ストーブのある列車
昭和53年10月9日 青森県津軽鉄道
思い出のローカル線 信沢あつし
CREATE:10:44 97/05/08 Update:2019/11/12
Memories of railroad A.Nobusan
思い出のローカル線 信沢あつし
CREATE:10:44 97/05/08 Update:2019/11/12
Memories of railroad A.Nobusan
茨城交通、そして日立電鉄と寄り、次は津軽鉄道に向かう。本当は、一個所でのんびりとすごしたいとも思うのだが、せっかく出掛けるのだから「ついでに色々と」となってしまう。そんなルートを考えるだけでも大仕事である。更に、この時は、2泊3日だが、1泊目は、急行「八甲田」であった。日立で夕食を取って、常磐線の最終で仙台に。そして八甲田に乗り換えた。と書くとなかなか考えられた旅のようだが、乗り換えの待ち時間は2時間。
八甲田は、1両に2、3人であった。夜行列車で寝たことのない私は、この時も車窓の景色を眺めたり車内の様子を観察したりしてすごした。
演歌など聞かない私だが、青森が近づいてくると頭の中で「あーおもりー駅は、ゆきーのなかーっ」と津軽海峡冬景色がグルグルと回っていた。
青森は雪が降る時期ではなかったが、早朝という事もあり、あっという間に身体が冷えた。
青森で乗り換えて、津軽鉄道に向かう。川辺の乗り換えで寝ぼけていて、違う列車に乗りそうになる。はたして乗った列車も合っているのか、車内放送で確認し、五所川原に近づいているのを知ると、あのストーブ列車に出会えると興奮した。
五所川原の駅に着くと、例の3両編成の客車が待っていた。ホームは、女子高校生等で、少々混んでいたが、客車に乗って、座席を見渡すと一個所空いているところがあった。
カメラバックを担いで、近づいてみると座席が無かった。ストーブを置く場所であった。ここで初めて、ストーブ列車を実感したのが本音だ。寝ぼけていたせいもあるが、本当にストーブを置いてある所までは想像が出来ていなかったのだ。
確か、10月であったが、デッキに出るとドアは、釘で開いた状態に固定してあった。終点の津軽中里まで、このデッキで、風を受けながら行った。
国鉄の客車列車のドアを走行中に、面白がって開けたり閉めたりしたことはあったが、開けっ放しで走る経験は、後にも先にも、この時だけである。昔ながらの地方私鉄を体感した旅であった。
当時でも珍しい木造のワムやラッセル車が置いてあった。ワムなどは、物置として放置されているものは見ても、車輪がついてレールの上に乗っているを見たのは、感激だった。
【青森からの思い出】
ネガを見ると仙台駅の地下通路を歩くコマの次は津軽鉄道。その間は写真撮影はしなかったようだ。青森駅で朝早い客車列車に乗り換え。様子を見に行っただけだったが、各客車は満席に近かった。空いている客車を探していくと、誰も乗っていない車両が!! 乗り込んでみて驚いた。20mで両端にデッキがあるものの、ロングシート客車で、寒々としていて誰も乗っていなかった。雑誌などで面白い客車があるものだと思っていたが、まさか自分が乗るとは思ってもいなかった。隣の車両に移り空いていたデッキの脇の席に座る。車内はほかほかと暖かかったが、正面は護送中のお巡りさん(刑事?)と犯人(?)だった。お巡りさんは「ご迷惑をお掛けして、申し訳ない」などと言っていたが、そうゆう訳だった。犯人は「甥っ子が警察官で…」などと話だし、お巡りさんにすり寄っていた。そんな環境でも眠くて寝てしまったのだった。
最初の「思い出のローカル線」ホームページでは写真が小さくて、粒子が荒れているのが目立たなかったが、実はフィルム現像時に増感を間違えていた。(汗
寝ぼけていたのかな~。
2019年11月12日 信沢あつし