小さな石灰工場
昭和51年8月 秩父鉄道に行って見つけたトロッコ
Small lime factory railway.
CREATE:97/06/12 23:29 Update:2019/12/04
思い出のローカル線 信沢あつし
Memories of railroad A.Nobusan
昭和51年8月 秩父鉄道に行って見つけたトロッコ
Small lime factory railway.
CREATE:97/06/12 23:29 Update:2019/12/04
思い出のローカル線 信沢あつし
Memories of railroad A.Nobusan
私の従兄の一人「国領のおにいちゃん」は、上毛電鉄に勤めるほどの「鉄道マニア」であったが、彼と同い年のもう一人の従兄「チャーちゃん」も「鉄道マニア」であった。私は、3才年下であり、小さい内は良く遊んでもらったが、相手が中学、高校となると、殆ど付き合いが無くなっていた。
しかし、私が高校時代のある日、家族でチャーちゃんの所へ行くと、
「なに、あっちゃんも、鉄道の写真も撮るんかい。これから秩父鉄道に行こうか。」と従兄弟と久しぶりに遊びに行く事となった。
2人の従兄弟は、国鉄派であったのに対し、もうこの時既に私は鉄道の変な物を追いかけていた。
先ずは無難なところで長瀞の鉄橋に行った。鉄橋の向こう側のに行くと踏み切りが鳴り出した。お互いに慌ててカメラをもって線路に走る。この頃は既に、国鉄や東武が乗り入れていて、味気ない電車が増えていたが、この時は秩父鉄道の急行「秩父路」であった。
従兄が言い出したのであったが、初めてらしく、次の撮影ポイントは、私が決めた。
車を降りると私は、小さな工場に向かっていた。石灰で真っ白になった建物は、霧雨に濡れて、ぬめっとした光を放っていた。
そして、中を覗き込むと、やはりあったトロッコである。ナベトロもある。
工場は、国道と脇道に挟まれた窪地に建っていて、トロッコを上まで上げるためのウインチも備わっていた。つまり工場から出て1本になった線路の部分は、小さなインクラインになっていた。
しばらくすると、従兄が秩父鉄道の電車を撮って戻ってきた。そして第一声「好きだねーっ。あっちゃんも!!そんなことだと思ったよ。」。
お互い様である。あんた達も年中、車両の形式写真の様なの撮っていて、そっちの方がよっぽどこっけいじゃないの。と思ったのだが、一般の鉄道マニアから見るとやっぱり、こっちの方が、こっけいで、特殊な趣味なのである。
この後は、八高線の写真を撮ると、戻り、神流川の鉄橋に連れて行かれた。車の中で、あーじゃない、こーじゃないと話ははずみつつも、私は、またもや発見してしまった。土木会社の資材置き場の片隅に、小さい機関車が2両置かれているのを発見したのだ。
この後は、八高線の写真を撮ると、戻り、神流川の鉄橋に連れて行かれた。車の中で、あーじゃない、こーじゃないと話ははずみつつも、私は、またもや発見してしまった。土木会社の資材置き場の片隅に、小さい機関車が2両置かれているのを発見したのだ。
良く翌年、昭和53年に恐らく昭和46年式のホンダZで再訪し、少し分かりやすい写真を撮ったようだが、この日も霧がかかったような天気で良い写真は撮れていない。
この後、武州中川へ寄り、更に秩父の奥へ。森林鉄道を求めて走ったらしいが、最終的に雁坂峠の入口だっただろう。通行止めのになったところの食堂に寄り、秩父を後にした。
2019/12/04 信沢あつし