33年ネット諸兄姉どの(2025.12.28)
「菊と刀、原題:The Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture)」(上下、ルース・ベネデクトRuth Benedict(1887年6月5日 - 1948年9月17日、米国の文化人類学者)著、昭和33年12月20日(26年初版)重版、上90円、下100円、長谷川松治訳、社会思想研究会出版部を持っている。要旨を船曳建夫氏(ふなびき たけお、1948年2月18日 - 、文化人類学者、東大名教授)のNHK人間講座(2002.06.04/06.05/07.06再放送)「日本人再考」(全九回)の解説で紹介したい。なお、彼女の仕事を手伝ったGHQ勤務のロバート・ハシマへの手紙の一節には
「私は何とかして、日本の人びとに向って未だかつて、西洋諸国の中で敗戦に際してあのようなディグニティとヴァーチュ (気高さと立派き)示した国は一つもないこと、また歴史は必らずやその見事な終戦のしぶりの故に、日本を賞め讃えるであろうということを、告げたいものと考えています。ワジントンに帰ったならば、あなたにその手助けをして頂きたいと思います。これからは、アメリカもまたリストレイントとディグニティ (謙抑と気品)とを以て、その役割を演じてくれるようにと、心から望み、かつ祈ります。ただしかし、多くのアメリカ人に取って、それはなかなか出来難いことであろうと思いまず。 余りにも日本人と違いすぎているのだから。」
この乎紙は、一九四五年八月十五日の日付になっている。したがって、 「昨夜七時」というのは、日本時間に直すと、大体昭和二十年八月十五日の午前九時に当たるわけで、日本降伏のラジオ放送を聞いた偽らない感情を、その直後に筆を執って書き送ったものである。
この手紙は、本書を出版する時のベネディクトの気持を掴む重要な参考資料になると思うー翻訳者感想である。
(わたし(イチハタ)から見ると、混乱の敗戦としか思えないのであるが、「見事な終戦のしぶり」とは驚きである。)
以下は船曳建夫氏の解説と意見である。
第二回臣民の講座から;ベネディクトの「菊と刀」は、日本人の本質を突いた名著である。
★「しかしまた」(第一の視点)
ベネディクトの「菊と刀」で描かれている日本人は、戦前、戦中の日本人です この本には数々の侵れた洞察がある、とすでに述べましたが、その中で、面白いものを一つ取り上げ、そこから今回の論に関係する中心的な考察を二つ引き出しましょう。
私が彼女の議論の中で面白いと思うことの一つは、日本人は 競争を避ける、競争による失敗が恥辱をもたらすことを怖れる、という発見です。このことは、日本は「恥の文化」、 西欧は「罪の文化」、という『菊と刀」に関する「定番のまとめ」を導くのですが、そのことが具体的にどんな 明敏な考察を導いているかはあまり挙げられていません。たとえば、現在の小学校における、誰でもが満点を取れるはずだ、徒競争走った子には全員に賞状をあげよう、といった考え方は戦後の「民主主義的平等」の教育観が生んだ風潮だ、と考えている人がいます。しかし、『菊と刀」にはこうあります—「日本の小学校では競争の機会を 最小限にとどめている。日本の教師たちは、児童はめいめい 自分の成績をよくするように教えられねばならない、自分をほかの児童と比較する機会を与えてはならない、という指示を受けている。 (中略 )成績通知表に示されている小学児童の成績順位は操行点を基準とするものであって、学業成績によるものではない」 ( 179・ 180ページ 。この文章の「操行点」を「努力の有無」に変えれば、いまの教育の断而を切り取ったかのようですが、これは戦前の日本についての記述なのです。こうしたことが起きるのは、ベネディクトによれば「日本人は失敗が恥辱を招くような機会を避ける」(132ページ)からであり、「失敗のために「恥をかく」。そしてこの恥は、発奮の強い刺激になる場合もあるが、多くの場合は危険な意気消沈を引き起こす原因となるo 彼は自信を失い、憂畿になるか、腹を立てるか 」(177ページ)、いずれにせよ、失敗の恥辱に弱いことがその理由である、と。これを読んで日本のスポーツ選手の本番での勝負の弱さ、「ドーハの悲劇」でいつまでもグラウンドで放心していたサッカー日本代表を思い出すのは私だけではないでしょう。
