鳥籠
一旦食器を下げようとサディルナが寝室を出たところで、ライールが茶を持ってきた。ライールは顔色の良いグレイを見て驚いたようだが、食事が美味しかったとサディルナに笑顔を向けられると、慌てて去った。
腰を落ち着け、茶に口を含んだサディルナは、少し目許を緩ませる。ライールが淹れる茶は彼女のお気に入りだと、グレイは気付いているが、孫に教えてやるべきだろうか。
「ダイルグは元気かい?」
問うと、緩みかけていた空気が、わずかに緊張を帯びた。
「変わりないと思うわ。私もひと月くらい前に見掛けたきりだけど」
サディルナはそう、素っ気ないように返したが、言った後でふと神妙な顔つきに変わる。
「あの人、ここに来ていないの?」
「いや」と曖昧に応えてグレイは記憶を掘り起こす。ここには昨今様々な人々が見舞いに来てくれていて、時系列はやや曖昧だ。
「四ヶ月くらい前に来たかな。近くに寄ったと言って」
四ヶ月、と、サディルナは眉を顰めて呟く。
「わたし、あの人を連れて来るべきだった……?」
サディルナはありありと葛藤を滲ませ、深刻な様子で言ったが、グレイは「気にしないでくれ」と即座に辞した。
外で食事をするなどというならともかく、この密室にその三人が揃うなど、想像するだけで体調が悪くなりそうだ。漂う空気にグレイが耐えられない。それ以前の問題として、ヴィールダルトからここに至る旅の途上は一体どんな有様になるのか。いやそれとも。
(その程度の荒療治、してやった方がいいのか……)
今度はグレイが悩む番だった。
ダイルグ・シリングは、サディルナと同じ、ヴィールダルトの司祭である。教会に属した当初から長く遍歴司祭の任にあり、五十を過ぎた今もなお、各地を飛び回っている。
グレイとも広い意味で同僚と呼べるが、グレイにとってのダイルグはそれより、若い頃、サディルナの旅に同道した頃の印象が強い。
グレイはサディルナに出会うのとほぼ同時にダイルグと知り合った。ダイルグとサディルナの二人はその時点で旧知だったようだが、グレイはその具体的な関係を今に至るまで知らない。グレイと二人の長い親交を思えば不自然なほどだが、サディルナはそのあたりのことを、昔から語りたがらなかった。
しかしダイルグはサディルナの連れというわけではなく、彼女の行くところに気付けば現れる、何とも不思議な男だった。とはいえ、連れでなかったのは、サディルナに殆ど付き纏っていたグレイも同様で、彼ら二人には当初、サディルナに存在を歓迎されていなかったという共通点がある。
年を経て思い返すと、若い男が二人して、嫌がる女性の一人旅に付きまとうなどありえないことだとグレイは思う。一人娘であるティルネがもしそんな目に遭っていたらと想像すると頭痛がするし、その許し難い男どもを問答無用で殴り倒したくなるだろう。
グレイには、素精干渉者を保護するという聖職者としての義務感があったわけだが、出会った当初からサディルナに恋心を抱いていたのも事実なので、自分に対してさえ若干後ろめたいというか、言い訳しがたい思いがある。
サディルナとそんな男二人を交えた旅の日々は、しばしば険悪さも孕む珍道中だったが、終わる頃には友人めいた親しさもあった。だがある時を境に何故かダイルグは姿を消し、グレイはもう会うことはないのかと残念に思っていたのだが、数年後、奇しくもヴィールダルトで再会することとなった。以降、数十年にわたり、ダイルグとの付き合いも続いている。
「俺は君となら毎日会えても幸せだけど、ダイルグとは半年に一度も会えば十分だよ」
グレイの言葉にサディルナは一度きょとんとした後、「わたし、昔から不思議なんだけど」と破顔した。
「あなた達って友達なのよね」
何故か嬉しそうなサディルナに、グレイが戸惑う番だった。
「それ以外に、一体どういう……?」
