木曽路中津川から
昭和52年10月 北恵那鉄道
思い出のローカル線 信沢あつし
CREATE: 97/05/10 04:13 Update:2019/12/07
Memories of railroad A.Nobusan
思い出のローカル線 信沢あつし
CREATE: 97/05/10 04:13 Update:2019/12/07
Memories of railroad A.Nobusan
高校を卒業してすぐの年、会社に入って半年ほどで、名古屋への出張があった。皆は、新幹線で、日曜日の夕方に到着であったが、その日が日曜日で昼間の仕事が無かったため、私は、土曜日の夜に出発した。
当時、高崎から客車列車が1往復走っていた。10系客車なども増えてチョット国鉄の客車列車も味気なくなった頃であったが、その中にはスハ43などもあり、そんな古い客車を探して乗った。
東京に出て、今度は中央本線の夜行列車に乗る。殆どが登山客で、土曜日の夜と言う事もあって混んでいたと思う。そして、木曽森林の跡を少し歩き、その後で中津川に向かった。
中津川の駅「中津町」は、当時でもタイム・スリップしたかのようであった。9月だったとは思うが、その日は天気が良く、駅舎に入ると、ひんやりとして気持ち良かった。天井では、大きな扇風機がゆっくりと回っていた。列車が無いのを知ってはいるが、時刻表に目をやる。朝7時の後は、夜になる。親切に昼間のバスの時刻表が並んでいた。
以前から、行ってみたいと思っていたのだが、お金がある程度自由になって、一人で出てこられるようになったら、列車の本数は減り、廃止が目前に迫っていた。鉄道が全盛の時代に大人でなかった自分が残念であった。
構内は、草生し所々に電車が置かれていた。どれも誰も乗っていないのだが、まるで、今にも動き出しそうな雰囲気であった。
構内を一回りすると、駅の待合所で木製のベンチに座る。こんなベンチは、駅には付き物であったが、徐々に無くなりだした頃でもあった。
駅員が2人ほど事務をしていたと思うが、ひんやりと静まりかえった駅舎の中で、自分も北恵那鉄道のように、時代に取り残されているようであった。
2016年4月2日の朝、中津川のホテルに'65ビートルを置いて、中津町まで散策に出た。桜が満開の季節であったが、冷たい雨の朝だった。中山道、木曽路の中津川であるから、街が古く雨もあまり感じさせなかった。前夜に食事に出たこともあり、粗方の道筋は理解していた。中山道を横切り、中央線の下をくぐると、昭和53年とほとんど変わっていない旧駅前通りへと出た。今なき駅舎前を横切ると何か見覚えのある感じ。「確かこの辺に木造のワが置いてあったんだ」と、その辺りで写真を撮る。ただし、駅舎も木造貨車もなく、駐車場が広がるだけなのであるが。
駐車場の向う側の通りへと行くと、中央本線から分岐してきた線が構内へ接続していたことを思い出す。その反対側は北恵那鉄道が延びていたが、古い工場と住宅の間に、畦道のように伸びていた。轍ができているから、車が走っているのだろうと思うが、入口は立入禁止で、その先はあきらめた。
JR中津川駅と旧中津町駅間には、古い建物が並んでおり、往時の賑やかさを今も残している。
2019年12月7日 信沢あつし