流れ霞と琥珀糖

 ファーレンが土産に置いていったのは、蝶や花を象った、美しい砂糖菓子だった。

 果汁を固めたものが芯となっており、糖衣の下に淡く様々な色が透けている。箱の仕切りに納められた様子も雅で、一見して貴重な品と思わせた。卓に置かれたそれを興味深く眺めながら、ライールが言う。

「大祭司様は、サディルナの何だろう。友達?」

 ライールの向かいのサディルナは、手にした茶器を下ろし、「友達ねえ」と思案する様子を見せた。

「彼は結構年上だし、ちょっとぴんと来ないわ。普通に上司じゃないかしら」

「上司と部下って感じでもないよ」

 それは関係としては事実だが、二人の間に通う空気は、単にそう片付けるほど事務的でも儀礼的でもない。

 サディルナは「そう?」と軽く首を傾げる。

「最初に彼に会った時、私は部外者だったから、何となくその調子のまま来てしまったのよね。……そうね。彼は後見人と言うのが妥当かも」

「ウェルズ司教じゃなくて?」

 ライールは今は亡きその人が、身寄りのないサディルナの身元を引受けたのだと聞いていた。

「ウェルズ様にはお世話になったけど、もっと実際的な意味でね。ファーレンが私に興味を持ってくれなければ、私が今ここで、こうしていることもなかっただろうから」

 ライールは、サディルナをこの教会へ連れて来たのがグレイとは知っていたが、司祭となった細かい経緯などは知らない。サディルナは過去をあまり語らず、何となく尋ねづらい雰囲気があった。

「恩人ってこと?」

「そうね。本人はそんなつもりはなかっただろうけど」

 特殊な記憶力を持つサディルナは、数十年前の記憶であっても、それが印象的なものであれば、まるで昨日の光景のように脳裏に鮮明に浮かべることが出来る。彼女にとって、ファーレンに関わる記憶の始まりは、剥き出しの石壁の他に椅子と寝台しかない、冷たい洞のような部屋だった。ファーレンの色素の薄い容貌と細い身体は、薄暗いその部屋の中で、寒々しさを増して見えた。

 その頃、サディルナが会った教会関係者の中でも、ファーレンは若く、明晰な話しぶりが印象的な人物だった。しかし半ば閉じられた瞼の奥の眼差しは透徹として冷ややかで、サディルナに緊張と僅かな不快を与えたものだった。

『囚人が、研究者の真似事とは』

 彼の声は、囚われの娘に対する優しさも同情も含んでいなかった。しかしどこか、珍妙なものを可笑しがる響きがあった。

『面白いな。いいだろう、俺が協力してやる。思うようにやってみるといい』

 その言葉が、この教会を舞台にした、サディルナの第二の生の始まりだったとも言える。

「私が司祭になれたのも、こうして好き勝手に研究していられるのも、ファーレンが力添えをくれたから。あれで物凄く頭の切れる人なの、剃刀みたいだって怖がる人も多いのよ。……まあ、あなたにはぴんと来ないわよね」

 ライールは首をやや傾げながら、「頭のいい人だとは思ったけど」と言った。

「どちらかというと、優しい人なのかなって思ったよ」

 サディルナは少し笑った後、我に返ったようにげんなりとする。

「悪い人じゃないの。多少、困った人ではあるけど」

 サディルナを仕事の虫と虚仮にするファーレンだが、彼自身、仕事熱心な人物である。職務にあっては冷徹鋭利な剃刀そのものの彼が、偶の暇に、斯くも野放図な言動をする人物でもあるとは、出会った頃のサディルナには想像すら出来なかった。

「こんなお土産をくれるなんて、趣味も良い人なんだね」

 砂糖に覆われた花をひとつ持ち上げると、透ける衣がちらちらと光を弾いた。ライールはこんな菓子を見るのは初めてだった。

「何というか、それは彼の趣味みたいなのよね」

「趣味? 贈り物が?」

 サディルナは茶を片手に、蝶を象った菓子を、摘まんでゆらゆら動かした。

「忙しくて自分のためにお金を使う間もないから、人にあれこれ贈るのが趣味みたいなの。今日みたいに、食べ物の時はまだいいんだけど」

 菓子を一口に放り込んで、味にではないだろう、サディルナは渋い顔をする。ライールはぴんと来て言う。

「もしかして、服とか、装飾品とか?」

 サディルナが美しい顔を遠慮なく顰めた。

「着る時も、着ける場所もないから、やめてって何度も言うのに、何度も送ってくるのよ。他の女のひとにでも贈ってればいいのに……」

 サディルナは不平を零すが、ライールは内心それどころではない。

(――見たい!)

 趣味が良く、サディルナの美しさを愛でるファーレンが、一体どんなものを彼女に贈るのだろう。それを身につけた彼女は、どんなに――

「どうしたの、ライール。顔が赤いわよ?」

「なんでもないよ」

 サディルナに顔を覗き込まれ、ライールは焦って、瞬間的に抱いた興奮が萎んだ。華やかに着飾るサディルナを想像しそうになった自分が恥ずかしく、ひっそり自己嫌悪に陥った。

 ライールは、お仕着せの堅苦しい司祭服が、サディルナに不似合いとは思っていない。淡い緑の目に緑の衣は誂えたようだし、背筋を伸ばして凜とそれを身に纏っていてこその彼女だと思うのだが、偶には晴れやかな装いをしてもいいのではないかと思うのだった。

 そう思ったところで口には出来ないし、ファーレンに贈られた品々を見てみたいと思ってもそうと言える筈もない。人の心遣いを無碍できないサディルナは、お節介なティルネが送ってくるひとつひとつに居場所を与えるように、ファーレンの贈り物も、文句を言いつつ大切に仕舞っているに違いないのだが。

(きっと、似合うんだろうにな)

 惜しく思いつつ、砂糖菓子を一口囓る。しっかりと甘いが、意外に酸味も強くて驚いた。甘くて、酸っぱくて、きらきらと繊細に美しい。

「でも、俺、少し安心したかも」

 「何が?」とサディルナが首を傾げる。

「サディルナの近くに、ああいう人がいてくれることが。頼もしいなって」

 サディルナは一瞬きょとんとした表情になり、戸惑うライールの前で、「あなたったら、本当に生意気ね」と花開くように笑った。

 ライールは今度こそはっきりと赤面し、その言葉を思わず脳裏に反芻した。

『あいつの調子に乗せられるなよ』

 年若い彼にはどうも、それは至難の業なのだった。