一ロータリアンの隠れたる職業奉仕
理想的な工場経営の実例 ROTARY WHEEL DEC 20 1938
そこの従業員はすべて安らけくその日々を送るのみか、月に歳にその貯蓄を増し、子供達の教育にさえ何等の苦労もなく只そこの経営主を 父とも頼みつつ生活の安定を喜び合い、各自に与えられた職業に他目もふらず励みつ永きは数十年、短きも就職のその日より安定の 新生涯を楽しみつつある、ここが彼等の為の極楽であり恵まれた天国である。
こんな風に永年上下心を一にして睦み合う新天地をこの機械化したる工業地に営みつつ国策に適応せる営業を為しつつある、これをしもロータリアンの 所謂職業奉仕の理想と言い得ぬであろうか。
職業奉仕の実例
近頃ロータリー倶楽部の会員中真の職業奉仕と云うことは如何なることをするのであるかとの疑問が時折り聞かれるので、 その実例を実際に描写して見んものと理想的工場を営みつつある東京ロータリー会員黒澤貞次朗氏の蒲田工場の一覧を求むべく 銀座六丁目の黒澤商店に店主をお訪ねした。
黒澤君の御意見
あの見るからに何時もニコニコした顔の持主である黒澤氏は開ロ一番先ずロータリーの職業奉仕に就て御自身の 解釈を試みらるるのであった、「私は未だロータリーの職業奉仕を蒲田工場で実現して居るとは考えません、あそこで 試みて居りますことは私がロータリーの何ものなるかを知らなかった以前に着手した事柄であって、単にウェルフェーア事業の 一部分と考えて居ります。」
思うように行かぬ浮世の風
「然かも世の中は事志と一致せずアアしたい、コウしたいと希望したことも仲々実現しません、あのやうなウェルフェーア 事業は元来借金して興ずべき性質のものでなく、営業上の正常なる利益の一部分を割いて始めて健全に確実に発達するのでありますが、 それとて毎年営業が順調に行くものでもなく、大震災当時の莫大な被害とか、金解禁当時の不況とか、その他社会的或は政治的の変動 とか天災地変とか種々様々な逆境を通り抜け、切り崩しそれに対抗しそれに打ち勝って進まねぱならぬのですからその進歩や発展は 実に歯疹いほど遅々たるものであります」 と黒澤君はまづ実現が理想に遠いものであることを一節語られたのである。
所謂職工生活
「然し、職工生活の人々は終日工場に在って外界の変遷にも気付かないのであり専心製作に従事して世間には疎からざるを 得ない、そこで此等の人々の将来や生活安定のために雇主が相当脳漿を絞って世話することは人情味の上から考えても当然すぎる ことです、幸に私の志望の幾分かを実現し得たとすれぱ誠に幸福です。」
Value for Value
一.しかしながら、ロータリーの職業奉仕と云うことは正直なる合法的の Value for Value へ価値の交換で十円で売る品物には十円だけの資質を具え る、適例を求むれば虎屋の羊かんや山本山の海苔や二百年三百年の老舗の店の商品には値段だけの資質が備わって居る。
双方安心して売買する
宮田の自転車なり、明治の菓子なり信用篤き商品を扱うて売方も相営の利益はあるが買手方も安心して実質のある品物を買う、その間少しのトリックも 無く不安もない、売手も買方も双方安心して売買すると云うことはこれがロータリーの職業奉仕ではあるまいか、タヾで他人に物をやる訳にも行かねば、 損をして売ることも出来ぬ、そこには適当な合理的な利潤が無ければ商売は繁昌もせず永続きしない。」
サービスの濫用
「近頃サービスと云う言葉が実に世間に濫用されて、サービスとはタダで何物かを提供することのように使用されますが、実はそれは真実のサービス では ない、無料提供と云うことは一つの呼ひ物で客足を引くアトラクションに過ぎぬ、その実費は何處かで甘く埋合わされて損のゆかぬように工風され決して サーピスではない、斯様な不将なことがあリますか。」
一心不乱の努力
「例えば私の営業にしても顧客に対して一心不乱に多年辛苦した経験上、間違いのない、不備不便な点や疵の無い品物を造り上げてそれを正当な値段で 差上げる、信用し合って売買すると云うモットーの下に行はるゝ営業が職業奉仕であると考えているのです。即ち売る儲けると云う念慮よりも社会一般の 御用を正直に勤めると云う信念が営業の根本概念であってこそここに始めてヴォーケショナル・サービスと云うことになるのではあるまいか。」
西洋の真似はせぬ
「左様な信念を以って営業して居りますから、その点では多少なりとも職業奉仕の精紳を営業上に登揮して居るかと考えます。然し、それは決して西洋風 の考え方を直訳したものでなく、古来老舗のある店の実行して来た所であると信じます、ここにノレンの価値がある訳でしょう。
私の人生観から発足
私の蒲田工場で職工に或るべく慰安的な生活をさせる家屋を提供したり、花園や野菜畑を与え幼稚園や小学校の設備をしてそこで職工の子弟を教育させて 居ると云うことは、それは私自身としては別に職業奉仕とは考えず、また西洋の真似をしたのでもありません、唯私の人生観より発足した僅かな現実に過ぎず、 多年私の心裏に往来しつゝあった理想のほとばしりに過ぎぬので、それをロータリアンの理想である職業奉仕の標本などとはやされてはいささか赤面もするし、 私の素志とも一致せぬ点が有ります」と黒澤商店主は謙遜に語られた。そして是非にとおねだりして黒澤蒲田工場の一覧を許さるゝことゝなった。
