33年ネット諸兄姉どの(2026.02.23)
今日は天皇誕生日だそうだ。
ベネデクトが「菊と刀」で語っている「天皇&日本敗戦と日本の行へ」を読んでみたい。
★日本は本当に降伏するのか?
ベネデクトは云う;一九四五年八月十四日に日本が降伏した時に、世界はこの「忠」がほとんど信じ難いほど大きな力を発揮した事実を目撃した。日本に関する経験と智識をもつ多くの西洋人は、日本が降伏するなどということはあり得べからざることである、という見解を抱いていた。アジア大陸や太平洋諸島の所々方々に散在する日本軍がおとなしく武器を放棄すると考えるのはおめでたすぎる、と彼らは主張した。日本軍の多くは局地的敗北を受けておらず、彼らは彼らの戦争目的の正しきを確信している。日本本土諸島も又、最後まで頭強に抗戦する人びとで充満している。だから占領軍は、その前衛部隊はどうしても小部隊とならざるを得ないのだから、艦砲の射程範囲外に進撃するとともにみな殺しにされる危険がある。戦争中日本人はどんな思いきったことでも平気でやつてのけたではないか。彼らは好戦的な国民なのだ。 こういうふうに日本を分析していたアメリカ人は、「忠」を勘定に入れていなかったのである。天皇が口を開いた、そして戦争は終った。天皇の声がラジオで放送される前に、頑強な反対者たちが皇居の周りに非常線をめぐらし、停戦宣言を阻止しようとした。ところが一旦それが読まれると、何人もそれに承服した。満州やジャワの現地司令官も、日本内地の東条も、誰一人としてそれに逆うものはいなかった。我我の部隊は飛行場に着陸し、丁重に迎えられた。外国人記者は、その中の一人が書いているように、朝には小銃をひねくり廻しながら着陸したが、昼にはそれを片づけてしまい、タ方にはもう身の廻りのものを買いととのえに出かけるというありさまであった。日本人は今や平和の道をたどることによって、「陛下の御心を安んじ奉る」ことになったのである。 つい一週問前までは、たとえ竹槍を持ってでも、夷荻を撃退することに身を捧げることが、 「陛下のみ心を安んじ奉る」 ゆえんであった。このような態度には少しも不可思議なところはなかった。それを不思議に感じたのは、人問の行為を左右する感情が、いかに多種多様であるかということを、容認することのできなかった西洋人だけである。ある者は日本は事実上絶滅するほかに途はないと宣言した。又ある者は、日本が国を救い得る唯一の途は、自由主義者が権力を握って、政府を倒すことであると唱えた。いずれの見解も、国民令体が支持する総力戦を戦う西洋の一国のこととして考えれば、筋が通っていた。しかしながらこれらの見解は、日本も西洋と大同小異のものと思いこんでいたために誤っていた。もう何ヶ月 も無事平穏に占領が行われた後においてもなお、西洋人の中には将来を予測して、西洋流の革命が起らなかったとか、あるいは又「日本人は敗戦の事実を認識していない」という理由で、すべてはりわれたというふうに考える人びとがあった。これは正しいこと、かくあるべきことに関する西欧の標準に基いた立派な西洋流の社会哲学である。しかしながら日本は西洋ではない。日本は西欧諸国のあの最後の力である革命を用いなかった。日本は又敵国の占領軍に対して不服従サボタージュを用いなかった。 日本は日本固有の力、すなわち、まだ戦闘力が破壊されていないのに無条件降伏を受諾するという法外な代価を「忠」として自らに要求する能力を用いたのである。 日本人の見地からすれば、これはなるほど法外な支払いには相違なかったが、その代りに日本人の何ものよりも高く評価するものをあがなうことができた。すなわち、日本人は、たとえそれが降伏の命令であったにせよ、その命令を下したのは天皇であった、といい得る権利を得たのである。敗戦においてさえも,再考の掟は「忠」であった。(p165-168)
★日本国の管理問題
ポツダム宜言にはただ、 「連合国によって指定せらるべき、日本国領域内の諸地点は、われわれがここに示す根本目的を確保するために、占領せらるべきものである」ということ、また「日本国人民を欺瞞し、これを導いて世界征服の挙に出るような過誤を犯させた権力および勢力」は永久に除去されねばならない、ということが述べられているに過ぎなかった。
