店の特色を表示する標語 黒澤商店店主黒澤貞次郎
私の店の標語
私の店の標語は、 英語で言えば
“Everything best in office Appliance"
訳して「事務用具の最善のものは何でも」と云うをもってこれを充てている。
「親切第一」とか「正直第一」といったような標語は店の標語としては誠に面白いが、然しながらこれ等の語句は一般的のもので、何處の店なり、 会社なり、はた人間として一般に守らなけれぱならぬことで、一般に特有のものでない。 私の店の標語は一寸異様に聞えるであろうが、 本場の米国ではそう云ったような,その店の特色を表示するが如き標語を用いている所が沢山ある.
儲けは第二
「事務用具の最善のものは何でも」と云う私の店の標語の意味は、事務用具の最善のものは何でもあり、最善のものでなければ取扱わぬ、 最善のものでなけれぱ儲けぬと云うのである。
商売人の儲けと云うものは、そんな浮いたものではなく、あたかも樫の木の育つが如き堅実なものである。商人の儲けは第ニであって、 社会奉仕が第一であらねばならぬ。私の店で、事務組織の材料を取扱った動機は、これによって儲けると云うよりは.むしろ人間の執務能率に限りあり、 これを補うには機械力によらねぱならぬ.機械を用いるならぱ精良なるものを要すると同時に、これが供給者を要する。 これが供給者に自ら当らんと決心したのが.即ちそれである。
私の店で初めタイプライターを取扱ったのは、私が漢字嫌いであり、これを普及して世の進歩に貢献すると思ったからである。 儲けようというよりは、 無意識に儲かっているのである。商人は帰着する所は,社会奉仕の第一の戦線に立っている人である。商人で自分の取扱っている商品について、 一つの理想を有し、これに対して趣味を有っておらねばならぬ。綿花なり.鉄なりを取扱うならば、寝ても起きても綿花なり,鉄なりであらねばならぬ。
しかしてこの人は必らず儲ける人であり、成功する人である。然しなから綿花が儲かるから綿花をやる、鉄が利益があるから鉄を取扱うと云ったような人は、 遂に財産を蕩尽する人である。試みに商界において蹉跌失敗した人をみるに、比々皆然りである。
故に儲けんとする事は,近眼の考であって、商売上の基礎があれば.英語の所謂ケントヘルプで儲けざるを得ないのである。
私の店の主義
私の店で取扱っているタイプライターなり、その他の事務用具なりについて、海外の第二流の製造所から取扱ってくれないかと云う提議がしばしば来る。 然し私の店では最善のものと云う確たる標準があり、一定した物指がある。この物指で計ると寸法が違うから、謝絶することになる。
新規に発明せられたものには、試験時代と云うものがあるものである、その試験時代を経過して、 最善のものと云うことが実証せられない以上は私の店の主義統一の上から軽々に取扱わぬ。うっかりすると、塵を掴む危険があるからである。
あるいは新登明品を聞賭するや、電光石火の勢で掴まなければ、他の商人のためにその販売権を独占せらる恐れなきやに云へば、 成程ある商品にはソンな事もあり、時としては人に先んせらることもある。然しながら人間の力と云うものは限りあるもので、才子なら別として、 私の如き鈍物を以てしては、限りなき品を集めることは出来ない.急いで塵を掴むよりは、退いて守った方が万全である。よし又前述のやうな事があっても、 同じ社会に働いているのであるから、他の人に儲けるチャンスを与えても宜いではないか。自分の店の基礎は強固であるから、 これあるがために人に本城を陥落せしめるようなことは断じてない。しかのみならず二十年前も今日も飯は日に三度しか喰わないのであるから, 何にもソンなに焦せらんでも宜い。言葉は平易であるが、英語の所謂、スロー、バット、シュアー 「遅くとも堅実」と云うことは、私共の座右銘である。
巨万の富を儲けると云う事が、必ずしも成功ではない。その日々の仕事を満足にやった人こそ.真に大成功者と言わねぱならぬ。よし車を挽こうか, 荷造りをしようか.忠実に満足にその仕事をやった人であったならば.その人に大成功来らざるを得ない。今日も明日も一年三百六十五日、 これを繰返しておったならぱ、その人に大成功来らざるを得ないのである。
億万の富を積むことは、必ずしも幸福ではない。精紳に満足を得る人こそ、真の幸福者である。空想に耽る者は,遂に失望に終る。 一足飛びに成功せんとする人は、一時に十万枚の煉瓦を振り蒔いて、一挙して大家高楼を建築せんとする人である。三菱の原に行きて, 大家屋は一枚づつ煉瓦を積み上ることによって竣成せらるの状をみぱ思いなかばに過ぐるものがあるであろう。
曖昧な客と確実な客
商人として事情が許すならば、確実な商品を売った方が最も安全である。そう云った店には確実な客が来て従て貸倒と云うような危険がないからである。 商人にして最も怖るぺきものは貸倒れである。
確実な商品を売る事はその店の所謂保護色である。友は類をもって集まる。曖昧な商品を売っている店には.自然曖昧な客しか来らす、 確実な商品を取扱っている店へは、自然確実な客が来るのが例である。従って確実なる商品を売るという事は、 即ちその店の自然の保護色とも称すぺきである。 故にいやしくも商人として、自ら保護するゆえんの途を講ぜざれば、禽獣昆虫にも劣る。
商人は商品を売って、金さえ取って仕まえば後はドウでもよいと云うものではない。その売った商品に対しては、あくまで責任を有たねぱならぬ。 もし私の店で買った商品にして、誤まって悪い品があったとしたら.私の店の全資産をもってするも、私はその人に対して迷惑を掛けない覚悟である。 自分の店で売った商品は、自分で署名して振出した手形と同様なものである。黒澤貞次郎製造と刻印を打った商品は、 取りも直さず私が署名して振り出した手形と同一の者であらねばならぬ。この商品に対しては私が責任を負うのは当然である。
何事にも安全率と云うものがあると同じく、一年持つと云って売った商品なら、二年持つものを売ってこそ、始めて責任ある商人と称すべきである。