黒沢通信工業株式会社の発足
黒沢商店と富士通との出会いは、1951年( 昭和26年) 富士通が小林大祐開発課長(後の富士通社長)のもとでリレー式計算機の開発を手がけた頃、テープ鑽孔機と読取機が必要になり、その器具の提供に応じたことに始まった。
更に1953年から1955年にかけてはラインプリンター用の活字製造の依頼を受け、必要量を数次にわたり納入した。
更に、黒沢商店は日本通運株式会社の半自動電信中継装置の開発をしてその第一号機は名古屋総括支店に設置が決まり、同時にその電話交換機が富士通で受注となり、その保守上の便宜から電信交換機も富士通製が望まれたので、1956年 6月日本通運、富士通、黒沢商店三者の間でその仕様打合せが始められた。
このような交流を通じ、黒沢商店側はPBTXシステムの開発の促進と富士通側は電算機の端末機の早急な開発の必要性など、この業種の将来の発展を期待して新会社設立の話がなされ、1956年( 昭和31年 ) 12月両社の間で合弁会社設立に関する覚書の調印が行われ、1957年 2月 1日黒沢通信工業株式会社が誕生した。
設立時の概要 本社 東京都 大田区 御園 3丁目
資本金 1億円 (黒沢商店6千万円、富士通4千万円)
役員 代表取締役社長 黒澤 敬一(当時黒沢商店社長)
常務取締役 笹島 六郎(当時富士通取締役) 兼任総務部長
常務取締役 黒澤 張三(当時黒沢商店副社長)兼任製造部長
常務取締役 篠田 四五(当時富士通取締役) 兼任技術部長
常務取締役 高洲湘二郎(当時黒沢商店取締役)兼任営業部長
監査役 山本 良衛(当時黒沢商店取締役)
監査役 竹野内英夫(当時富士通専務取締役)
土地 15,000坪 建屋 2,000坪 従業員 200 名
これにより黒沢商店蒲田工場とその従業員は新会社に移管された。