週間朝日 昭和25年5月6日
第三位 黒沢貞次郎氏 東京蒲田の黒沢商店主。テレタイプ(自動印刷電信機)の製法と、米国のスミス・コロナ会社の代理店として英文タイプライターの販売にあたり、 二十三年所得一千三百万円、二十四年度二千九百万円(全国第六位)と、事業は好調、税金の滞納など全くなく、国税庁のおホメものになっている。
日本橋に生れ、小学を卒えると、単身渡米、二十六歳までニューヨークのタイプライター工場に働き、明治三四年帰国。十台のタイプを、はじめて日本に持ち帰ったが、 売れずに困ったという。
その後、数寄屋橋のそばに間ロー間半の店を開き、片仮名タイプを創案、以来五十年、タイプライターと生命を共にして来た。大正のはじめ、蒲田に移り、 従業員は常に一貫して百三十八程度、平均勤続年数二十五年、新規採用はみな従業員の家族から採ることにし、工場の周囲には社宅が約百戸あり、 戦前は工場の敷地内に幼稚園、小学校も経営、「黒沢村」を形づくっていた。
貞次郎氏(75)はロータリー・クラブの熱心な会員。自動車も持たず、毎日、八時前には電車で工場に現われる。米国のスタンウエイ・ピアノ会社や、 独逸のカール・ツァイス工場のような工場を作るのが念願で停年制はなく、七、八十歳の人まで働いている。