にほんかなの たいぷらいたあ
東京聾唖学校長小西信八氏は、米国の黒澤貞次郎から「ひらかな」かきの手紙を受けとった後、直ちに母校の東京高等師範学校の同窓会会誌(明治32年(1899)10月20日発行「茗渓会」第二百号)に「にほんかな の たいぷらいたあ」と題して一文を寄稿された。
前世紀末の日本の新興活動の様相が国字改革問題を含めて伺えて興味深い。
その要旨 (原文は ひらかな 縦書)
西洋の物事、見るにつけ、聞くにつけ、羨ましくないものはない。 然しながら文字の数少なく、つづりば決まりており、口で話す言葉と筆で書く言葉とが同じであることほど、羨ましいものはない。 実にこの一ことは妬ましいまでに羨ましい。
中 略
西洋の文字は音を表すので、我が仮名に同じく便利なるに、なおその上の便利を計らんとて、John Laffan と言う人は書き方を改めんとの考えで読本を拵え、要らない文字を省く書き方で、つづり方を改め、学び易く、工夫をこらした。
中 略
実に西洋のつづり方のたやすい上に、なおたやすくすることを務むるのに、我が国では、つづりを決めるどころではなく、「かな」の形さえ一つに決まらず、数限りない漢字にあくせく教師も骨を折り、生徒も苦しみ居るは残念至極でありませぬか。
されば、カナの会も、ローマ字会等もおこりて、一時は賛成者が多かったのが、今は音も無く、国字改良会と言うのが昨年出来たが、未だ奮わず、甚だ力を落として居りましたところに、一つの大きなる喜びを得たるは、にほんかな の たいぷらいたあ が出来上がりたり言う報せを、その たいぷらいたあ で書いた手紙を受け取りたることである。
そもそも、この(たいぷらいたあ)と言うものは、西洋にては、早くより行われ、とりわけアメリカにては幾いろもありて如何なる店でも、役所でも、学校でもこれを用いぬところなく、商売取引の書き物一時に幾通りも入り用のものなどを書くにはこの上ない便利のもので、アメリカやイギリスでは婦人の金儲けには一番良い職だと申し、また盲人に教えて独立の助けに致し居ります。
この機械があれば、やり取りの手紙の控も、会議の議案も、一打に幾枚も望み通りにしたため、書記の手間を省き、如何に「かな」嫌いな人でも、これはとばかり驚いて漢字の不便を悟ることは近々の内だと思います。
中 略
目の前の不便にのみ、くつたくして四千万の未来の子供の苦しみを返り見ぬは実に残酷極まる親達と言うものだ。 終
資料提供 (財) 「日本のローマ字社」 橘田広国氏