自分とダイルグの間に、友人以外のどういった関係性が存在し得るのだろう。思い切り怪訝そうにするグレイに、サディルナが噴き出した。ますますわからない。
「俺は何か面白いことを言った?」
「いや、ごめんなさい。何だか可笑しくて」
込み上げる笑いを抑える様子が、サディルナには珍しい。楽しげで愛らしい彼女を見つめながら、グレイは「それなら」と、その問いを口にした。
「じゃあ、君と、ダイルグの関係は?」
朗らかだったサディルナの表情が即座に凍りつく。その反応を予測していても、グレイの胸は痛んだ。
「腐れ縁よ」
固い声で返された答えも、まったく想定どおりのものだ。しかしグレイは引き下がらない。
「違うだろう?」
「違わない」
「サディルナ」
諭すように呼びかけるが、サディルナは拒絶するように俯いてしまう。拳を握りしめた様子は頑なで、理性的な彼女らしくもない。サディルナがこんな様子を見せるのは、ダイルグに関することだけだ。
かつて若者だったグレイは、サディルナに恋をした。叶わなかったその恋を、諦めることができたのも、諦めるしかなかったのも、サディルナの心に唯一人、その男が居たからだ。
サディルナ・ウェルズとダイルグ・シリングという二人の司祭は、ヴィールダルトの人々に、以前からその非友好的な関係をよく知られている。
それは主にサディルナが、ダイルグを露骨に嫌う素振りを見せるからだが、グレイからすればこれは全くのでたらめだ。サディルナはダイルグに接したがらない。それは事実だが、それは近付けば近付くほど、彼に向ける想いが露呈してしまうからだ。
サディルナはダイルグを愛している。それはグレイにとって、疑いようがない事実だ。しかしサディルナ本人は決してそれを認めない。認めることで、何かが壊れてしまうように。
だからグレイは敢えてこう言った。
「ダイルグは、君のことを愛してるよ」
「―――違う」
「違わない。あいつは君のことが好きだ。なのに君は、どうしてそんな風に思うの」
豊かな髪に隠れた顔を覗き込むと、彼女は興奮で耳元を真っ赤にしていた。
「サディルナ」
気遣うように呼びかけると、サディルナは「違うのよ」と掠れる声を絞り出した。
「何が?」
「あの人にとっての私は、あなたが思うようなものじゃない」
苦しげな声に胸が締め付けられる。なぜなのだろう。確かに想い合う二人が、どうしてこうも拗れてしまっているのか分からない。グレイにはそれがずっと分からないでいる。
出会った頃から、不思議な関係だとは感じていた。互いのことをよく知るようで、そうでないような。親密かと思えば、距離を置いているような。しかし決して今ほど拗れた間柄ではなかった。どこかの時点で二人に断絶が生じたのであり、その時期についてグレイは推察できている。しかし何が起こったのかは知らない。二人はグレイに何も語らなかった。
「この話はもうやめて。お願い」
硬い声が、今日もグレイの追及を退けようとする。グレイはこれまでずっと、彼女がそう言えば引き下がってきた。しかし今日は、単純に引き下がるわけにはいかなかった。
「わかった。あいつの話はしない。でも」
グレイは寝台から足を落として縁に腰掛け、サディルナと正面に向かい合う。身動きともに呻いた彼を、サディルナが半立ちになって支えた。
「グレイ、何してるの。無理しないで」
色を変える彼女を見上げ、グレイは「聞いて」と訴えた。
「サディルナ、俺は君をひとりにさせたくない」
脈絡のない言葉にサディルナは戸惑いを見せたが、気にせず続ける。
「俺はもう、長くは生きていないだろう」
サディルナの目が、瞬間的に強い光を宿した。
「そんなこと!」
「今でなくても」
反駁を遮り、グレイは落ち着かせるようにサディルナの腕にそっと触れた。
「それが今でなくても、俺は君より先にいなくなる。……わかるだろう?」
サディルナの新緑の瞳が、その身を打たれたように揺れる。
