足尾で見つけたトロッコ
A small railway at the Ashio Copper Mine oil power plant.
CREATE:0:11 97/09/05 Update:2019/11/21
思い出のローカル線 信沢あつし
Memories of railroad A.Nobusan
A small railway at the Ashio Copper Mine oil power plant.
CREATE:0:11 97/09/05 Update:2019/11/21
思い出のローカル線 信沢あつし
Memories of railroad A.Nobusan
今思えば、何かにとりつかれたように、あまり深くも考えず、ここに何かありそうだという動物的勘で行動していたようだ。
そして「また後で来れば良い。」などとのんびりと構えていた。
この写真は、足尾に初めて行った頃のものである。場所は、通洞坑のすぐ上の迷彩色の建物の辺だが、詳しくは覚えていない。
足尾ではじめてみつけた、レールの上に載っているトロッコである。2本のレールは、小屋から外に出ると、その先は途切れ、よろよろと寄り添うようになっていた。
小屋も、トロッコもそんなに古そうには見えなかったが、レールがいったいどこまで続いていたのがは、わからなかった。
今になって思うと、もっと詳しく写真を撮っておけば等とも思うのだが。トロッコを発見しただけで仲間内では自慢であったから、とりあえずの証拠写真程度でしかない。
この頃は、とにかく写真の被写体を捜し求めて、歩き回っていた。
でも、とにかく見るもの全てが新鮮で被写体となった。今では考えられない事だ。今は、今で、足尾も凄いスピードで変わっているのかもしれないが、それによって昔のものは消え去ってしまっている。それも跡形も無く。
足尾銅山は、汚点だったかのように、町は変化している。町からどんどんと歴史が消えていく。
写真を撮っていると、列車の音が聞こえてきた。慌てて撮影場所を探そうとしたが間に合いそうもない。あきらめて上を見上げるとキハ20系がガラガラというエンジン音とともに走り去っていった。
まだこの頃は、足尾線のディーゼルの写真も撮りたかったのだ。
解説 その後のこの辺りの状況について。
昭和51年当時、トロッコの線路は、この変電所の左脇、道路の一段下の通路を行った先に残っていた。
道路の一段下、変電所脇に延びる通路。その昔は、ここにトロッコの軌道が延びていた様だ。但し、建物の前後に門があり、通常は閉鎖されていて、線路跡を歩くことはできない。
この写真の右手の道の先が、昭和51年当時に線路が残っていたところだ。建物は煉瓦壁の旧変電所で、その妻面の木造で増築した部分から線路は屋内に入っていた。
左手は、枕木が埋まっていた箇所で、油力発電所の手前には、小屋が建てられている。
この辺りにポイントがあり、分岐していた様だ。
油力発電所側の通路から振り返る。1本ではあるが、枕木が残っていた。
2004年8月13日は、次男を連れて家族3人での足尾であった。足尾銅山観光に'66 VW WESTFALIA Camperを止めて、油力発電所へと行くと、扉が解放されていた。2、3人が作業をしていたが、何も言われることなく、家族で楽しく観光して通り抜け、変電所側から抜けられた。その時の撮影である。
2006年4月9日は、当然だが油力発電所の扉は閉められていたが、窓にデジカメを付けて撮影をすると、建屋内で90度カーブをした線路が残っていた。この写真左手に大型のディーゼルエンジンがあり、発電を行っていた。
日本最初の油力発電所と云われていたらしいが、古河から譲り受けた足尾町が処分をしてしまったとのこと。
旧国道からの位置関係。右手の山に沿って選鉱所で、道路脇は坑外軌道跡、一段上が旧足尾線。左手が煉瓦造りの旧変電所、奥が現役変電所。旧変電所の向うの端にトロッコの線路は入っていた。
現在の国道、バイパスから油力発電所と変電所跡。右下が、銅山観光の通洞坑、坑口。そのすぐ上のコンクリート建てが油力発電所、左隣が赤く見えるが煉瓦壁の旧変電所。
左手奥に山に沿って建つ選鉱所の建物群が見える。
渡良瀬川対岸、砂畑から望む。右側が油力発電所で、中央左手に煉瓦造りの変電所。その左の妻面の黒い屋根の木造部分の手前にトロッコの線路があり、建物内に延びていた。
2019/11/21 信沢あつし