熱塩温泉
日中線「熱塩駅」から
"ATSUSHIO-ONSEN" hot spring in Fukushima
CREATE:1:31 97/07/04 Update:2019/11/22
思い出のローカル線 信沢あつし
Memories of railroad A.Nobusan
日中線「熱塩駅」から
"ATSUSHIO-ONSEN" hot spring in Fukushima
CREATE:1:31 97/07/04 Update:2019/11/22
思い出のローカル線 信沢あつし
Memories of railroad A.Nobusan
日中線の熱塩駅を出ると、通りを左に曲がる。そしてしばらく歩くと、熱塩温泉に曲がるT字路となる。この角には、酒屋があり、おやじはここでビールとジュースを買った。旅館で頼むと高いからだ。我が家の家族旅行は何時もそうだったし、なぜか温泉街の入口には酒屋があった。
温泉の入り口右手の店は、バスの待合所でもあり、SLマニアのためにフィルムも置いてある。朝は出来立ての温泉まんじゅうも売っていた。
この年は、このあと同級生3人と、再度訪れた。家族で来た時は、一人5,500円の部屋だったが、この時は3,500円の部屋であった。
台風の中、C11の写真を撮って、ずぶぬれになって旅館に入ると、「この前、来たガロみたいですね。」といわれた。ガロもずぶぬれだったのかわからないが、単純にジーパンをはいた3人組ということであろう。
一番安い部屋で料理も一番安いのを頼んだのだが、部屋は古いというだけで、3人には広すぎる部屋で、眺めも良かったし、料理も十分すぎる量だった。
翌日は、早起きをして熱塩駅に行き、朝一番の列車を撮りに行く事になっていたが、私は寝過ごしてしまった。目が覚めると、友人二人は起きてはいたが、やはり彼らも寝過ごしてしまっていた。「でも、部屋から汽笛が聞こえた」とちょっと自慢そうに言っていた。
朝の列車に乗らないと、後は、バスしかない。バスも1時間に一本程度で、タイミングがなかなか合わない。結局、何時も小さな熱塩温泉の町を歩くことになる。
夏は、通りの脇には、清水が引かれ、すいかや野菜が冷やしてあった。
セミが脱皮をするために木に登っているのを見たこともある。
秋に来た時は、神社の境内がいちょうの葉で、黄色いじゅうたんを敷き詰めたようになっいた。
初めて来た時と、少しずつ変わっているが、小さな町の静かなたたずまいは変らない。何にもないが、それが良いのだ。どんなものでも楽しめる、素直な気持ちになれるのが良いのだろう。
CREATE:1:31 97/07/04
昭和49年の夏の家族旅行が、初めての熱塩温泉、日中線のSL最後の年だった。C11を撮るために早朝に父親に起こされ二人で駅へ行った。朝食後の散策の写真だろう。右手の上に火の見櫓があったところ、後方左手は今もある伊藤酒店であろう。母親の照子さん(現在91歳)と、妙になついた犬。
2019/11/22 信沢あつし