『老いぬ者』であるサディルナは、人の常識を外れた長い時を過ごすのかもしれず、或いは外見だけ年老いぬまま、常人と変わらぬ生涯を終えるのかもしれない。いずれにせよダイルグには、自分がサディルナより長く生きることはないという確信があった。
「どうしてそんなことを言うの」
聡明なサディルナが、グレイの言葉を肯定も否定もできないまま、揺れるように力なく頭を振った。
(ああ、また泣きそうな顔をしてる)
しかしグレイにそう見えたとして、サディルナが泣くことはない。
グレイはサディルナが涙を零す姿を見たことがなかった。彼女は苦境にあっても、悲嘆に暮れることなく前進する。しかしだからといって、苦しくも寂しくもないということがある筈はない。
サディルナは強さの奥に、いつも心細さや繊細さを抱え込んでいる。瑞々しい心は、様々なことに揺れては彼女の内を傷つけるが、それを人に見せようとはしない。
「俺がいなくなっても、君をひとりにしたくない」
グレイは繰り返した。それはなんて勝手な願いなのだろう。
俯きたい思いをこらえて、グレイはサディルナを見つめた。感情に揺れながらも、グレイの必死さを裏切るまいと見返してくる眼差しが眩しい。グレイはこの瞳ほど美しい緑を、見たことがないと思う。ずっと、そう思ってきた。
強くも弱く、弱くも強いサディルナを、かつてグレイは守りたいと思った。愚かにも、自分が守ると心に誓ったのだ。
「俺は本当は、こんなふうに、君に何かを願う資格なんてない」
「……グレイ?」
サディルナが怪訝に眉を顰める。
「俺が、きみを教会に閉じ込めた」
緑の目が大きく見開かれた。
「きみを守ると言っておいて、俺ができたのは、俺を信じてくれたきみの、自由を奪うことだけだ」
グレイはサディルナに出会ったその日から、彼女に教会の保護を受けるよう説き、拒絶されても懲りずに追い続けた。サディルナは素精干渉者としてあまりに無知かつ無防備で、その強い力は持ち主である彼女をいつか脅かし、傷つけるだろうと思った。
素精干渉者を保護し、管理するのは教会の正義だと、サディルナに纏わる出来事を経たグレイは、もう言うことができない。しかしそれが、女神の加護を世に実現する教会に、必要な役割だということは、ずっと変わらず信じている。
素精干渉者は世の異端者であり、その存在を理解しない者にとっては異常者だ。圧倒的な少数者である彼らはしばしば周囲に疎外され、はっきり虐げられる者もいる。
狂人として幽閉される者、身体的な虐待を受ける者、居場所を失って放浪した末、路傍に朽ち果てる者。グレイが遍歴司祭として過ごした短い期間ですら、悲惨な実例を幾つも見た。教会の影響が及ばない土地ほど、彼らが過酷な環境に置かれる傾向は強かった。
グレイ自身は、幼い頃から「そう」だと周囲に知られつつ、あからさまな虐待を受けたことはなかった。しかしそのグレイさえ、疎外と孤独の蓄積に耐えきれず、ある日、生家を飛び出した。彼を拾い上げてくれたのは、教会の司祭だった。
虐げられた者が犯罪に手を染めることも稀ではなく、そんな彼らを取り締まり監視すること、あるいはそういった事態を防ぐために能力者を管理下に置くこともまた、女神の望む秩序を守る教会にとって重要な役割なのである。
グレイは教会に救われた。ゆえに、かつての自分に近い境遇の者の、助けになりたいという想いも強かった。それは教会の正義でもあると信じていた。
サディルナに監禁同然の扱いをした教会に、かつてグレイは怒り抗議した。しかし本当はグレイに彼らを責める権利はない。サディルナの歌に初めて触れたその時、この力は管理されるべきものだと考えたのは、他ならぬグレイだったのだから。
自由に旅した歌姫は、グレイに誘われ、堅く冷たい壁の内に閉じ込められた。表面だけは穏やかに、まるで籠の鳥のように。美しい声を持つ鳥は、その籠の中で、歌う自由さえ放棄した。
