創業初期の広告
創業初期、弥左衛門町時代(1901-1907) の資料はあまり残されていない。 店舗の写真は無い。 店舗所在の地図と雑誌の広告が各1点残されているのみである。
THE JAPAN EVANGELIST ADVERTISER (日本福音新聞)
これは英文の小冊子(B5版)で発行者は銀座の教文館である。明治37年(1904) 8月18日発行の裏表紙に半分の記載である。
TYPEWITER AND SUPPLIES と表示されて MANNHATTAN MODEL No.9 の機械の写真が載せられている。
熟練技術者による日本で最初の、最高の修理設備を備えていることを誇示している。保守体制の確立こそ、顧客に対する最大の奉仕とする社是を示す最初のものである。
MANNHATTAN はシフト機構(大小文字切り替え機構)を備えているがビジブル機構はまだ備えていない。
スミス機はこの時点で、まだ姿を見せていない。(L.C.Smith 社創立は1903年 (明治36年) である。)
明治40年(1907)3月には銀座に仮店舗が開設され、この時点での新聞広告とカタログが残されている。
時 事 新 報
明治40年 (1907) 3月1日号 「比較ハ最上ノ審判者ナリ」の表示でタイプライター、チエツク・ライター、番号機、バインダー、書棚にいたるまで、商品範囲が広げられている。
タイプライターについては、ローヤル、エリオツト・ブツク・タイプウエリントン、フランクリン等四種類ほどが顔を揃えている。
カ タ ロ グ
明治42年(1909) 2月発行 56 頁に及ぶカタログが用意された。
この時点で L.C.Smithk 機が 精巧なる「ボールベアリング」を装備することを誇示して登場している。更にエンパイヤー、スミス・プレミヤ等6種類のタイプライターが記載されている。
本社の扱い品は絶対的第一級品のみを選択して販売することを誇示している。