(1977年(昭和52年)頃、関西のある小学校での徒競争で全員同じ賞品だった。これでは、子供の行く末が案じられると転勤を申請した人がいた。ドーハの悲劇、1993年(平成5年)は、サッカーの歴史でたまに出てくるだけで、いずれも、まったく昔の話になっている。)
しかし、なるほどなるほど、と感心するのであれば、こうした「思い当あまたたること」が書かれている日本人論は数多あります。彼女の考察の優れているところは、「しかしまた」、日本人はそうした敗北による挫析のあと、「 日本の真の強みは、ある行動方針について、「あれは失敗に終わった」り言い、それから後は、別な方向にその努力を傾けること」(353ページ )が出来る、と書くところにあります。その一転して別の方向や別の態度をとれること、それが敵国として、また、占領政策を施すものとして、アメリカ人が考えておかねばならぬ点だ、というのです。これが冒頭に指摘した「変貌」と関連して、「臣民」 の考察に重要なものとなってくる第一の点です。
★「ふさわしい位置」(第二の視点)
「菊と刀」というタイトルも、この本を知っているだけで、読んでいない人には、菊とは天皇家の菊の紋章などと考えられたりしているようですが、違います。それは日本人が、平和な「菊作りに秘術を尽」くす人々であり、「しかしまた」、「刀を崇拝し武士に最高の栄誉を帰する」人々でもある、ということを表しています。
『菊と刀」とは、ベネディクトが発見した、日本人の 「しかしまた」という、 一見相容れないようなものが共存する様子を表現する題名なのです。ベネディクトは 「しかしまた」 が可能であるのは、日本人の価値観がキリスト教世界の道徳とは違った、あるときは儒教的な義務の感覚、あるときは日本の神道に見られる世界観によるからだ、と多岐にわたって説明します。そうした説明から、やや過剰な点などを取り除くと、中心は、べネディクトの指摘する 「ふさわしい位置」という秩序感に帰着すると思えます。これが第二の重要な点です。日本人にとっては自分の位置、ポジションに応じた働きをすることが務めです。原理が行動の規範になるのではなく、現在の自分に与えられた世界、それはのちに出てくる「世間(阿部謹也の世界」と言ってもよいのかも知れませんが、その秩序を維持する、変えないことが規範となります。そこで失敗することは、自分の世界「世間」を乱すことになり、自分をも含む世界全体を「お騒がせする」、申し訳ないこととなり、自己責任をとろうとします。(このあたりのことを「身から出た錆」として刀の比除を使いますが、こうしたところは「文化とパーソナリティ」論にありがちな勇み足だとしても)この責任はあくまでも行動原理に基づくものではなく、世間への行動のもたらした結果に対する責任です。自殺をもってわびるかも知れない。しかし、この責任は、「しかしまた」、いったん、失敗を認めることが出来たら、いったん決めた行動方針を、手のひらを返したように、「あれは失敗に終わった」ということで、別の道に進むことが出来るのです。この二つの道は、両方共、認められている。それはなぜか、ということは第8 回の 「人間」というレベルの説明(「理外の理」)につながります。
こうした大転換は、八月一五日を境に見られたことです。失敗の責任をとって切腹した人と、突然、機悔をして、民主主義者になってしまった人。この二種類の人は、行為の表れとしては全く違う人ですが、同じ人間集団の中の同じ「文化の型」 の持ち主、と考えられます。 「文化の型」理論には今では厳しい評価をするのが通常となっていますが、ここであげたベネディクトの「しかしまた」と「ふさわしい位置」 の発見は日本人理解には未だ有効と考えます。
(わたし―イチハタはこの「しかしまた」と「ふさわしい位置」、宗教やイデオロギー・過去にとらわれない日本人の文化の底流をなすもの,むしろ進歩の原動力として高く評価している。)
イチハタ