マック・アーサー元帥による日本管理は、ドイツもしくはイタリアの管理とは全く性質を異にする。それは上から下までの日本人官吏を利用するーつの司令部組織にほかならない。それはその通牒を、目本帝国政府に向けて発するのであって、日本国民、もしくはある町、またはある地方の住民に向けて発するのではない。その任務は、日本国政府の活動の目標を定めることである。もしある日本の大臣が、その目標の実現は不可能であると信ずるならば、彼は辞職を申し出ることができるが、彼の申し立てが正しければ、指令を修正してもらうこともできる。結論を云えば、ヒルドリング将軍(ジョン・ヘンリー・ヒルドリング(John Henry Hilldring, 1895年 - 1974年)は、第二次世界大戦期のアメリカ合衆国の軍人。1946年から1947年まで国務次官補(占領地域担当)が述べたように
「日本国政府の利用によって得られる利益は莫大なものである。もしも日本国政府を利用することができないとしたならば、我々は七千万の国民を擁する国を管理するために必要な複雑な機構をすべて、直接我々の手で運営せねばならないことになるであろう。日本人は我々とは、言語も、習慣も、態度も異っている。日本国政府の機構を浄化し、それを利用することによって、我々は時聞と、人員と、財力とを節約しつつあるのである。換言すれば、我々は日本人に、自らの手で自らの国家の大掃除をすることを要求しているのであるが、その指図はひとつひとつ我々が与えるのである。」
(という結果になった。)
ところが、この指令がワジントンで作成されつつあった当時はまだ、日本人はおそらく、不服従、敵対の態度を示すであろう、何しろあの通り虎視耽々と復響の機会を窺う国民のことであるからして、 一切の平和的計画をサボタージュするかも知れない、と恐れるアメリカ人が多かった。 こういう危恨は、その後の事実に照してみて、根拠のないものであったことが明かとなった。そしてその理由は、敗戦国民ないしは敗戦国の政治経済に関する普遍的真理にあるというよりむしろ、日本の特異な文化の中に存在した。日本以外の他の国民であったならば、おそらくこのような信義にもとづく政策は、しれほどの成功を収めることができなかったであろう。日本人の目から見ると、この政策は 敗戦という冷厳な事実から屈辱の表象を取り除き、彼らに新しい国策の実施を促すものであった。そして彼らがその新しい政策を受けいれるこのできた理由は、正しく、特異な文化によって形づくられた日本人の特異な性格にほかならなかった。
(p198-199)
★平和国家への変身
日本が平和国家として立ち直るに当って利用することのできる日本の真の強みは、ある行動方針について、「あれは失敗に終った」といい、それから後は、別な方向にその努力を傾けることのできる能力の中に存している。日本の倫理は、あれか、然らずんばこれの倫理である。彼らは戦争によって「ふさわしい位置」をかち得ようとした。そうして敗れた。今や彼らはその方針を捨て去ることができる。それはこれまでに受けてきた一切の訓練が、彼らを可能な行向転換に応じ得る人問に造り上げているからである。もっと絶対主義な倫理をもつ国民ならば、我々は主義のために戦っているのだ、という信念がなければならない。勝者に降伏した時には、彼らは、 「我々の敗北と共に正義は失われた」という。そして彼らの自尊心は、彼らが次の機会にこの「正義」に勝利を得きしめるように努力することを要求する。でなければ、胸を打って自分の罪を機悔する。日本人はこのどちらをもする必要を感じない。対日戦勝日の五日後、まだアメリカ軍が一兵も日本に上陸していなかった当時に、東京の有力新聞である『毎日新聞』は、敗戦と、敗戦がもたらす政治的変化を論じつつ、「しかしながら、それはすべて、日本の窮極の救いのために役立った」ということができた。この論説は、日本が完全に敗れたということを、片時も忘れてはならない、と強調した。日本を全く武力だけにもとづいて築き.上げようとした努力が、完令な失敗に帰したのであるからして、今後目本人は平和国家としての道を歩まねばならない、というのである。いまーつの有力な東京(の)新聞である 『朝日』 もまた、同じ週間に、日本の近年 の 「軍事力の過信」を、日本の国内政策ならびに国際政策における「重大な誤謬」とし、「得る所あまりに少く、失う所あまりにも大であった旧来の態度を棄て、国際協調と平和愛好とに根ざした新たな態度を採用せねばならない」と論じた。(p204-205)(この後、冷戦に突入、1950年に朝鮮戦争勃発、しかし吉田首相は軽装備、経済重視を貫いた。そして今日がある。)
イチハタ