サディルナはそれを大したことではないと言った。歌うことが格別好きだったわけではない。かつて彼女の歌を好きだと言ってくれた人がいたから、得意になって歌っていただけなのだと。気にしないでと、事もなげに。愛する人に贈ったそれが、彼女にとって大切でなかった筈はないのに。
サディルナは本来そんな不当な扱いに耐える必要はなかった。「絶対拒否権」を有するサディルナに、教会は全てを強いる力はなく、サディルナには彼らに果たすべき義理はない。彼女が教会に従ったのは、明らかに司祭であるグレイの立場を慮ってのことだった。
サディルナは本当に教会(ここ)に来なくてはならなかったのか。すべてが起きてしまった後、グレイは何度も自答した。
サディルナは素精に対する強い影響力を持つだけで、人格的にも、自覚的に行使できない意味では能力的にも、積極的な危険性を持たない。当時のサディルナは歌うほかに、素精に影響を及ぼす術を持たなかった。グレイは彼女に歌を生業にするのはやめるよう、諭せば良かっただけではないのか。
教会の正義と、個人的な好意をまぜこぜにして、彼女を守ると思い上がり、その手を離さなかった。その結果、サディルナの自由を奪ったのは、他の誰でもない自分だ。
「俺が君を見つけなければ、そんなことにはならなかった」
グレイの胸の裡には、何十年も、ずっとこの悔恨が巣くっている。
しかしグレイがそのことについてサディルナに謝罪したことはなかった。そんなものはただの自己満足で、彼女自身の意思も冒涜している。今もグレイはそれを告げて、サディルナに懺悔したいわけではない。
「俺は君の自由を奪っておきながら、君を残してヴィールダルトを離れた。自分のために。そのくせ、君にひとりであって欲しくないと言う。俺はとてもひどい、身勝手な人間だ。君は俺を、いくら責めてくれてもいい」
これは赦しを乞うより、もっとずっと身勝手な思いだ。
想いを抱え込んでいるようでは駄目だ。醜くても、自分勝手でも、隠さず伝えきらなくては。この欲深い願いは、彼女の心に届かない。
「それでも俺は、君に幸福であって欲しいと思うんだ」
他人のことは気に病むくせ、自分のことはすぐ諦める。自分自身を後に置いて当然の顔をして、愛する人への想いすら見ないふりをしてしまう彼女に、幸福であって欲しい、君はもっと幸福であっていいのだと。失望されても、疎んじられても、その思いをどうか残したい。
一方的な告白を、サディルナは黙って聞いていた。少し驚いたように、いつもどおり真摯な眼差しで。
彼女と暫く見つめ合ってから、グレイは目を伏せて大きく息を吐いた。興奮しすぎたようで、気を緩めた途端に身体が苦しい。サディルナが立ち上がり、彼の背中を優しく擦った。「ねえ、グレイ」と、おもむろに口を開く。
「私はね。昔からいつだって、自分のやってることに自信がない。本当に正しいのかはわからないまま、闇雲に進んできただけなの」
椅子に座り直し、グレイと向かい合う。
「そんな私だけど、あなたに付いて教会に来たこと、あなたにヴィールダルトに残ってと言わなかったこと。このふたつについては、正しい判断をしたと思っているのよ」
言って、サディルナは花が開くように微笑んだ。
「あなたは自分の生まれたこのリアムに戻って、沢山の人を助けて、沢山の人の救いになった。人があなたを褒めそやすのを聞くたびに、私がどれほど自慢げかなんて、あなたは知らない。私があなたに、寂しいから行かないでなんて、バカな我が儘を言わないように我慢した結果がこれなの。最高じゃない。あなたが一体、何を恥じる必要があるの?」
グレイは言葉を返せない。弟を諭す姉のような瞳で、サディルナは続けた。
「いつか、私が何者かという話をしたことを覚えてる?」
「覚えてるよ」