黒澤蒲田工場
黒澤蒲田工場は大正七年に完成したもので、敷地約三萬坪、従業員数約六百名である。
正門を入ると右手が従業員家族に割当てられた農園で、五六千坪の畑一面にねぎやほうれん草が青々と生長して居る。道の左手が工場である。なおこの 三万坪の敷地の境界には一面に樹が植え込まれ,工場内の空地にも又桜樹が植え込んである、春にはさぞかし好い花見が出来そうで工場地域は一面の公園か と思わるるほど如何にも長閑な景色である。
玄関に迎へて下さった黒澤氏はニコニコと「昨日もお話を致しました通リで、まだまだ工場を色々改良致し度いと思っておりますが、仲々思うが如く 運ばぬことぱかリで、」と謙遜される。
工場内を見物
これよリ黒澤氏の案内で、同工場を一巡した。
熱心に働く従業員、さすがに東京有数の模範工場と言われるだけあって、その秩序の整然たることは学校かと感ぜらるゝぱかり、その清潔な事、彩光の 完き事、場所を充分にとって危険を防いであること等、工場として批評の余地がない。食堂などもしっかりした土台の上に鉄骨で建てられ、非常時には一瞬 間で立派なエ場に変化し得る準備が整って居る。
テレタイプ
「この機械は刷字電信機として、今どしどし市場に出ておりますテレタイプと呼ぶものです。こちらで送信機のテープにタイブライターを打つと、その 文字のサインが打抜かれ、それが遠隔の地に伝えられ、受信機は直ちにタイプライターでそのまゝを打ち出すという組織であります。この工場十数年間の 努力の結晶です・・・と黒澤氏はこちらを見上げながら嬉しそうに説明された。エ場内のそこここには「買う気で作れ」などと云う金言が貼り出されている, これが黒澤氏の堅持さるる経営上のモットーであろう。
然しながら、私はこの工場を見学して機械の整頓や能率或はその万般の設備よりも、もっと大切な教訓が与えらるることを感じた、それは真の理想的な 経営と云うものは如何なるものであるかと云うことを現実に示される事である。
職工の住宅と学校
工場を出て少し行くと、道を挾んで両側に百数十戸の従業員の住宅が秩序正しく並んでいる。どの家にも陽当りの良い縁側と、狭いながらを青々した植木の 植え込まれた庭がある。そしていかにも住心境のよき一家団らんの生活が営まれそうで羨ましい位である。
この従業員住宅のはずれに黒澤小学校と幼稚園とがある。主に従業員の子弟を教育しているのであって上級約二十名、これは昔の寺小屋教育の現代 化で ありますと黒澤氏自身が言われた。既に六年前に第一回の卒業生が出ている、成績は頗る良いそうである。現在幼稚園を合せて生徒百六十名、先生八名で ある。
講堂に理想が表わる
講堂には忠孝の額と、一間四方位の教育勅語の額とが掲げられてある。教室の前の廊下は児童の好奇心を煽るベき別天地である、ここにはテーブルが 作業台となり、あらゆる小道具が備えられ主要木材や鉄鋼材及ぴ非鉄金属の標本やスターレットエ具や職業教育の資料が具備して一小工業学校となっている。 特に変わっているのは、講堂内一面に、大型のいろはカルタを額縁に入れて掲げてあることである。黒澤氏は次の如く説明された。
道は近きにあリ
「いろはかるたは非常に善いものですね、永いながい経験が織り込まれておりますから・・・外国を学ばなくとも昔のいろはがるたを、 よく味えば大人物になれるものと私は信じております。
「ゆだん大敵」
「ちりもつもれば山となる」
「びんぼうひまなし」
「道は近きにありですね」と、この工業哲学者は語るのである。事務員も職エも、小学生も幼稚園生も叉従業員の家族も皆、黒澤氏を親と頼み、 黒澤氏も
「ほんとに皆んなよく働いてくれます、わが身の事として一心不乱に働いてくれます、申し訳無い事です」と心より感謝しておられる。社員一同 その曰その曰を楽しく送れる訳である。
真の楽天地
この楽天地に労動問題や雇員の変動はありよう筈がない。経営者は雇員の人格を尊敬し雇員は又経営者を父と仰いでいる、普通の家族生活以上にここには 和やかな空気がみなぎっているのである。
賃金の少しでも高い方へ職工の動き易き現在の産業界にあって、「私の所ではその様な心配は絶対にありません。今後とも無いと思います」と黒澤氏の 如く断言し得る雇主は世間に幾人あるであろう?
黒澤氏のやさしい笑顔のどこを押したら、この理想的な模範工場を作り上げる強い力が出るのかと驚かされる。
女は愛嬌男は度胸
女は愛嬌、男は度胸と言うが、その二つを兼ね備えているのが黒澤氏だ。しかしてかくのごとき経営が日一日と発展する事は、火を見るよりも明かである 、何と言っても諭より証拠黒澤氏の事業は栄ゆるのみで永久に繁昌して、この天国に住う人々を祝福するであろう。
黒澤氏の如き人格者を東京ロータリークラブの会員に持つ事は、真にロータリーの名誉であると思う。