個人経営から株式会社への改組と工場での生産体制の改革
株式会社への改組
黒澤貞次郎は極めてまれなる士魂商才を持ったが、一面では極めて頑固なところがあつた。
一つには個人経営を守り、株式会社への改組を絶対に拒否続けた。
この結果、戦後の非戦災者税及び死後の相続税で、極めて過酷なる支払を余儀無くさせられた。
黒澤貞次郎の死後、遅まきながら株式会社への改組に踏み切った。
昭和28年10月1日創立総会を開き、株式会社黒沢商店が誕生した。
下記役員が選任された。 また同時に従業員組合も発足した。
会社概要 株式会社 黒沢商店
資本金 1億円
株主 他 名
代表取締役 社長 黒澤敬一 取締役 経理担当 山本良衛
代表取締役 副社長工場長 黒澤張三 取締役 営業担当 高洲湘一郎 取締役 総務担当 海野一郎 取締役 技術担当 田中千代造 取締役 製造担当 杉田武夫 監査役 森田源一郎
工場生産体制の改革
頑固にまもられた、他の一点は工場生産面でインチ制度が施工せられメートル法を極度に拒否した。建築についても尺寸制度を使っていた。
もともと国産タイプライターの製造は輸入のスミス機を母体にして、逐次国産化の課程を辿った為、鋼材にしても、部品やネジ類は総てがインチ制度で施工されていた。
たまたま当時電電公社にて、電信中継の自動化計画にて新規機材の設計、製造がメートル法にて実行されるので、当社は、それえの参加が遅れていた。漸くぎりぎりの時点で鍵盤送信機部門の設計製造に参加することになった。
工作機械、治具工具、測定器等メートル制度えの対応に多くの労力と資金を必要とした。
一方、従来機種の生産も同時に並行しての二重体制と取り組んだ。