素精干渉者の例に漏れず、グレイは優れた記憶力を持っている。印象的な出来事は、過去のことであっても、鮮やかに思い起こすことができた。無神経な問いから始まった問答。がらんとした部屋、儚く呟いた彼女。
「私は、自分が何者かどうか、自分では分からないと答えた。でも今は、自分が何者か、自分で答えることができるわ」
薄く白い手の平が、グレイの拳を包み込む。
「私は、ヴィールダルトの司祭、サディルナ・ウェルズ。それ以外の何者でもないと、はっきり言える。お節介焼きの若い司祭が、行くあてのなかった私に、この場所をくれた。そしてそれを、私が自分で選んだの」
手に力を込め、サディルナは彼を見つめる。
「私を見つけてくれてありがとう。あなたが思っているより、私はずっと幸運で、幸福な人間よ。あなたったら、本当にばかね」
その笑顔が眩しくて、グレイは見つめていられない。
赦しが欲しいわけではなかった。この悔恨は自分の罪として抱えていくべきものだ。赦されなくても構わない。けれど自分が、彼女の助けになれていたのなら。たとえ望んだ形でなくても、彼女を守ることが本当にできていたのなら。
驚きに目を見張ったサディルナが、俯くグレイの頬に、そっと両手を差し伸べる。
「久しぶりね、泣き虫グレイ」
涸れた喉から嗚咽が零れた。涙がとめどなく頬を伝う。グレイは若い頃、誰かに同情したり感情を昂ぶらせるたびに涙を零して、「いい年をして、なんでそんなに泣き虫なの」と、サディルナに呆れられたものだった。
年甲斐もなく涙を零す彼の頬を、サディルナは慈しむように包む。
「あなたがいつも私より先に泣くから、私は泣かずにいられたの」
腕はそのまま彼の背後へと伸び、サディルナはグレイを抱き締めた。
「大好きよ……」
サディルナの体温が、彼の身体を優しく包み込む。激情に強ばった身体が、一瞬で解ける心地がした。
続いて、弱った身体に命が注ぎ足されるような感覚があった。しかしこれは錯覚ではない。サディルナに身を委ねるように目を閉じたとしても、グレイには『見える』。素精の感知と五感の関係、それはサディルナの研究成果だ。サディルナは、グレイが素精を『見る』と表現したことに、その着想を得たと言っていた。
囚われの鳥だった彼女は、いつしか類のない研究者として知られるようになり、今やヴィールダルトで知らぬ者のない司祭の一人となった。誰が現在のサディルナを見て、彼女がかつて教会に秘匿された異分子だったと信じるだろう。サディルナは自らの力で、その居場所を獲得したのだ。
その彼女が、自分に居場所を与えたのはグレイと言い切り、今は彼の生命を救おうと、無意識にも素精に働きかけている。愛おしさが胸に溢れ、グレイはサディルナを抱き締めた。
「ありがとう。俺も、君が大好きだよ」
これがもう恋ではなくても、君をずっと、心から愛している。どうか幸せでいて。君に出会えたことを含めて、自分はこの人生で過ぎるほど多くを得た。君が笑っていられるなら、俺はもうそれでいい。
そのことがどうか伝わって欲しいと願いながら、グレイはそっと、サディルナから身を離した。
「いい歳をしてごめん。恥ずかしいな。もう大丈夫」
指で涙を拭い、安心させるように微笑む。対するサディルナはしかめ面をしてみせた。
「それはいいけど、いい加減横になって。今度はもう、我が儘は聞きませんからね」
自分を寝床へ押し込むサディルナを見つめながら、グレイは幸福感に満たされていた。
彼女が側にいれば、自分の状態が完治することはなくとも、悪化することはない。そう気付いていても、伝えることはない。こうして手を離せば、遠くなく、彼女に会うことはなくなるだろう。
でもそれでいい。いまこの時で、十分だ。自分が彼女の自由を奪うことは、もう永遠にあってはならない。
そう思ったとき、欲深くもふと浮かんだ想いがあった。ひとつだけ、最後の我が儘を、許して貰えるだろうか。
「サディルナ、お願いがあるんだ、聞いてくれる?」