛り上がり、貸し自転車や土産物屋や色々と紹介してもらった。
幸い翌年はその時の彼女と結婚し訪れることが出来た。その後も毎年世話になり、子供も同じくらいとあって、今では田舎に帰るかのように訪れ、一緒に花火をしたり付き合いが続いている。今年も仙台に行った帰りに、子供が新しくなった旅館が見たいとのことで、立ち寄り、新装なったラウンジで若奥さんからコーヒーをごちそうになり、掃除の終わったばかりの温泉にも入らせていただいた。
線路は無くなってしまったが、日中線は今でもまだ人の心をつないでいる。
写真は全て昭和57年8月11日である。前年に廃線が決まったこともあり、乗客は多かった。
翌年が日中線、最後の夏であった。6月に会津に行った写真はあるが、日中線の写真はない。'69 ビートルで行ったからかもしれない.
ただ、今でも毎年、熱塩駅には年に二度程行っている。
2019/11/20 信沢あつし